日本フィルのティンパニの響きはなぜ“一味違う”のか? カーチュン・ウォン指揮ד巨匠”ゲルハルト・オピッツ(Pf)演奏会_2024年9月20日
なかなか言語化できなかった、私が「日本フィルのティンパニの音に惹かれる理由」が、ようやく分かりました。
■すべてを包容して広がる、オピッツの豊かなブラームスと
踊り出したくなる日本フィルのチャイコ!
昨夜は、カーチュン・ウォン指揮ד巨匠”ゲルハルト・オピッツのピアノ、日本フィルのオケでブラームス《ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op.83》を聴きました。
第2楽章のピアノとヴァイオリンとの呼応は、まるで広々とした草原で風の波紋が広がって行くように感じられ、伴って心が浄化されていくようでした。
木管との呼応ではやわらかい音に包まれ、とりわけ第3楽章のチェロ独奏の美しさにはしみじみ聴き入りました。
オピッツのピアノは、幾重もの繊細なヴェールが風に舞うような多彩な表情と包容力があり、豊かな音色を聴きながら、「人生を重ねて行くことで表現がより自由で豊かになるのだ」と、個人的に将来への希望をもらいました。
後半に演奏されたチャイコフスキー《交響曲第4番 ヘ短調 op.36》は、踊り出したくなる演奏でした!
第3楽章から第4楽章へ間をあけず続けられたことで、より心の動きが加速して、そのまま幸福が爆ぜるようなフィナーレ。パーカッションの存在感が光る、心から楽しい体験でした。
■無に始まり無に還す
「能」を感じるカーチュン・ウォンの指揮
また、私が日本人だからそう感じるのかも知れませんが、ひっそりと深い沈黙を作ってからタクトを上げ、曲の最後にも余韻を味わう無音の時間をたっぷりとってからタクトを下ろすカーチュン・ウォンの指揮スタイルには、いつもどこか「能」に通じるものを感じます。
何も無い、完全に「無」である舞台に切戸口から後見が小道具を持って入って来る。幽玄の世界を立ち上げた後は、再び完全なる無に戻す。
観賞する者は、はたして今見聞きしたものは誠であったものかと幽玄の余韻に包まれるーー。カーチュン・ウォンの音楽には、そんな感触も覚えるのです。
■日本フィルのティンパニの響きはなぜ“一味違う”のか?
さて、先日の「ブル9(3楽章構成)」に続き、今回の演奏中も私はずっとティンパニの音に惹かれていました。
厚みのある繊細な輪郭の中心に音の芯があって、オーケストラの音の一部というよりは、オケの音を内包して底から全体を響かせているように感じられるためです。
ただ、なぜ日本フィルのティンパニにだけそう感じるのかが分からず、ずっと
「不思議な音だなぁ」
と思っていました。
演奏後に日本フィルの数名の方と軽く食事をしたので、そのことを聞いてみると、
「アメリカ式の音」であり「ティンパニの釜が鳴る」からだとある方が教えてくださいました。
感動しながらもずっと言語化できなかったので、答えを知って大きく膝を打ちました。
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