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【カタリ】第2章_契約/捨てる (全7章)

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■カタリ営業の現場

 昼休憩は仕事の区切りのいい人から順に取ることになっていた。会社を無人にしないように2、3人ずつ交代で出る。

 奏は野辺と浜元と3人で、近所の洋食屋に入った。緊張のせいで食欲がなかった奏は、520円の野菜サンドイッチを選んだ。2人が注文した大盛りのナポリタンは、まるで小さな山のようだった。直径30センチほどの大皿に、こんもりと盛られている。ナポリタンの横には、赤ん坊の拳よりも大きなから揚げが2つ、豪快に乗っている。それにカップのコンソメスープがついて700円だった。

「俺らはたいていこれやねん」

 野辺は笑顔でそう言うと、もりもりと頬張る。近所から来ていると思われるパートのお母さんたちは陽気で、野辺と浜元が言う冗談に笑っていた。奏も一緒になって笑った。しかし神経は張りつめていて、首の後ろから肩甲骨にかけての筋がギリギリと痛んだ。

 事務所に戻ると、奏は午後いっぱい営業の電話をかけ続けた。あっという間に1日が過ぎた。就業時間は常に会社の誰かと行動をともにしていたので、精神的に休まる隙がなかったし、我に返って現状を把握する時間もなかった。

 会社を出る頃には、疲労のあまり朦朧としていた。手に力が入らず、バッグから携帯電話を取り出そうとして落としてしまい、拾おうとしてまた手を滑らせてしまうような有様だった。最寄り駅から会社まで朝は迷わずに来ることができたのに、帰りは何度も曲がり角を間違えてしまい駅まで30分もかかった。部活帰りの中学生の集団とすれ違えば何かを吸い取られたような気分になり、1歩進むごとに後頭部や背中から身体がドロリと崩れていくようだった。

 電車で席に座ってしばらくすると、ふと我に返った。心の底で警鐘が鳴っている。

「早く仕事を変えないと、取り返しがつかなくなるかもしれない」

 渋谷に着くまでの20分間、派遣会社のサイトで別の仕事を探し続けた。電波がすぐに途切れるので満足に検索ができず、そうかと思えば求人の詳細に集中しているあまり、駅を乗り過ごしてしまった。ようやく池尻大橋に着くと、駅と隣接しているコンビニのカフェスペースに座ってしばらく求人サイトを観覧していた。しかし、これという案件には出会えなかった。それほど真美術出版舎の給料は、奏にとって魅力的だった。

 入社後2カ月は矢のごとく過ぎ去った。

 みんな人当りが柔らかくて親しみやすい人たちだったし、会社の雰囲気があまりにも和やかだったので、お金を求めてズルズルと働いているうちに最初感じた疑問や危機感は薄らいで、いつしか架空の美術団体を騙ることに何も感じなくなっていた。しかも、奏は営業成績がよかった。初めてかけた営業電話が契約に至ったことで、奏に刷り込まれた「契約=もらえるもの」という認識が功を奏したのだ。意識的であるかどうかは別として、人間は先にイメージしたことに向かって行動を起こし、結果的に事象を引き寄せるのだと思う。奏の場合は多くの作家にとって孫ほどの年齢だったことと、ビギナーズラックを「これが通常だ」と信じ込んでいたおかげだ。

 また奏には話しているうちに想像力が爆発するような瞬間があって、奏自身も想定していなかったような物語が不意に口を衝くことが多くあった。例えば、佐伯に呼ばれて個展会場に行ったときは、作品に描かれている空を見ながら、不意にこんな物語が口を衝いた。

「ああ、こういうことか」

「どうかした?」

「佐伯先生の個展に伺うとマルコビッチ先生にご報告したところ、ヒールの高い靴はおやめなさいとご忠告をいただいたんです。その意味が今わかりました」

「どういうことだろう?」

 不思議そうに首をかしげる洋画家に向かって、奏は続けた。

「佐伯先生の描く空はあまりにも透明なので、本物を目の当たりにしたら吸い込まれてしまうよ。だから、ヒールは危ないのでやめておきなさいって。マルコビッチ先生がおっしゃったんです。でも何かの比喩だろうと高をくくっていたので、うっかりヒールで来てしまいました。実際に作品の前に立つと本当に吸い込まれてしまって、膝がガクッと崩れそうになりましたよ。素晴らしい作品ですね」

 発した誉め言葉で佐伯が笑顔になると、素直に奏も幸せな気持ちになった。マルコビッチとのやり取りを騙っているときは、奏には映像が躍動感を伴って見えていて、実体験の記憶と錯覚していた。

 営業をしているときは、まるでスイッチが切り替わっているようだ。たとえるなら副音声で同時に解説がなされていくように、トークをしながらも虎視眈々と契約を切り出すタイミングを狙っていた。人間関係のストレスはあったが、それも野見山と接しているときの比にならなかったし、どこか心の底でゲームを楽しんでいるような感覚さえあった。また、毎日コンスタントに契約が取れることの達成感も味わえていた。

 一方で、相手を誉めているときは、自分は相手にとっていい事をしているのだと事実を歪曲していられたが、電話を切った後など、ふと我に返ったときに感じる罪悪感と不安は日に日に大きくなり続けていた。仕事をしていない間は、その重みにより、無気力になることも多かった。また、これまでの生活では使わずに済んでいた脳を重点的に使っているためか、帰宅するとボーッとしたまま数時間が経った。頭が働かないので生産的なことは何もできないのに目ばかり冴えて眠れない日々だった。

 ルームメイトだったタイラーとは、帰国後3、4カ月はメールで連絡を取り合っていたが、いつの間にか途絶えていた。大学時代は盛んにアップしていたSNSも、いつの間にかほとんど開くことがなくなった。奏だって心のどこかでは誰かとつながりたくてたまらなかったが、タイムラインに書くネタなど何もなかった。

 会社以外どこにも行っていないし、決まったものしか食べていない。何より、つい先日まで一緒にいたはずの友達が遠のいていく淋しさが、耐えがたかった。タイラーは奏の後に入ったルームメイトと仲良く生活を楽しんでいるようだ。時々アパートの室内がアップされると、白いインテリアも家具の配置も奏が居た頃と同じはずなのに、奏が暮らしていた痕跡などどこにもなかった。彼らが更新していく眩い日常を目の当たりにすると、借金に追われている自分が惨めになる。

 そんな5月中旬のある日、奏は熱を出して3日ほど寝込んだ。体調を崩して欠勤したまま週末に入ってしまったので、合計5連休となった。その前の週にゴールデンウィークもあったので、さすがに金曜日の朝は、欠勤の電話を入れると野辺がこう言った。

「具合が悪いのはわかるけど、さすがに3日連続というのはないわ。午前中はしゃあないから、午後から出てきてな」

 とはいえ、とてつもなく眠くて身体がいっこうに目覚めない。午後になると会社に欠勤の電話を入れ、結局は強行突破のような形で休んでしまった。何度も目覚めたが、起きているのかまだ夢を見続けているのかまったくわからなかった。

 ようやく目覚めたのは夜中だった。携帯には野辺から何度も電話が入っていたけれど、今更どうすることもできない。

 その後も浅い眠りを何度も繰り返した。朝も夜もない。1日の境目も曖昧なものだ。この日、何度目かに目覚めると奏は泣いていた。直前まで見ていた夢の中で、奏は祖母に自作の紙芝居を読んでいた。どこまでが実際の記憶で、どこからが夢なのかわからないが、とてもあたたかなやり取りの断片がまだ頬に残っている。

 夢の中は夏の夕方、西陽で目に映るものすべてが黄金色に輝いていた。お婆ちゃんの頬も、窓の向こうに広がっている水田も。縁側のタライの中で水面がゆらりと揺れて金色の光を反射する様子も、たまらなく美しくて、泣きそうなほど懐かしかった。

「どうしてこんなに幸せなことを忘れていたんだろう」

 目覚めてからも、忘れないように反芻したほど幸せだった。寝返りをうつと、ふと今も自室の本棚に大切に保管されている紙芝居が目に入った。奏はせきをきったように泣いた。

 幼稚園に入ったばかりの頃に書いた、他愛もない話だ。しかし奏がその紙芝居を読み上げるたびに、当時まだ元気だった祖母は声を上げて笑ってくれたものだ。

「奏ちゃんはお話をつくるのが上手だね」

 かつて祖母に誉めてもらった想像力を、今は人を騙すことに使っている。罪悪感の強さが、もう限界なのだと気付かせた。

 数時間後には出勤しなければならない。窓を開けると、玄関先のジャスミンの甘い香りが部屋に流れ込み、重たい空気と入れかわる。いつの間に季節が巡っていたのだろう。玄関先にあるアーチ型の門では、今年も白い花が咲き始めたようだ。あるいはもう満開なのかもしれない。毎日くぐっているはずなのに、まったく目にとめていなかった。

「どうして、こんなことになっちゃったのかな。ただ普通に生きてただけなのに」

 かすれた声はまるで他人のようだ。甘い香りが肌を柔らかく包むと、つぶやきは初夏の夜気に解けた。

■百万円の風

「会社を辞めます」

 奏はそう告げるつもりで出社した。

 意識はフワフワしていて、家から池尻大橋駅までの数分間も電車に乗っている間も東十条商店街の風景にも実感がなかった。

 佳澄によると、借金はまだ4千万円以上残っている。さすがに他の出版社の時給程度では生活できないが、一般的な会社に派遣社員として働くならギリギリ口を糊することができるかもしれない。

 そういえば近所のカフェが週末だけアルバイトを募集していた。時給は850円。10時から18時までだった。休憩の1時間を引くと実際の労働は7時間。行くだけで確実に5千950円もらえる。近所なので交通費はかからないし、昼食は家に帰って食べればいい。隔週で土日のどちらかを休ませてもらったとすると、1カ月の就労は6日といったところか。月収は3万5千700円になる。何とか暮らせるだろう。遊ぶ余裕などないが、今だって同じだ。

 会社のドアを開けるのが久しぶりに感じる。金曜日に連絡を無視し続けたことを責められるだろうと気が重かったが、蓋を開けると逆だった。野辺だけでなく、黒澤も浜元も奏の体調を気遣った。

「ご迷惑をおかけして、すみませんでした」

 奏が挨拶をすると、黒澤は笑顔でキッチンに奏をつれて移動した。促されてイスに座ると、黒澤は「体調はどう?」と切り出した。きっと解雇通達だろう。ちょうどいい、このまま退社を切り出そう。

「実は」

 奏がそう言うと同時に、黒澤は奏の目の前に厚さ1センチほどの新札の束をパタリ、置いた。微かな風が奏の手の甲に触れた。

「少し早いけど、特別ボーナスとして百万円あります。最初はね、入社後半年はボーナスを支給しない予定だったんだけど、棚絵さんには本当にがんばってもらっているから、今後にも期待するという気持ちを込めて特別に出すことにしたの。特に出版社は守秘義務っていって、仕事で得た個人情報や、企画にまつわる情報を外で話さないルールがあるの。だから友達同士で集まって悩み事を聞いてもらうこともできないと思うんだ。キツいと思うけど、会社に貢献してくれてありがとうね」

 奏にとっては生まれて初めて目にするものだった。そして黒澤は、今後は契約が成立したときも手当をプラスすると言った。ゴールデンウィーク以降は1契約につき千円が入る。

 奏は副業にしようと思っていたカフェでのバイトを思った。そこで脚を棒にしながら1日かけて稼ぐ金額は、カタリの契約を6本成立させれば稼ぐことができるのだ。つまり今まで通り1日2本ずつ契約を成立させるだけで、1カ月で得る契約成立手当が週末のバイト1月分以上に相当する。ボーナスは借金の返済には欠かせないし、このペースでいけば月給30万円弱をキープできる。借金を返しながらもときどきは新しい洋服を買ったり、誰かとお茶を飲んだりもできるかもしれない。奏の中で決心が揺らいだ。

―― お金がほしい。

 数秒の沈黙の末、黒澤は微笑みながら言った。

「さらに、こういうのはどうだろう。特別な条件だから、他の2人には言わないでもらいたいねんけど」

「特別な条件、ですか」

「棚絵さんは今、毎日1本以上は契約をとってくれるでしょう。月にだいたい20~30本やから、間をとって月に25本としようか。おおまかに言うと単価10万円の展覧会の場合は250万、単価30万円の画集の場合は750万円を1人で売り上げてくれているねん。こんなに若いのに、大したことやと思うわ。棚絵さんに僕は、才能と将来性を感じているんだよ」

 奏は耳を疑った。野見山には、「これならもっと若い学生アルバイトを雇ったほうがいい。棚絵さんの年齢では、もう宴会に花を添えることすらできないのだから」と言われたのだ。

 1年近く経っているのに、ふとした瞬間につらい記憶の数々が蘇る。当時は、何から何までうまくいかなかった。野見山に聞いた通りに動いたものの、別部門にはまだ社内共有がされる前だったという理由で、行動を起こす度に担当者から「聞いていない」とクレームが来続けていた。「できない」と言えば叱責され、仕事に執着すれば、同僚を引き合いに出されて「彼のように、できないなら早めにサインを出せ」と言われる。土曜の深夜に野見山から届いたメールに月曜日の対応でもよいかと問えば、「急ぎの場合は電話する。当たり前のことを何度も返信してこなくて結構」だとクギを刺された。仕事は毎日深夜に及んだが、個人の能力の低さが原因で残業した場合のタクシー代など請求できないので、仕事を持って終電に駆けこむか、歩いて帰っていた。こんな自分の仕事が、人間関係を含む環境が変わっただけで人に褒めてもらえるなんて、信じられない。

「ありがとうございます。きっと、たまたまです」

「いやいや、僕が前の会社でスタートを切ったときよりも、だいぶ筋がいい。そこでね、売上150万を超えた場合、棚絵さんにこのぐらいバックしようと思うんだけど、どうだろうか」

 そういうと黒澤は、スマートフォンのメモアプリを起動した。画面には簡素にこう書かれていた。

・売上150円~200万円未満→売上の30%

・売上200万円~250万円未満 → 売上の35%

・売上250万円以上 → 売上の40%

 混乱して計算できずにいる奏に代わって、黒澤が電卓をたたいた。

「現在の月給が25万円でしょう。それは最低保証額として、150万円未満は据え置きにさせてもらうね。その分、例えば今までの契約額で言うと、月に250万円弱は契約できているから、仮に月の契約成立額が249万9千円だったとして、35%をかけると87万4千650円。これを報酬として支払うよ。それに契約成立手当を1本につき千円加算するから、そうやな、契約成立手当は30本だとして、3万円としようか。合計で約90万5千円が棚絵さんの給料になる」

「私の月収が、ですか」

「そう、棚絵さんのその月の給料だよ。さっきの額より千円高く契約して250万円売ってくれたら、バックは40%だから百万円。単純に契約成立手当を3万円として、合計103万っていうところか。画集のときは単価が3倍だから、今までと同じ労力で、約230万円になるね。契約成立手当は契約書が戻ってきた月に計上して、報酬は1回目の支払いがあった月から計上することにしよう。完済までの入金管理はこちらでするから、棚絵さんは気にしなくていいよ。所得税が引かれるから手取りは少し減るけど、どうかな」

 展開も早く、金額が大きすぎて実感が湧かない。奏が黙っていると、黒澤は笑顔で言った。

「それだけ棚絵さんには期待してるっていうこと。そして、棚絵さんだから正直に僕の心の内を話すと、独立されたら困るなって不安を感じるくらいの逸材なんだよ」

 カタリが、カタリに、おいしい話を持ちかける。軽い眩暈とともに、鼻腔の奥に玄関先のジャスミンのやわらかな香りが蘇った。

 どうして、こんなことになっちゃったのかな。

 ふと胸の奥が締め付けられると、これまでのことが走馬灯のように目の前を巡った。

■再建を目指して

 6年前。奏は中学2年生の春に、愛媛県から家族で上京した。といっても、奏が小学校に進む直前に雄一郎が転勤になるまでは、同じ世田谷区池尻にある母、佳澄(かすみ)の実家で暮らしていたので、懐かしい家に久し振りに戻ったという感覚だった。

 再び母方の祖父母と同居を始め、それまで祖父が自宅で営んでいた『棚絵商店』という個人商店を、義理の息子である奏の父、雄一郎が『Tマート』というスーパーマーケットに拡大した。大手スーパーに比べれば割引商品の数は少ないものの、お弁当や生活雑貨の配達をまめにしていたことや、馴染みのお客さんごとに必要だと思われるものを祖父が覚えていて、安く店頭に並べる日を事前に連絡してあげるといった、地域密着型のサービスが喜ばれて3年ほどは順調だった。しかし奏が留学する直前に祖父が他界。同じ頃に雄一郎は世田谷区内にスーパーをもう1店舗増やしたが、1年経つかどうかという秋の終わりに潰れてしまった。

 癲癇てんかんの障がいのある佳澄は、昔から、常に被害者だという立場を崩すことはなかった。意図的ではないようだが、交渉や話し合いの場で自分の分が悪くなると倒れたり、ときにはストレスで過呼吸になったりした。自分が行きたい場所へは「今日は調子がいいの」と言って楽しそうに出かけていくが、それ以外ではしょっちゅう体調を崩して予定を変更していた。

 奏から見て佳澄は、少々頑固で僻みっぽい性格だと思う。自分に非があった場合も決して謝罪しない。まったく関係のない過去のトラウマを取り出してクドクドと相手を責め、揚句は体調不良という理由に逃げ込む。そのため周囲から人がどんどん離れていくのだが、佳澄はいつも相手の陰口を言い、否定することで身を護ってきた。雄一郎に対してもそうだった。奏が小さな頃から佳澄は、雄一郎のことを「効率を優先し、損得勘定で動く合理主義者」と言っていた。確かに雄一郎は感情があまり表情に出ない。物腰しは柔らかく、朗らかに笑うことも多いが、それが本心なのか奏にもわからないことがある。

 奏が大学時代、留学先のアメリカから日本に連絡するときも、佳澄は電子メールを嫌った。奏から連絡をする機会が極端に減ったのは、自然なことだ。佳澄に時間を合わせるためには、その前後に色々なことを調整しなければいけないからだ。同じことを伝えるなら、メールを送れば済み電話は補足程度の雄一郎とやり取りをするほうが楽だった。記憶があいまいになったことも、読み返せば済む。確かに電話には適わないが、メールの文字からも相手の優しさを感じることはできる。少なくとも、時間軸を相手に委ねている親切心を感じられる。

 雄一郎から「来年度分の学費が払えなくなった」という電話がきたのは、ニューヨークの寮で友達とクリスマスツリーに飾りつけをしながら盛り上がっていたときだった。もともと生活費はアルバイトで賄っていたが、翌年度の学費まではさすがに工面できない。雄一郎との電話を切った後は、ツリーの飾りつけをしながら気もそぞろで、友達の笑顔も水槽の中から眺めているような距離があり、すべてが他人事のようだった。

 途方に暮れていると、翌日になって今度は佳澄から電話があった。奏が結婚するときのためにと、密かに貯めていてくれたお金から学費を出してくれるというのだ。ほっと胸をなで下ろしていたのも束の間。年が明けた1月の下旬、再び雄一郎から寮に電話があった。奏の部屋に友達が集まって、夕食に手を付けようとした頃だったから、日本では昼前だったろう。雄一郎は「夏になったら日本に帰って働いてもらえないだろうか」と言った。借金で身動きが取れなくなっているので、家計を助けてほしいと言う。

 奏は、つとめて冷静に、佳澄とのやり取りを再現して伝えた。「なるほどね」。そう言うと雄一郎は、苦しそうにこう続けた。「申し訳ないんだけど、それはもう無理だなあ」。

「どういうこと?」

 少し不安になって奏が聞くと、雄一郎は溜め息のような深呼吸をして、こう言った。

「結論から言うと、その貯金は返済に充てた。正直に話すと、家にね、さらに借金があることがわかってしまったんだ。1つ言えることは、徐々に増えたわけじゃない。気づかなかったお父さんに責任があると思っている。そして、こんなふうに結論だけを押し付けて、奏の人生を左右してしまって申し訳ないと心から思っている。でも、今はまだ詳しく話さない」

 雄一郎は借金の返済に奔走していたが、その間に借金が増えてしまった。総額は6千万円ほどだという。わかったのはそれだけで、どれほど問い詰めても納得できる理由を聞かせてはもらえなかった。

 奏は黙ったまま、今まで電話機に落としていた視線を上げた。窓ガラスには硬直した自分の顔と、すぐ後ろに電話が終わるのを待ち構えている友達の笑顔が映っていた。それぞれ手にクラッカーを持っている。

「奏、法的には子どもに親の借金を返済する義務はない。それでも、お父さんの力になってほしいんだ。本当に、申し訳ない」

 雄一郎からの電話を受けたのは、ちょうど寮の友達とパーティを始めるところだった。特に仲のいいタイラーが焼いてくれたという大きなケーキは、おからと米粉でできているはずだ。

「すぐには、答えられない」

「そうだよね。では、例えば3日後ではどうだろうか。またお父さんから電話するから」

「わかった」

 そうするより他に方法がないから、雄一郎は奏に電話をかけてきたのだろう。しかし首を縦に振りたくなかった。学歴に固執しているわけではない。やっと手に入れた居心地のいい人間関係を、失いたくなかったのだ。

 奏は周囲の空気を読めず口下手なために、子どもの頃からいつも周囲から浮いていた。自分では周りと同じことを言っているつもりでも、いつも奏だけ笑われるか叱られていたので、日本にいる間は警戒しながら正解を探っていた。しかし、周囲からは他意があるとよく誤解されていた。その性格や扱いにくさを母はおかしいと言って、よく電話口で他人に相談していた。

 また、学校でも先ほどまで仲良くしていた級友たちの心が、突然クモの子を散らすように離れる経験を何度もしたので、奏としても自分だけが周囲と調和していないことがコンプレックスになっていた。行動を起こそうともしないで、ただ愚痴や噂を言って共感し合う女子の集団に疑問を抱きながら、彼らと調子を合わせ続けなければならないという、プレッシャーが窮屈でたまらなかった。それは高校に進んでも同じだった。

 ただ1人、2年生から同じクラスになったシエロこと|江口優実≪えぐちゆうみ≫の存在は、環境や付き合う人が変われば、自分も人と交流できるのかもしれないと、奏に淡い希望を持たせてくれた。
 シエロの温厚さも、自由な発想で驚かせてくれるところも奏は好きだったし、憧れていた。とはいえ、どんなに仲良くなっても、奏が心を完全に開いて接すれば、いつものようにシエロも去っていくかもしれないという恐れはいつも心の底にあった。高校生活で友達と呼べるのはほぼシエロだけだったが、彼女と一緒にいることで、結果的にシエロを慕っている級友とも一緒にいることができた。

 そんな性格なので、自分の能力では団体行動なんて絶対に無理だと思っていた。詮索されるのも苦手で、人とは常に一定の距離を保っていたかった。もう日本では、シエロ以外の人に純粋な好意を抱いてもらえることはない気がする。奏がもっと広い世界を見たいと留学を決意したときに、何気なくシエロに告げると、バカだなあ。そんなことないよ、と笑いながら、それでも海外のほうが奏の心が自由に羽ばたけるんじゃないかと私も思う、とすぐに肯定してくれた。そんな奏が、アメリカではすぐに友達ができ、今では人に囲まれているのだ。

 雄一郎からの電話を切った後しばらくは思考が働かなかったが、奏は翌日、借金について本やインターネットで調べてみた。考えたくもない事だが親が亡くなったとき親に借金があって、子どもが借金も含めて財産を相続する場合は、子どもに返済の義務が発生するようだ。

 これは相続を放棄すれば回避できる。しかし、法的には存命中の親の借金を子どもが返済する必要はない。雄一郎が言っていた通りだ。そのうえで奏に協力を求めてきた理由とは、一体?

■「債務整理」と「民事再生法」

 調べていくうちに、借金の負担を軽減する「債務整理」という方法があり、中でも雄一郎の場合は3つほど手段があるとわかった。

 「債務整理」とは、お金を貸している債権者に、借りている債務者である雄一郎が掛け合って、返済額や返済方法を調整してもらう方法だ。手続きにはいくつか種類があるので、多くの場合は弁護士に間に入ってもらうようだが、金額が少ない場合は、「任意整理」といって、自分で掛け合うこともあるようだ。ただ、「債務整理」をするには条件がある。責務者に継続的な収入があるかどうか、減額した後の借金を、3年程度で返済できるかどうかなど。雄一郎の場合は、店が潰れたことで、継続的な収入が見込めなかったのだろうか。

 また、「債務整理」には「特定調停」という方法もある。これは長年にわたって返済を続けてきた場合、利息を計算し直して、払い過ぎた利息を元金の返済に充てるなど、話し合いにより返済条件を軽減してもらうものだ。

 経営者であった雄一郎には、「民事再生法」も考えられたはずだ。この方法なら雄一郎は事業を続けることができた。色々と厳しい条件はあるものの、スーパーなど小売店は「事業の健全性」という条件を満たしている。また、大幅なコストカットや、黒字を出し続けるための具体策などの提出が求められるようだが、経営について祖父と喧々諤々、議論を交わしていた様子から、雄一郎には難しいことではなかったように思う。ただ、雄一郎は自宅の他に出店したスーパーを1年経つかどうかという秋の終わりに潰している。担保となる事業が不調で黒字が出ておらず、「民事再生法」でも救えなかったのかもしれない。

 最後に、「自己破産」。これは奏でも名前を聞いたことがあった。「債務整理」の最終手段で、20~40万円の費用はかかるそうだが、免責が決定すれば借金がすべて無くなるという。奏は自己破産をすればすぐに近所中にわかり、孫の代まで後ろ指を指されるものと勝手に思っていたが、それは誤解のようだ。

 法令などを報せる「官報」という国の新聞には掲載されるようだが、役所などでしか閲覧できないので、わざわざ調べでもしない限り他人に特定されることはない。また、「破産者名簿」という公的な書類に名前が載るそうだが、これは一般の人は見ることができないし、免責が決まったら削除されるそうだ。

 確かに持ち家である実家を売ることにはなるし、以降7~10年間はいかなる場合も借金ができないそうだから、現在46歳の雄一郎にとっては最長56歳までとなる。ローンが組めないだけで諦めざるを得ないことも多いだろうが、一定期間が過ぎたら、また今までのように挑戦できる。

 この場合は、仕方ないんじゃないかな。

 「自己破産」という言葉は重く、奏は調べながらショックを受けていたが、同時に情報を得るごとに冷静になってもいた。察するに雄一郎は、「特定調停」をして返済する道を選んだのだろうが、奏としては「自己破産」をして、楽になってもらいたい。イチからやり直せばいいし、奏がこのまま大学を卒業して就職したほうが、長い目で見た場合、家を建て直す近道になるのではないだろうか。

 約束の日の夜、電話の向こうの雄一郎に奏はそう訴えたが、雄一郎は申し訳なさそうにその提案を却下した。

「自己破産は、お父さんも考えたよ。でも正直な気持ちを言えば、あの家を手放してしまえば、二度と世田谷でスタートができなくなってしまうのではないか、と思っているんだ。無駄な執着だと自分でもわかっているんだが、いまはまだ、返済しながら踏ん張ってみたいんだ。申し訳ないんだが、助けてくれないだろうか」

「お父さんは、また、商売で挑戦しようと思うの?」

「ああ、次こそ成功させる。生活をかけて働きに来てくださっていた人たちを、巻き込んでしまったからな」

 雄一郎がこんなふうに奏を頼るのは初めてだ。奏は大きく深呼吸をすると、言った。

「じゃあ、とりあえず1年だけだよ。家族のために働くね」

 数日後、奏は断腸の思いで大学に休学届けを出した。雄一郎との約束は1年。その間は働いたお金で家計を助けるが、同時に復学するための資金も稼ぐ。決めたとはいえ、荷造りをしている最中、急にネガティブな思考に包まれた。

 もしかしたら私、親に騙されているんじゃないのかな。私みたいにバイトしか経験がない女の子が働いたくらいじゃ、母娘2人が生活するなんて無理じゃないかな。お父さんは自分で会社をやっていたんだから、そのあたりのことはわかっているはずだ。

 部屋の反対側のソファに寝転んで、酵素食のレシピ本を読んでいたタイラーが顔を上げた。

「奏、不安なの?」

 奏は違和感をそのまま言葉にした。

「いくら店舗付きだからって、自宅を手放さずに、若い娘に経済的な助けを求める親ってさ、もしかしたら、言わないだけで私に水商売とか風俗とかで働くことを望んでいるんじゃないかな」

「どういうこと?」

「特定の職業についてどうこう言うつもりじゃないの。ただ、本当は、両親が執着してるのは家じゃなくて、大金に化ける可能性のある若い娘なんじゃないかなと思って、怖いんだ」

 そう呟く奏の頬には涙が伝っていた。タイラーはソファから駆け下りて、笑いながら奏を抱きしめた。

 6月の初旬。週末ということもあり、渋谷は人で溢れかえっていた。渋谷駅でJRから東急田園都市線に乗り換えて2分。奏は電車から吐き出されると、ベビーピンクのスーツケースを引きながら、池尻大橋駅の改札を出た。階段を昇って地上に出ると、ムッと蒸した空気が全身を煽った。

 午後3時を過ぎたばかりだ。246を横断しようと、信号が切り替わるのを待っている。通行人はまばらだ。塾の帰りだろうか、奏の横でマジメそうな女子高生が、楽しげに英単語の問題を出し合っている。奏たちの間をお婆さんがすり抜けて、バス乗り場に向かってゆっくりと歩いていく。

 246を渡って旧大山道に入ると、ふとん店とクリーニング店が向かい合う、懐かしい風景が奏を迎えた。居酒屋やコンビニと並んで、新しくカフェが幾つかできている。離れていたのは1年ほどだというのに、微妙に店が変わっている。祖父と父が実家の一部で経営していた「Tマート」の跡地も、近所の人たちに同じような違和感を抱いてもらえているのだろうか。

 ふと、祖父の言葉を思い出した。時代の流れにはある程度合わせながらも、あくまでも個人商店という原点にこだわり続けた祖父と、世田谷区内に店舗数を増やしたり、店舗から2キロ圏内に限り1日に1度、少額で配送サービスもしたりと業務拡大をしたがる雄一郎とは、よく意見が対立していた。普段はしょっちゅう2人で早朝から沖釣りに出かけては、揃って満面の笑みを浮かべて帰ってくる。釣りに行かない日でも、夕食のときはたいてい海や魚の話を楽しそうにしている。佳澄に「大きな子どもが2人いる」と呆れられるほど仲がいいだけに、経営方針について話し合っているときの様子は、印象的だった。

 一度、議論がヒートアップして、祖父が「婿養子の君にとやかく指図される覚えはない」と言ったことがあった。そのときの、雄一郎の淋しそうな表情を奏は今も覚えている。祖父もそれに気づいたようで、「悪かった。きみがどんなに店のことを考えてくれているか、わかっているのに」と謝っていた。

 祖父はよくこう言っていた。

「俺たち商売人っていうのは、店の大きさよりも継続性を優先しなきゃいけない。第1に、店を潰しちゃいけないんだよ。国家予算を使って再建してもらえるのは、ほんの一握りだ。経営不振だの不祥事だのって、ニュースで取り上げてもらえるのもそうだよな。うちみたいな小さな商店は、たとえ親子二代に渡って商売させてもらってたって、店がなくなって1年も経てば、近所の人にさえ忘れ去られて終わりなんだよ。あっさりしたもんだ」

 それは大前提として雄一郎も同意していたようだ。潰さないために拡大したいという雄一郎と、深堀りをして副産物としての広がりを望む祖父とは、ものごとの進め方が違っていたようだ。例えば同じ沖釣りをするのでも、「食べて美味しい魚を釣る」という点では共通していたが、祖父は比較的、釣れやすいイカをたくさん釣って、自分たちで食べたり冷凍庫に保存したりしても余る分を、フライにしてから近所に配った。雄一郎もたくさん釣れたときには近所に配ることもあったが、それよりも、よりサイズの大きな魚を釣り上げることに楽しみを見出していたようだ。

 コンビニの角から1本奥まった路地に入り、さらに薬局の角を曲がる。家庭ゴミの収集所を通り過ぎると、湯気を含んだせっけんの香りが銭湯から漂ってくる。ふと緊張がほどけたことで、無意識に全身に力を入れていたとわかった。

 大人が自転車を引きながらようやく通れるほどの細い路地を入ると、左側には奏が子どもの頃から頻繁に通ってきた銭湯の駐車場が続く。右側には民家が数軒続いている。玄関はほぼ路地とは反対側に向いているので、通路からはキッチンの窓やリビングなど、より私的な表情が見える。近隣の住人しか通らない抜け道が、ほんの少しだけ他人行儀に視界に馴染む。

 アパートの白い壁には朝顔の細いツルが這っており、階段を大きなグレーの猫が上っている。アパートの住人だろうか、オレンジ色のポロシャツを着た、奏と同じ年頃の背の高い男とすれ違った。ブルーのカラーコンタクトレンズをはめた不自然なほど大きな目の、片方を長く伸ばした前髪で隠している。明るい色の毛束を束ねて跳ねるように軽くカールしている。肌の色は白く、まるで作り物のように整った顔だちをしている。ポロシャツの袖から虎のタトゥが見えた。

 スーツケースの車輪を鳴らしながら路地を進むと、優雅な甘い香りが届いた。母が庭先で育てているピンク色のユリだ。奏は大きく息を吸い込む。少し前までは、アーチ型の門にツルを這わせた羽衣ジャスミンが満開になり、瑞々しく香っていたことだろう。香りに引かれるように進むと、すぐに小ぶりな葉が青々と茂ったアーチが見えてきた。ここは正式には家の裏手にあたる。以前は店として使っていた5坪ほどのガレージが正面だ。正面のほうが出入りしやすい作りだが、店を閉めてからは柵を立てている。ジャスミンはツルが伸びすぎて、アーチから垂れ下がっている。奏はツルを片手でよけながら、今一度ユリの香りを深く吸い込むと、チャイムを押した。

 玄関に複数の靴が脱ぎ散らかしてある。また、靴箱にはしばらく使っていないような傘が何本も掛かっており、郵送で届いたパンフレットが数冊、封も切らずに置いてある。これらは父の不在を伝えてくる。きれい好きで、率先して整理整頓と掃除をしていた雄一郎なら、この状態を放置しないだろう。

 奏は靴を軽く揃え、家の奥に声をかける。持参したスリッパに履き替えると、隅に薄く埃の見える廊下を通り、リビングに行った。無造作に置かれたプリザーブドフラワーもうっすらと埃をかぶっており、その下のテレビからは夕方のニュース番組が流れている。特売品を多く扱った商店街の映像は、ふと、雄一郎の経営していたスーパーの活気を思い起こさせた。

棚絵 佳澄たなえ かすみ

「ああ、お帰りなさい」

 久しぶりに見た母・佳澄かすみは、なぜか顔面の皮がピンとつっぱっていた。「そこに座っていて。何か飲むでしょう?」。笑顔はぎこちなく、まるで筋肉を糸で吊っているかのように見えた。奏が着ているシャツの黄色とは対照的に地味な色の服を着た佳澄は、億劫そうに立ち上がった。

 リビングの奥にはスーパーの名前の入ったダンボールが無造作に積まれている。そのひとつに手を突っ込むと、インスタントのコーヒーのパックを取り出し、重い足取りでキッチンへ向かった。

 リビングにはL字にソファが配置されている。そこに、と言われた辺りには先月付の日経新聞が何部も積んであり、背もたれにはベージュのカーディガンが脱いだまま放置されている。必要なものや気に入っているもの以外は持たず、常に身辺をスッキリ整えておきたい性質の奏にとって、散らかっている実家は申し訳ないが苦痛だった。

 奏はハンカチを広げて、上に注意深く腰を下ろすと、佳澄はコーヒーと菓子を乗せた盆を持って戻ってきた。ブランド物のマグカップは厚さもデザインも不揃いで、縁には溶け残ったコーヒーがわずかに残っている。

「この家は引っ越さずに、最終的にはこの場所で、お爺ちゃんとお父さんがつくった『Tマート』を再建するっていうことなんだね」

 奏が言うと、佳澄は目を吊り上げた。

「一緒につくったなんて言わないで。つくったのはお爺ちゃん。お父さんは勝手に野望を抱いて業務拡大を目指しただけよ。あの冷たい合理主義者に乗っ取られたと言ってもいいわ」

 相変わらず、あまり夫婦仲がよくない。佳澄が雄一郎を悪く言うたび、奏は胸が痛んだ。

「離婚して、お母さんは実家を守って、お父さんは自己破産してやり直す、っていうのじゃダメなの?」

「バカなことを言わないで。親の離婚を勧める子どもがどこにいるのよ。離婚はしません。これは神様が私に与えた試練だと思うから」

 実はこの瞬間まで、「自己破産」を勧めれば同意を得られるのではないかと、心のどこかで期待していた。しかし、佳澄と話してはっきりとわかった。池尻大橋の実家にこだわっているのは佳澄だ。雄一郎は再建できる可能性に淡い期待を持ち、それで精神状態を支えているのだろう。

 奏は雄一郎から受けた説明を要約して伝えた。雄一郎が返済をし、奏が佳澄を養う。奏の給料に余裕がある時は、少し返済に回す。佳澄もこの内容に間違いないと言う。

 佳澄はため息をつく。癲癇の障がいを持つ佳澄は、奏が物心がついた頃にはすでに月に何度も発作を起こして、転倒していた。

 発作が治まるまでしばらく意識がない場合もあるが、意識がある場合は、周囲の問いかけにうわごとのように返事をしたり、朦朧としたまま立ち上がって、周囲の物をひっくり返したりした。危険だと言って雄一郎は反対していたが、それでも佳澄は毎日キッチンに立ってくれていた。奏は佳澄の手料理が好きだったが、料理中に倒れて火傷を負い、入院したところを何度か見ているので怖かった。できるだけ手伝っていたが、いざ転倒した佳澄を前にすると、子どもの力では火を止めることくらいしかできなかった。

 授業参観などの学校行事でも、家族で出かけた先でも毎回のように佳澄には発作が起きた。また、過去にパートに出たこともあったが、自転車での帰宅中、坂道を下っている最中に発作が起きてしまい、骨折をしたことがあった。勤務中もそうだったのだろう。安定した労働ができないことが原因で、何度も解雇されてきた。本人によればストレスが発作の引き金になるという。きっと緊張することで悪循環が起きたのだろう。状況は奏にもわかる。

 佳澄は腰をさすりながら自室に引っ込んだ。そんな佳澄の背中が、なぜかひどく虚しく見える。奏は咽に力を入れながら立ち上がり、窓を大きく開けると換気をした。

■捨てる

 奏が使っていた6畳の洋間のドアを開けると、そこは物置と化していた。部屋の空気はどんよりと澱み、ダンボールが天井まで乱雑に積み上げられていた。何か1箱でも動かせば、それだけで一気に崩れそうだ。試しにいくつか開いてみると、中身は取り立てて使うあてのない大量の食器や、時代遅れのバッグと服。ビジュアル系バンドのグッズなのだろうか、「咲楽 永遠さくら とわ★生誕祭」というロゴとともに顔写真がプリントされた、封を切っていないピンクのお酒のボトルも5、6本出てきた。それらはすべて新品だ。箱の隙間には、電気コードの束も見える。まるで蛇の群れのようだ。

 自室にこもっている佳澄を呼ぶ。彼女は「ああ、ここにあったんだ」と呟くとバツが悪そうな顔でビンを手に取った。寄付したりフリーマーケットで売ったりする予定だと言う。

 奏はまずトレーニングウェアに着替え、箱の隙間に潜り込んで部屋の奥まで進んだ。音を立ててはダンボールの山が一部崩れる。遠くで見ていた佳澄は悲鳴を上げた。

「またあなたは! 大きな音を立てるとご近所迷惑になるのよ」
「昼間だから大目にみてもらえるよ」

 そう言ったが、咳こんでしまって、ほとんど言葉にならなかった。カーテンを外して窓を開け放つ。力強い昼の陽が入る。夏の空気がゆっくりと部屋の澱みを押し流し、新鮮な空気と入れ替えていく。注意深く物を動かすと埃が舞い、細かく光りを反した。

 お互いに先ほどのいざこざを引きずっていた。奏はイラだってしかたがなかったし、佳澄は奏をまるで敵のように睨んだ。しかし、佳澄は最初こそ抵抗したものの最終的に折れた。奏は佳澄が絶対に必要だと言う物を廊下に出し、それ以外を捨て始める。大きく広げた半透明の袋に荷物を放り込んで外に出すと、その分だけ部屋と心に空間ができる。そこに新しい空気が流れ込んで、呼吸が楽になる。

 1箱捨てたことで、佳澄も踏ん切りがついたようだ。はじめ佳澄は箱の奥まで覗き込んでしばらく迷ったり、自分でも忘れていた所持品を再発見したことで喜んだり、それにまつわる思い出話をしていた。しかし、次第に箱を見ずに捨てるようになった。

 佳澄は山積みになった古新聞を、持ちやすい量だけ束ねては玄関の横に運んでいた。ゴミの回収日まで間があるものは、玄関を出てすぐ横に積み上げておくことにした。人目について恥ずかしいと佳澄は抵抗したが、植え木に隠れて見えないというと、納得していた。 

 占領していた物を家の外に出すたびに呼吸が楽になっていくし、何より動きやすい。整理に没頭しているうちに、ささくれ立っていた感情も落ち着いてきた。体が重いのは作業を重ねた後ではない。最初の1つに手をつけるまでだ。

 はじめは佳澄が「要るのよ」と叫んでいたダンボールも最終的には半分以下に選別されて、半透明の衣装ケース2つになった。これは奏が小学生の頃に着ていた服だった。「拭き掃除とか、何かをこぼしちゃったとき拭くのに便利だから取っておいて」と佳澄が言うので、今回の掃除で使いきれなかったら捨てることにした。

 埃がクモの巣のように垂れ下がっていた天井と、壁と床に掃除機をかけ終えると、5時間が経っていた。拭き掃除に取り掛かろうとした頃に夕食になったので、ザッとシャワーを浴びてからリビングの席についた。テーブルには出来あいの揚げものと野菜の煮物が、リモコンやチラシや何かのノベルティであろうキーホルダーと一緒に並んでいた。味噌汁の碗に沈んでいるシジミが、申し訳ないが道端に転がっている砂利のように見える。

 埃を立てないように注意しながら、料理以外の物をソファに移動させて不要なものを捨てていると、つい半日前までいたアメリカのアパートの真っ白いテーブルや、そこでタイラーと一緒に食べていた色とりどりの新鮮な野菜サラダや、玄米のタコライスなどが思い起こされ、淋しくなった。

 夕食後は汗だくになりながら黙々と天井と壁と床を、ワイパーにセットしたタオルで磨いた。続いて廊下にも掃除機をかけ、同じように拭き掃除をした。衣裳ケースが壁に沿って積み上げてあるため、廊下を隅々まで拭くことはできなかったが、奏が眠る部屋は何とか片付けることができた。あの状態の家に居続けるのは、飛行機と電車を乗り継いで帰郷した道中よりも、何倍も疲れたことだろう。大変だったが、掃除をした後は奏ばかりか佳澄までも、埃で手も足も頬も黒くしながら爽やかな表情をしている。

「奏、そろそろお風呂に行ってきたら?」

 時計を見ると、いつの間にか23時を過ぎていた。

「お母さんが先に入っていいよ」

「そうじゃなくて、銭湯に行ってきたら? 久し振りだし、大きな湯船に浸かりたいでしょう。お母さんは家でシャワーを浴びるから。そろそろ行かないと閉まっちゃうわよ」

「私だけ、いいの?」

 佳澄は頷くと、洗ったばかりだと言ってタオルを2枚出してくれた。子どもの頃から通い慣れた銭湯の営業時間は残り少なかったが、全身埃まみれで駆け込んだ。一時的に帰国していることを受付のお姉さんに告げると、「お風呂上りにレモンスカッシュをあげるから、帰る前に声をかけてよ」と微笑んでくれた。

「奏ちゃんはこれが好きだもんねえ」

 そう言ってくれたお姉さんの笑顔を、奏は湯船で全身をゆったりとのばしているときと、短い髪を洗っている間に何度か思い出して、喉の奥が絞めつけられた。

 銭湯を出たのはすでに深夜だった。駐車場に散らばっている細かい砂が、街灯にキラキラと浮き上がっている。奏は鼻歌をうたいながら路地を進み、庭先から漂ってくるユリの淡い香りのカーテンを抜けて、再び家に入った。隅々まで掃除をすると、その場の空気はシン、と澄み渡る。部屋に入るとライトをつけ、整頓された部屋を見渡した。抱え込んだ大きな問題の答えは出ていないが、重要な問題をひとつ解いたような安堵感に包まれた。家の中でライトが付いている部屋はここだけのようだ。佳澄は疲れて寝ているのだろう。

 ライトを消そうとすると、ふと本棚の奥が気になった。掃除中には気にも留めなかったのだが、アルバムの間にA4サイズの古い画用紙の冊子が差し込んである。「おえかき」と大きく書かれた古い厚紙の表面が擦り切れている。開くと、拙い輪郭で家と女の子が何枚にも渡って描かれていた。クレヨンで力強く書かれた不揃いなひらがなを読み解いていくうちに、奏はそれが幼稚園に入ったばかりの頃に書いた紙芝居であることを思いだした。

 女の子が学校から帰宅し、お菓子を食べるというだけの物語。当時まだ元気だった祖母は登場するセリフが園児にしては大人びているといって、奏が読み上げるたびに声を上げて笑ってくれた。

「さあ、宿題に取りかかろう」

「ふふふ、偉いわねえ」

「とは言うものの、今日は宿題が無かったんだ」

「とは言うもののなんて、どこで覚えてきたのかしら」

 毎回ここで祖母が笑うので、奏も一緒に涙が出るほど笑った。

「奏ちゃんはお話をつくるのが上手だね」

 祖母はそう言って誉めてくれた。笑顔が見たくて、奏はそれからたくさん本を読んで、いろいろなお話しをつくったものだ。

 パチリ! 何かがぶつかる音で奏は我に返った。ライトに引き寄せられて、小さなコガネムシが窓ガラスに当ったようだ。奏は紙芝居をスーツケースの中に仕舞うと声に出して呼んでみた。

「おばあちゃん。1年間だけ、がんばるね」

 これまでアルバイトしか経験のない19歳の学生が、母と自分を養ったうえに学費を貯める。どうすれば、それだけの稼ぎを得られるのかはわからない。しかし、ほかに誰もいない。

 それからの2週間、奏は実家の大掃除に明け暮れていた。

 棚絵家は、旧大山道から1本入っているものの人通りのある路地に面して建っている。南に向いたガレージを、もとは祖父の部屋で現在は佳澄の自室となっている8畳間と、キッチンとで挟んでいる。ガレージの奥にリビングと奏の部屋が並んでいて、ジャスミンを這わせた門は家の北東にあたる。もとは家族専用の勝手口という位置づけだった。他にトイレと風呂場があり、それぞれを短い廊下がつないでいる。2階には後から増築したらしい8畳間があり、雄一郎が書斎として使っていた。

 奏の部屋と廊下は昨日、掃除をし終えていたので、翌日はトイレと風呂場を掃除した。続いてリビングと廊下と玄関。必要な物だけ選んで残し、他は潔く手放す。空いたスペースを磨きあげると、部屋の空気がシン、と澄む。一旦は大掃除が済んだと思った部屋も、数日後にはまた不要なモノが見つかる。その繰り返しだ。徹底的に掃除をし終えたと満足げに見回したときに、通気口を埃の塊が塞いでいることに気づくこともあった。

 片付けている間、佳澄とは何度か喧嘩をした。佳澄にとっては、溜め込んだモノを「要るの?」と問われるだけで、自分の存在をも否定されていると感じるようだった。奏にとっては不要に思える埃まみれのボロ布でさえ、勝手に捨てると喧嘩のもとになる。

 しかし2人で家の中を片付けているうちに、少しずつ佳澄と、角を立てずに会話ができるようになっていた。

 奏は昔から、心の中が複雑に絡まったときほど、いったん考えることを止めて整理整頓や掃除をした。例えば引き出しの中やバッグの中など、スペースは狭くても構わない。スッキリと片付け終わる頃には不思議と心の中も整っていた。これは雄一郎の影響だろう。

 留学する前まで、週末には掃除好きの雄一郎と家を掃除していた。といっても一緒に同じ場所を掃除するのではなく、どちらかが掃除しているのを見て触発され、それぞれ好きな場所を黙々と掃除していた。子どもの頃からの習慣だった。「また掃除してるの」佳澄はあきれたように毎回こう言いながら、つられて自分の身の周りを整理していたものだ。

 そんなある日、2人の関係に変化が起こった。奏が玄関を整理した日、天井に棚を設けてまで溜め込んでいた大量の靴を捨てた。それ以降、佳澄が玄関を掃くようになったのだ。はじめは2、3日に1度。そのうち1日1度になった。話を聞いてみると、佳澄が寝ている部屋は、佳澄が自分で片付けていたそうだ。はじめは輪ゴム1つ、タオル1枚。そんなふうに少しずつ捨てた。何日もかかったが、10日もするとあらかた片付いたという。掃除機がかけやすいといって笑っていた。

 最後に2人でキッチンを掃除した。2人で黙々とキッチンを掃除していると、乱雑に置いてある乾物やマカロニの袋にも、温もりを感じる瞬間が何度かあった。癲癇の発作の恐れがある佳澄が、あまり頻繁に買い物に行かずに済み、短い時間で調理できるものが、これらの食材だったのだろう。

 雄一郎の書斎には、ほとんど手を着けなかった。枯れたまま放置されていたパキラの鉢植えは捨てさせてもらったが、それ以外は毎日換気をして、ときどき掃除機をかけただけだ。本人の留守中に勝手に触るのには気が引けた。また、雄一郎の部屋はきちんと整っていて、惰性で放置されているモノが見当たらないのだ。雄一郎の性格なのだろう。奏が小さな頃からそうだった。

 六本木にあるウェブサイトの運営会社に採用されたのは、家中の掃除をし終えて3日後だった。しかし約2カ月働いただけで退職してしまった。退職後1週間はそれまで張りつめていた緊張がプツリと切れてしまい、記憶が曖昧なほど眠り続けていた。しかし、そんな奏を、佳澄は何も言わずそっとしておいてくれた。そして、奏がめちゃくちゃな時刻に起きてリビングに行っても、必ず食事ができるよう用意してくれていた。その間、奏は生活費を一銭も家に入れていなかったのに。

第3章【5人のカモ】につづく)



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