読書記録|手づくりのアジール(青木真兵 著)⑨

  読書記録|手づくりのアジール(青木真兵 著)⑧ 

 『手づくりのアジール』の中では、「逃げる」ことの(限りなく比較不可能な)価値が、幾度となく対話を通して言語化されている。そして、「逃げる」ことで「拠点」ができるという逆説的な道筋も、青木さんの実践と理論の折り重なったところに記されている。

 「対話3 『スマート』と闘う 藤原辰史×青木真兵 (P111-132)」の中で、「絶対に譲れない何かがあるということ」と題した節がある。私が、この約10年余りの生活で見出した「譲れないもの」は、「譲れないもの」という確固たる信念を手放すことである。

 「対話3」のなかでは、「スマート化した社会」によって弱くなる「気配を感じる力」や、体内のレストランについての話題が出てくる。

 譲れないものにも、流れを堰き止めるものと、そうでないものがあると私は思う。身体的には拒否反応を示しているのに、自分の実現したいもののために、身体の反応に蓋を示して、突き進むこと。おそらく、10年前の私であればそのような傾向が強かった。しかし、その蓋が、徐々に重みとなって、痛みとなって、身体全体に広がっていく。しかし、それを突き破ろうと意思が暴走する。その行き着き先は、いわずもがなである。

 私が今乗り越えるべきものは、逆説的な表現だが「乗り越えないこと」だ。身体の流れの中に、何らかの壁が出来て、流れがせき止められているなら、壁を壊さず、迂回してみたり、その根本に立ち戻って、自分が拠って立つ環境自体を変えてみること。

 今の仕事の基準は、「流れ」が滞らないこと。内容(コンテンツ)よりも文脈(コンテクスト)。ここでいう文脈とは、人間的というより、動物的な身体で、その環境に自分が違和感なく、溶け合っているか。もちろん、そこに人間的な文脈(それが人文知なのかもしれない)や内容も折り重なっている。

 身体の声に耳をすませること。それは人文知でもあるし、文理が折り重なった知でもあるし、homeportの譲れない根拠でもあると思う。


「ルチャ・リブロを読み直す」第4回読書会
課題図書:青木真兵(2021)『手づくりのアジールー「土着の知」が生まれるところ』晶文社
第5回:「「スマート」と闘う 藤原辰史×青木真兵」(P111-132)
2024年8月19日(月)20:00~22:00
会場:homeport(北20条)or オンライン
どなたでも参加可能です。参加希望の方は下記までご連絡ください。
tourismusic.station@gmail.com


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