homeport
人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」から生み出される一連の著作を、生活の中で時間をかけて、ゆっくりと読みなおす試みです。
homeportのフィールドワーク
homeportの日直日誌。
田中伸之輔著『研究的実践を組みなおす』の読者と田中君の対談ツアーの記録。
homeportを具体的なかたちにしてみるプロジェクト。2024年9月21日スタート。
一昨日から昨日にかけて、下記のトークイベントを視聴していた。 この中で、リゾート的な場所や時間、余裕があるときにしか「考えること」ができないという話や、人は何らかの失敗をしたとき「心」が発生するのではないかという話があった。 研究でいえば、本を読んだり論文を書く時間が「研究の時間」で、それ以外は、そのための時間を確保する労働の時間と一般的には考えられていると言える。青木真兵さんは、オムライスラヂオ等で「大学では研究する時間以外は非効率な時間で、成果を上げることが目的
先日、とある人を介して、蘭越の人を紹介された。私が文化系の仕事や大学で非常勤講師をしているので、地元の小中高生と大学生との交流事業等をできないかという話だった。 私自身が、一貫してやってきたこと。それは、これまで無自覚な部分が大きかったが、最近は自覚的に遂行するようになっている。それは、「一貫していない」ということ。目的を意識することなく出会ってみて、そこから事後的に物語を立ち上げることだ。 これまで、まちづくりのコンサルや大学での研究は、目的を立ち上げ、特定の場所の研
週末、生活支援型文化施設「コンカリーニョ」で行われた「妖怪百歌物語~天狗編~」を観劇したあと、一緒に行ったあべくん、宮ちゃんと琴似の街を歩きながら飲み屋を探した。 偶然が大事とかいいながら、抜かりのない私は、店の予約が頭をよぎったが、何時に終演するか分からなかったし、まあ、何かまちなかを歩いて適当に気になった店に入ろうと思っていた。 とかいいながら、以前行ったことのある店を目指すが、お休み。その後、ダラダラと歩きながら、空いている店もあれば、既に予約が一杯の店も。何とな
田中夫妻と創成東エリアにある遠友夜学校跡地や苗穂周辺を散策した後、タクシーで北18条に向かった。私は本日の主役である『研究的実践を組みなおす』を取りにhomeportへと戻り、二人は先に「soundtracks TOUR FINAL」の会場である「Wood Back」へ向かった。 会場に着くと、入口には「本日宴会のため19時から営業開始」の貼り紙が。たった5人のためにマスターは営業を1時間を遅らせて、わたしたちの料理づくりに専念してくれていたのだ。約2ヶ月前、私は電話
「soundtracks Vol.4」は、多目的喫茶店アイビィの店主市田勇太さんと田中君の対談を「無目的と多目的のあいだ」というテーマで。 今年はそれほど暑くはなかった札幌で、急速に秋めく中での開催。8/28のVol.2の朝、1年ぶりに風邪を引いた感覚があったが、それほど悪化せず、9/1のVol.3も無事終了。とはいえ、何か感覚がおかしいというか、腑に落ちない感覚もありながら迎えた9月4日のVol.4。 職場が札幌市教育文化会館のとある一室に引っ越し(職場の元々の本拠
9月1日に開催した「soundtracksVol.3」の対談(対バン)テーマは「治さない地域おこし協力隊」。私自身が1年半、山形県長井市で地域おこし協力隊として活動した経験を基にしたテーマ。「地域おこし」自体が目的になると、当事者である協力隊自身が息苦しくなり、引いては、一緒に伴奏してくれる人も窮屈になるのではないか、との問題提起を含んでいる。 「治さない」は、当事者自身の意志(能動性)が伺えるが、「治らない」は、受動的というか、ただ流されるようなニュアンスがある。
これまでのライフワークをhomeportという言葉にして、1年3か月余り。「ライフ」という言葉には、自らの身体も含みこまれている。だから、何らかのアウトプットができていたとしていても、自分の身体が調子がよくない状態なら、アウトプットすること自体をやめてもいい。 その意味で、研究者の音楽をレコーディングするライブ「かもめ」、ホームパーティ、ホームシアター、ゼミ合宿in熊本、とある本を巡る対談(対バン)ツアー「soundtracks」は、その時の心身の状態と表裏一体のもので
8月28日(水)に開催したsoundtracks Vol.2「コミュニケーターのアイデンティティ」の直後、以前に読んだ坂口恭平さんと養老孟司さんの対談を「再読」した。homeportは、当初、「研究者としての第三の道」を模索するところから始まっているのは間違いない。大学でも民間でもない、第三の研究者の道。それが、田中伸之輔くんとの対話の名から生まれてきた「町医者としての研究者」という発想だ。 「研究者としての第三の道」という言葉や発想は、まだ社会の側に引っ張られている。そ
実家がある益城町広崎のバス停。そこから、実家に続く一本道の入り口に「はりヘルスもりおか」がある。そこは、小学校時代の友人である森岡くんの実家。僕は「まーくん」と呼んでいた。おそらく森岡くんの父が鍼灸師なのだろう。うちの母親は、いつも通勤のとき、さりげなく挨拶を交わすという。自分と森岡くんの関係を知っているかは分からないが、母によると、何となく分かっているようなまなざしだという。 母は昨年、腕を骨折し、その後遺症でしばらくはゆっくりとしか歩くことができなかった。それが、
homeportは、2019年3月23日に北海道大学の遠友学舎で開催したイベント「SAIHATE LINES 2019-Prelude-」に端を発している。 当時の私は、硬直化した大学(院)のあり方に疑問を持ち、それを理論的なやり方ではなく、実践的なあり方として、具体的なかたちにして提示しようとしていた。 「当時の私」はという表現は、正確ではない。大学院の同僚と話していたとき、その場のみんなが感じていた現状の大学への違和感。学生も教員も事務も、それぞれが個人化し、当事者
読書記録|手づくりのアジール(青木真兵 著)⑧ 『手づくりのアジール』の中では、「逃げる」ことの(限りなく比較不可能な)価値が、幾度となく対話を通して言語化されている。そして、「逃げる」ことで「拠点」ができるという逆説的な道筋も、青木さんの実践と理論の折り重なったところに記されている。 「対話3 『スマート』と闘う 藤原辰史×青木真兵 (P111-132)」の中で、「絶対に譲れない何かがあるということ」と題した節がある。私が、この約10年余りの生活で見出した「譲
読書記録|手づくりのアジール(青木真兵 著)⑦ 先日、私が田中君に送った折坂悠太さんの新作アルバム「呪文」。上記の読書記録⑦では、その呪文が話題の中心になっていた。 そこには、田中君が自宅近くで「貸し本棚オーナー募集」に”直感的”に申し込んだことが記されていた。その田中君的私設図書館のイメージとして、折坂さんのインタビューが引用されていた。 このインタビュー記事を踏まえて、田中君はこう書いている。 この「35年の土台」というフレーズで、私は、以前に記した研究レ
今日は予定を少し変更した。当初は整体に行って、帰りに手稲を散歩しようと思っていた。しかし、施術師の方にhomeportの話をしていたら、「宿ができたら行きますよ」と言われ、その人の地元である西区西町の話を聞いていたら、俄然西町に興味が湧いてきた。 予定を変更して、琴似駅から自転車に乗り、地下鉄発寒南駅周辺に広がる西町に向かった。駅で自転車を止め、とぼとぼと歩いていたら「タッチの極み」と書かれた整体があった。今ググってみたら、同名の本があり、その院長が著者だった。 その
2024年7月6日(土)に第1回富丘会を開催する。富丘とは札幌市手稲区の地名のことだ。偶然知り合った人たちの共通項に「富丘」があったから、「これは面白い!」という「ノリ」で開催する会だ。しかし、このノリは本気である。 私にとっての富丘とは、「ていね温泉 ほのか」だ。大抵一人でだらんとしたいとき、現実逃避したいとき、休息したいときに、午前中から滞在して、お風呂に入ったり、仮眠したり、雲海岩盤浴に入ったり、ご飯を食べたり、本を読んだりする。 電車の車内など、日常暮らす