23.日本を出て気づいた日本のこと
はじめに
外国で暮らしていて、日本にいた頃の様に我慢したり、周りに合わせる事から解放され、とてものびのび暮らしています
以前よりも、ストレスが減って、疲れにくくなりました
外国で生活してみて感じた事や、
語学学校で色んな国の生徒と話をして、気付かされた事を、今日は書いていきたいと思います
日本の特異性
<物価・お買い物面>
・コスト意識が高い、節約思考
・物価高といえど、外食や食料品等、日用品の値段は高クオリティで圧倒的に安い
・1人向けのものが多い
(食糧品、日用品等、単位量が少ない 例:牛乳、お肉、調味料、洗剤のサイズなど)
・ややこしいルールが多い
(クレーマー扱いされたり、返品交換しづらい)
(〇〇を買えば割引や小さな文字で書いてあったり、しっかり読まないとわかりづらいルールが多い)
・何も言わなくてもレストランで水が無料で出て来る
・カフェのコーヒーは量が少なくて、高い
・基本的にメニューの説明で写真が付いており、パッとみて分かりやすい工夫がしてある
・買い物袋が有料
<食事面>
・料理のバラエティが多い(いつも同じ物を食べる事が少ない)
・生もの、半熟なものが多い(お刺身、卵など)
・揚げ物が多い(唐揚げ、とんかつ、白身魚のフライ、アジフライ、天ぷら、コロッケ等)
・冷たいものが多い(お酒、ドリンク、麺類など)
・調理の過程が面倒なものが多い
・缶コーヒーがある
・「お通し」という謎の文化
・「とりあえず生」の様な、皆で同じ物を飲むべきという圧力がある
→そもそも時間通りにきっちり始まらない為、同時に大人数が注文する事がなく、
注文の面倒を減らす必要性がなければ、まず会社の飲み会が無い
<居住面>
・家同士が密接しており、近所迷惑を常に考える必要がある
・部屋が狭く、洗面所やトイレが1つしかない為、窮屈さがある
・台所や洗面台の高さが低い
・瞬間湯沸かし的にお湯が出て、お風呂を溜められるのは便利
自動湯沸かし機能があるのは便利
・ウォシュレットが付いていて、お尻を清潔に保てる
<サービス面>
・過剰なサービスが多いと感じる
店員さんが過剰に察してくれ、コミュニケーションを取るより察しながら接してくれる
(グラスが空いていないか見ている等)
・痒いところに手が届くサービスが多い
(お肉や魚の骨が取ってあったり、薄くスライスしてあったり、即席で作れるインスタントが多い、百均など便利グッズが多い)
・衛生意識が高い
おしぼりが基本出て来る、食べ残した物を持ち帰れない事が多い
でも、公共トイレは石鹸が切れている事が多い
<メンタル面>
・遅刻とルール遵守に厳しく、お互いを縛り付けてストレス要因になっている
・不要なルールと思っていても変わらない、変えない
・常にイライラしていたり、不機嫌そうな人が多い
・楽をする事よりも手間がかかることも好む、職人気質
(個人でコーヒのドリップをしたり、コーヒー豆を挽く人をまず見ない、包丁を使って料理する事が当たり前)
・時間に厳しい・せっかち
(注文がこなかったり、店員が来ないと呼び付ける)
・会話が少ない
(レジ待ちやエレベーター内など)
・もったいない精神
・ルッキズムが強い
( 受付嬢やアイドルという存在がいる、皆同じ見た目に走る)
・見た目に関して平気でコメントする
(鼻が高い、胸が大きい、背が低い、太っている、色が黒い等)
・自分事を棚に上げて、人の事だけ批評する人が多い
・1人の人間である事よりも、立場や肩書きで見る
お父さん、〇〇ちゃんママ、先生、店員さんなど、名前で呼ばない
「〜とはこうであるべき、こうであるだろう」と、1人1人の個性を見ない
・ロリコン文化
・キャラクターものが沢山いるかわいい文化
・普段我慢している弊害か、自己肯定感が低いのか、優しく接して貰いたがる
<教育面・キャリア・仕事面>
・年齢だけの横並びな教育をする
(理解の癖や、習得のスピードなど個人差を考慮しない、詰め込み教育)
・個人の得手不得手に関係無く、皆同じ様なレールが決まっている
(会社でのキャリアが画一的)
・プライベートよりも仕事重視
・自分の担当範囲外も気を利かせて仕事をしなければならない
・個人差に関係無く、年齢や入社歴で、退職しなければならなかったり、出世する
<国土・気候面>
・自然災害が多い
・山や急な川が多い
・夏は気温が高く、蒸し暑い
・四季がはっきりしている
・石油や石炭など、エネルギーが足りない事が多い
→省エネ、エコという言葉をよく聞く
<交通面>
・道路が狭く、車線は少ない
→運転が難しい、ストレスを感じやすい
・自転車や歩行者が気楽に動ける
→注意を向ける必要が増え、その分運転が難しい
・車検や保険など、事前にあるべきルールが決まっている
(整備不良の車等少ない)
・公共交通機関が多い
治安が良い為、気にせず地下鉄等、利用できる
<宗教や民族性>
・同じ黄色人種がほとんど
・色んな宗教を混ぜて生活している
(クリスマス、イースター、ハロウィン、教会での結婚式、初詣、地鎮祭、お盆、仏教のお葬式等がごちゃ混ぜ)
・欧米のイベントを取り入れがち
(母の日、ブラックフライデー、イースター、クリスマス)
・宗教を認識していない
→「無宗教」という人が多いが、上記の様なイベントに参加している人が多い
→至る所に寺や神社がある
・儒教の影響下、年齢による上下関係を重んじ、上に対して服従しなければならない
<コミュニケーション>
・声が小さい
・注目される事が苦手
→みんなの前で質問せず、周りの人に小さな声で聞く
・文法が支離滅裂でも通じる
・同じ言葉でいろんな意味を持っている
・曖昧な表現
・文末まで聞かないと否定か肯定、過去か現在かわからない
もったいない精神
外国暮らしを始めてから、大量消費の文化に驚かされました
家具も布団など、大きなゴミもどんどん捨てていく光景が日常となりました
レストランでも、物凄い量が出て来ては、食べられなかった物は、躊躇いなく残していきます
子供の頃、「物は大切にしなさい」、「残さず食べない」、「もったいない」という言葉をよく言われて育ちました
改めて、今自分のいる国と、日本を比較した時に、資源や食物の供給量が圧倒的に違うことに気づかされました
また、国土が狭いことで、ゴミを捨てられる場所も限られており、ものをどんどん捨てる事も難しいのでは無いかと感じました
日本ではエコの為にお買い物バックを持参したり、紙袋やビニール袋が有料ですが、
自分のいる国ではそんな事全く気にすることもなければ、
エコだの、地球に優しいだの、聞くこともありません
日本は金継ぎの文化があるように、資源が豊かではなかった事から
もったいない精神が染み浮いているのではないかと推察します
ただ、もったいない精神は、日本の良さでもありつつ、と悪い所でもあると感じました
良い面としては、
・資源の有効活用に繋がる
・自然に感謝する心が育つ
悪い面としては、
・物持ちが良いことで、物が売れづらくなり、市場が活性化しづらい原因になる
人口が減っている分、消費がさらに減少してしまう
・合わなかったり、不要になっても、捨てる事に罪悪感を感じてしまう
・新しい物に刷新する事を躊躇ってしまう
加えて、食料品、日用品等、販売単位が小さく、消費する単位が小さい為、
物をたくさん売ってお金を稼ぐという面では、日本厳しい面があると感じました
察する文化
日本は、島国で中々外からの文化や人種が入って来づらい単一民族国家と言われています
そのせいか、同じ文化や常識を共有して来た為、日本人であるならばこの位はわかっていて当然という日本人に対する期待値のようなものがあると思いました
また、国土が狭い割に、国民が多い為、
家同士や人との物理的な距離が近くなってしまいます
夜や、マンションで大きな音を立てたら、近所迷惑かなと、常に周りを察しています
日本にいる頃は、夜大きな音を立てないのは、当たり前と思っていましたが、
今は家同士が離れている為、
夜楽器を弾いても、掃除機をかけても、洗濯を回しても問題ありません
騒音トラブルは、万国共通では無いことを知りました
加えて、毎日英語を使うようになり、英語を再度学び直しをしていてるのですが、
日本語の特徴もまた、察する文化が含まれていると感じました
日本語は、主語や目的語が抜けていても意味が通じます
例えば、「今やろうと思っていた」と言っても意味は通じます
でも、英語では「(私は)今(それを)やろうと思っていた」と、主語や目的語を必ず含める必要があります
自分で英文を組み立てていると、普段の自分の日本語に、主語や目的語がよく抜けている事に気づかされえました
また、逆も然り、人の話を聞いていても、主語や目的語が抜けている事に気が付かされました
普段何気なく会話をしていましたが、多分文脈的にこうだろうと、抜けている言葉を補完しながら、察しながら話を聞いていました
それ以外にも、日本語は文末まで聞かないと、過去か、現在か、否定か、肯定か、疑問かわかりません
例えば、「それをやろうと思」から、「思っていました」、「思いました」、「思っていません」、「思っています」、「思っていますか?」と自由自在に変える事ができます
英語であれば、疑問文ならwhatなど疑問詞が文頭にくる為、即座に疑問文と判断できます
また、時制も否定系も、動詞前後で過去形に変化したり、notが入ったりと、動詞近辺で大体文の流れがわかります
文末まで聞かないとわからないという事がまずありません
もしそんな事があれば、おかしな表現をしている事になります
そういった点でも、日本語での会話は、無意識に文脈的の流れから文末を予測しながら、察しながら、聞いていたのだと、気付かされました
それ以外にも、日本語は英語の様に、ストレートに伝える事を良しとされません
主語が抜けていて、文章を理解できない時に「何が?」とストレートに聞くのは、
聞かれる方は気持ちが良いものでもなければ、
話し手が文脈の流れを読むのが上手ければ、その位聞かなくてもわかるのではと、
「何が」と聞いてくる事に疑問を感じます
「ヤバい」の様に、同じ単語でも文脈から、良い意味にも、悪い意味にも、
意味が変わるものもあり、さらに文脈を読みながらコミュニケーションを取る必要があります
日本語での会話は、ストレートに言いすぎない様に伝えつつも、文脈の流れを読んで理解をするという「察する言語」なのだと、感じました
苦労や我慢が美徳である
日本で育った中で、楽をする事は悪い事であると教えられて来ました
より簡単に解ける方法で解いていると、模範解答と違うから間違いであり、
とても面倒な方法にもかかわらず、言われた通りにやる様に怒られた事があります
効率良くできる方法がないか考えても、努力できない子、すぐに楽をする子という扱いを受けたことがあります
またSEとして働いていていた頃、お客さんと話をしていて、より効率的にできる方法があっても、今のやり方や手作業にとてもこだわっていました
無くせる無駄も現行のやり方でやっているからミスがなくならずストレスを溜めたり、労働時間が長くなってプライベートの時間が減っても、仕事を頑張っていると勘違いしている人を多く見かけました
最近は嫌がられていますが、部下への苦労自慢などもまた、苦労を美徳化させていると感じます
何か辛い事があっても、我慢するべきと、今の状況を変えようとせず、
我慢を「素晴らしい」と称賛し、ストレスを溜めているだけの様に感じます
そう言った教育面で幼少期から苦労する事を素晴らしいことの様に教えられ、
我慢が当たり前の状況は、本当に日本の良くない所だと思いました
でもなぜ我慢や苦労が美徳になってしまったのか、いつからなのか、
パッと考えただけでも、キーワードは3つ存在するのではないかと思いました
1.自然災害の多さの影響
日本のニュースを今もYoutube等でライブ放送を見ているのですが、
地震や台風、豪雨、猛暑など、天候の厳しさや自然災害の多さを感じます
今の様にサラリーで働くのが主流ではなかった時代、農民が非常に多く、
江戸時代は85%が農民だったと言います
税を米で納めるのが主流だった時代は、自然災害が発生すると、税を納められないどころか、農地もまた整え直しになります
自然相手である以上どうしようも無くても、お構いなしにひたすら税である米を求めてくるお役所相手に、我慢をするしかなかったのではないかと思われます
今の様に誰でも教育を受けられるわけでもなく、技術も追いついていませんでした
今は品種改良で、寒冷地でお米を育てられますが、元々は日本の気候にあまりお米は適していない気候だったと聞いた事があります
社会的なルールのに加え、そもそもに環境に悪さも重なり、
苦労した事を褒めてでもいないと、やっていけなかったのではないかと推測します
そこから、我慢は当たり前、苦労は美徳という考え方が、今もずっと根付いて来たのではないかと思いました
2.第二次世界大戦での敗北
第二次世界大戦で圧倒的なエネルギー・資源の差がある大国へ日本は戦争を挑みました
石油や金属など、戦争を知る為の原料を輸入に頼っている日本は、長期化するにつれ、飛行機や武器を作る為の金属や、燃料となる石油不足に苦しみ、
「贅沢は致しません、勝つまでは」と、国民で一致団結していました
また、敗戦した後も、今の様に豊食ではなく食べ物にも苦労し、
皆が生きる為に我慢をしている状況で、自分も我慢せざるを得なかったと思います
今も戦前を生き抜いた方はご存命でいる方もいらっしゃいますし、
当然、親世代は戦争を経験した世代から、躾けられています
わがままを言いたくても、我慢せざるを得なかった経験や教えが、
今も引き継がれている部分があるかと思いました
3.戦後〜高度経済成長期の影響
戦後、多くのものを失った日本は、国を立て直す為に、民間と国が一致団結しました
戦後で皆大変な状況の中、泣き言を言わずに頑張った結果、日本は信じられない経済成長と復興を遂げました
実際は、朝鮮戦争の特需が大きな影響であったにも関わらず、不幸にも苦労して頑張ったら成果が出たという勘違いを生む成功体験をしてしまったのではないかと思います
また、誰よりも我慢して、家庭を顧みずに、身を粉にして会社に尽くした人が、出世していたという事もあり、
我慢は素晴らしいことで、戦時中の自己犠牲は当たり前という認識が拭いきれなかったのではないかと考えます
自分の心の声を素直に聞く
合理的な考え方が強い自分は、日本の考え方と合わない部分がとても多く、
親や先生から怒られる事が多かったです
また、周囲からも白い目で見られることもありました
次第に、周りの反応から、自分の考えはおかしいのだと悟り、
常識をおかしいと感じながらも、周りから浮かない様にしてきました
それでも、先生や、親や、先輩や、上司と言った自分より立場が「上」とされる人から言われた教えや指示のおかしさに納得ができませんでした。
なんとか自分を騙して従ってみても、どうしても納得できませんでした
言ってはタブーと言われる事を言っては、ストレートな物言いで敵を作った事もあります
ありのままの自分では、日本社会に合わない社会不適合者であり、
自分の考えに完全に蓋をして一生生きていくしかないと自分を縛るようになりました
そんな状況で、何に楽しみを見出して生きていけば良いのかわからなくなってしまいました
でも、日本を出て、外国人と話をすると、
我慢や苦労を美徳とするおかしさや、
議論の為に論理的に話をすると、ストレートな物言いが失礼となるおかしさなど、
自分の考え方と外国人から見た日本人のおかしさは一致している部分が数多くありました
日本を出てみて改めて、社会常識と合っていなくても、人に危害を加えなければ、
おかしいという感覚は持ってもいても良いと思いました
むしろ思考停止していない正常な状態ではないかと思います
こうして、再度自分の過去を振り返ると、日本の今の教育は、
社会で上の立場の人が言う事を疑いもなく従う扱いやすい奴隷になる為の洗脳なのではと疑ってしまいます
英語がわかれば世界中から情報を得る事ができます
日本のおかしさが特有のものだと、コミュニケーションをとる事が出来ます
日本では有料なことも、英語がわかれば無料で学べたり、情報が得られる事がたくさんあります
英語が使えれば、日本を出て、外国で仕事を見つけて生活することもできます
日本人は英語でコミュニケーションができない人が多いですが、
それは日本人が英語ができないのではなく、ただ教え方や教わる順番、実践の場が無いだけだと思います
改めて、日本語と比較しながら英語を学んでみて、英語を使う環境に身を置いてみて、
学校で教えて貰った英語のわかりにくさに怒りを覚えました
もっと簡単に学べるのに、なぜいまだにこんな教え方をしているのだろうと
日本ではない外の世界を知れば、奴隷としての洗脳が解けてしまうから、
外の世界を知らせない様に、労働力が出ていかない様にしているのではないかと、疑いたくもなります
おかしいというその感覚を大事にして、
その本質を追求する為に、歴史や統計といったデータを活用したり、
比較の為に、環境を変えてみたり、違う環境の人とコミュニケーションをしたり、
違う考え方を知る為に、英語を使って情報を得てみたり、
自分の事を第一に考えて、素直な声に従って生きる事の大切さを改めて感じました