PERCHの聖月曜日 36日目
賞賛すべき人物を憎むことは恥である。しかし、それよりもずっと恥であるのは、相手が同情に値する者であるのに、逆にそれに付け込んで憎むことである。たとえば突然奴隷に落ちた捕虜が、自由の生活から抜け切れず、卑しく辛い仕事に直ぐには飛び込めないことがある。また暇の生活に体が鈍って、主人の馬や車の進行に着いて行けない。毎夜の不寝番に疲れ果てて睡魔のとりこになる。都会での休日ばかりの労務から、重労働の百姓仕事に回されて、その仕事を断るとか、あるいは逞しく行わないこともある。そんなときは、相手は仕事が出来ないのか、それともする気がないのか、それを見分けねばならぬ。怒る前にすでに判断することを始めているならば、われわれは多くの者を釈放することになろう。ところが実際は、まず最初に激情に引きずられる。次に、たとえ根も葉もないことに扇動されたのであっても、理由なく怒りだしたと思われたくないように、怒りを続けていく。しかも甚だ困ったことに、怒りの悪い点はわれわれをますます頑固にすることである。われわれは、激しく怒ることが正しい怒りの証拠だと言わんばかりに、怒りに執着し、怒りを増長させる。
ーーーセネカ『怒りについて』茂手木元蔵訳,岩波書店,1980年
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