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『父の恋人、母の喉仏』──第1章 第1話 全文公開(期間限定2025年4月末日まで)
3月19日に出版する『父の恋人、母の喉仏 40年前に別れたふたりを見送って』の第1章 第1話を、期間限定で全文公開します。
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髪を洗ってくれた女(ひと)
幼いころ、私は父がすごく好きだった。ユニークで、ハンサムで、子どもにはやさしい人だった。建築設計事務所を経営していて、ときどきマンションや家などの建築模型に高さ二センチほどの小さな樹木をボンドで植える手伝いをさせられた。父と過ごせるその作業が、私はとっても好きだった。
ハンサムといえば覚えていることがある。
小学三年生のときに母が弟を連れて東京に行ってしまったあと(いわゆる別居だ)、私は妹とともに父の住む金沢に残った。ある日、学級参観に父が来た。親がひとり、またひとりと教室に入るたび、子どもは振り返る。そのほとんどが女親のなか、男親は否応なく目立つわけだが、父が入室した瞬間、教室がザワッとした。「え、あれ、誰のお父さんなん?」という浮き立った声が聞こえる。あきらかに私と同じ小学三年生の女子たちの目が父に釘付け。なんなら周りのお母さんたちも釘付け。私は内心、鼻高々だった。
母からもこんな話を聞いた。
「姉貴(私の伯母)が五歳くらいのアンタを動物園に連れて行ってくれたんだけど、帰ってくるなり大笑いで、『カオちゃん、孔雀が羽をパアッと開くのを見て、あ、お父さんだ! って言ったんだよ』って」
孔雀の雄は、繁殖期になると雌にアピールするためにお尻に付いた色あざやかな飾り羽を広げる。まさに父だ。でも、幼いころの私はたぶん、羽を広げた美しい鳥と見た目が格好いい父を重ねていたのだろう。「大草原の小さな家」というアメリカのホームドラマがあったが、勤勉で愛妻家、ヴァイオリンまで弾ける父・チャールズのことも「お父さんにそっくり!」と本気で思っていた。
そんなわけで、父は女によくモテた。結婚は三回だが、浮気や不倫も数知れず。浮気や不倫は金と時間のある人の特権だと言われるが、金のない父はどうやっていたのだろう?
小学四年生の冬、東京にいた母が子育て破綻を起こしていた父のもとから私と妹を正式に引き取ったのだが、その後も私たち三姉弟は夏休みや冬休みごとに金沢の父に会いに行った。そして、そのたびに違う女性が父の隣にいた。毎回違うので、中学二年生のときに二番目の妻となる女性が現れるまでは、逆に気にならなかったくらいだ。
そんな父の恋人たちの中で、ひとりだけ、忘れ難い人がいる。
母が東京へ行ったあと、私と妹の面倒をみてくれたのは、父の母、つまり祖母だった。だが七十三歳の高齢とあって、しかも年金で孫の食事の世話をするのも、毎日私たちの家に通うのもしんどくなったようで、だんだんと来られなくなった。
そんな祖母と入れ替わりにやってきたのが、ユキ姉ねえちゃん(仮名)だ。
母と遠く離れ、母性に飢えていた私は、すぐにその女性に甘えた。なにしろまだ小学三年生、八歳だったのだ。
ユキ姉ちゃんは二十三歳だった。サンドロ・ボッティチェッリの描いたヴィーナスみたいに色白の少しふっくらとした体型で、やさしくて、綺麗だった。母とは違う匂いがして、母とは違う赤い口紅が若々しかった。子ども心に、ユキ姉ちゃんが本気で父を愛しているのがわかった。そして、私と妹を可愛がってくれるとき、それは点数稼ぎとかではなく、本心だということも。だからユキ姉ちゃんのことが本当に大好きだった。
忘れられないことが三つある。ひとつ目はお風呂だ。
ユキ姉ちゃんは「香織(かおる)ちゃん、頭洗ってあげる」と言って、風呂椅子に座っている自らの腿の上に、向かい合わせに私をまたがらせた。そして私の背中に自らの左手を添え、まずは私の頭をあたたかなシャワーで濡らし、右手で髪を洗い出した。
目を開けると、ユキ姉ちゃんの立派な乳房が目の前にある。目を瞑ると、頭を洗うやさしい手の動きや、ぴたりと密着している太腿と太腿、手と背中などの感触にうっとりする。大事にされていることがじんじんと伝わってきた。
ふたつ目は、玄関で泣いたことだ。
私はNHK金沢児童合唱団に入っていて、クリスマスの定期演奏会か何かだったと思うが、石川厚生年金会館で発表会があった。担当はソプラノ。歌ったのは「プロローグ~星の絵本」「おとめ座」「こと座」「やぎ座」「オリオン座」「エピローグ~おやすみなさい」という六曲からなる合唱組曲「星の絵本」だった。
この組曲は歌詞がとても詩的で、たとえば「オリオン座」の冒頭は、「東の空の彼方 逞しい天の狩人オリオンに 今夜も追いかけられて プレアデスの七人姉妹は いつか白い鳩になり 大空を舞うよ」といった感じ。いまもほとんど空で歌える。
父はその夜は仕事だったようで、ユキ姉ちゃんと妹の佐知が見に来てくれた。終演後、エントランスでは歌い終えて身体から湯気まで立っていそうな子どもたちと、歌に感激した親たちが高揚感たっぷりで対面していた。私もふたりを見つけてホッとした。しかし、「着替え終わるまで待っとるし一緒に帰ろう」というユキ姉ちゃんを、子ども扱いしてほしくないという見栄なのか、たんなる照れなのか、「大丈夫。ひとりで帰れっし」と帰してしまったのだ。
着替えを終え、この日のために父が買ってくれたちょっとだけブカブカのエナメル靴で外に出ると、雪が降っていた。会館から大手町のマンションに向かうには、兼六園の東側の兼六坂を降りなければいけない。しかも雪がだんだんと勢いを増していく中、傘もなく、履き慣れないエナメル靴で歩いて帰るのだ。途中ですれ違った男性にも「大丈夫け? おうちに帰るんか?」と声をかけられたが、「大丈夫です」と意地を張った。そして大人の足でも二十五分かかる距離を、五十分ほどかけて家にたどり着いた私は、ドアを開けるなり大声で泣いた。ユキ姉ちゃんがリビングからすっ飛んできたので、「なんで帰ってしもたん!」と彼女を責めた。帰っていいと言ったのは自分なのに。
三つ目は、ベッドの中。
父はその夜もいなくて、佐知は隣で寝落ちしていて、私はユキ姉ちゃんに頭を撫でられながらまさに寝入るところだった。そのとき彼女が言った。
「ねえ、香織ちゃん。私、香織ちゃんとサッちゃんのお母さんになってもいいけ?」
眠気がすっとんだ私は、八歳の小さな小さな脳みそで考えた。──えっと、えっと、お母さんは東京のお母さんがお母さんで、でもユキ姉ちゃんは大好きで、そばにいてほしくて──。十秒くらい一生懸命考えて出てきた答えは、
「あのっ! お手伝いさんやったらいいよ!」
正しい答えなんてわかるはずもなかった。
大学生になって、私は妻帯の人と恋に落ち、このころの父とユキ姉ちゃんのことをよく思い出すようになった。それで三年生の夏、金沢へ行くことになったとき、ふとユキ姉ちゃんに会ってみようと思い立った。あの雪の日に責めたことを、お手伝いさんだったらいいよと口走ったことを、謝りたかった。
そのころ父は東京のY設計に就職し、三番目の妻のヨウコさん(仮名)を金沢に残して単身赴任中だった。私は金沢駅前の電話ボックスから父の家に電話し、「ねえ、ユキ姉ちゃんの電話番号ってわかる?」と尋ねた。父は一瞬息を飲み、「会うがか(会うのか)?」と訊いた。
「うん、会いたい」
父は実家だったらわかると言って、番号を教えてくれた。
夕方、私はヨウコさんの家に向かった。二泊する予定だった。
電話を借り、ユキ姉ちゃんの実家にかけると、「もしもし」と若い女性の声がした。ユキ姉ちゃんだろうか? 私はドキドキしながら自分のフルネームを伝え、幼いころにユキコさんにお世話になり、いまは大学生なのですが、久しぶりに金沢に来たのでお会いしたくて連絡をした、というようなことを言った。その女性は「ユキコは最近結婚したんですよ」と、個人情報保護法などなかった呑気な時代らしく、嫁ぎ先の電話番号を教えてくれた。
次にその番号にかけると、今度は男性が出た。焦った。まさかユキ姉ちゃんの夫が電話に出るとは。私は息を吸い、学生らしいハキハキした感じを醸し出しながらさきほどと同じ説明をし、実家にこの番号を教わったと言った。「ユキコは外出中です。こちらから電話させますので、番号を教えてください」と少し不審がった声が返ってきた。私はヨウコさんちの番号を告げた。
夜になって電話が鳴った。ヨウコさんから受話器を受け取り、「香織です」と言うと、「わあ、ホントに香織ちゃんなん? ありがとう、思い出してくれてんね」というやさしげな声がした。その声の響きから、喜んでくれているのがわかった。続けて、「私も香織ちゃんに会いたかってんよ」と言われ、翌日の夜八時に、香林坊の角にある大和という百貨店前で待ち合わせることになった。
当日の夜、大和の入り口前に立っていると、小走りに駆け寄る女性がいた。体型はヴィーナスのままだったが、薄化粧なので顔の印象はぜんぜん違っていた。すれ違っても絶対にわからないだろう。ユキ姉ちゃんはとまどっているような嬉しいような、なんとも複雑な表情を浮かべ、「わあ、香織ちゃん、おっきなったねえ」と涙ぐんだ。
私は父に教わった「YORK」というジャズバーに、ユキ姉ちゃんを案内した。
ここは一九六九年に開店した金沢の中でも歴史あるジャズバーで、大和の横のビルの二階にあった(現在は移転)。薄暗い店内の奥、カウンターの正面には年季の入った三〇〇〇枚ほどのレコードが並んでいる。圧巻だ。ターンテーブルの上ではレコードが回っていて、JBLのスピーカーからジャズが流れていた。私とユキ姉ちゃんはカウンターに座り、それぞれに酒を頼んだ。
私は大学三年生、二十一歳で、ユキ姉ちゃんは三十五歳になっていた。結婚はお見合いで、ごく最近だという。
父は、母と正式に離婚したあとにユキ姉ちゃんと結婚し、私と妹と四人で暮らすつもりだった。だが、父曰く、ユキ姉ちゃんの父親がそれを許さなかった。「娘と結婚したいがんなら、子どもふたりの籍は抜いて、実の母親のもとで育ててもろてください」と言われたそうだ。当然だろう。大事に育てたひとり娘が、妻帯で子持ちの十四歳も上の男性と不倫関係に。本音は「娘と即刻別れてくれ」だったに違いない。
だが、そうこうするうち、私と妹は母に引き取られ、籍も移動した。それなのに、父とユキ姉ちゃんは別れた。理由は知らない。でも三十五歳まで独身だったのには、父とのことが関係しているのだろう。良家の娘が、社会勉強の一環で働いた会社で妻帯者と恋仲になったのだ。それがどれだけ本気の恋であろうが、世間の常識では不倫だし、その後に別れたとしても、金沢のような狭い土地でその「過去の汚点」が彼女の結婚を阻んだであろうことは想像に難くない。〝汚点〞の娘として、本当に申し訳ない気持ちだった。
出された酒を目の前に口火を切ったのはユキ姉ちゃんだった。
「大人になった香織ちゃんから連絡が来て、会いたいって言われらんないかって、ずっと思とってん」
「なんで?」
「両親が離婚したのはあんたのせいやて、叱られらんないかって」
そんなことは思っていなかった。私の両親が別れたのはユキ姉ちゃんのせいじゃない。彼らは彼ら自身の問題で行き詰まり、離婚を選んだ。
私は話を変えようと、自分自身の話をした。美術大学に進んだこと、妹も大学一年生になったこと、そして自らの妻帯者との恋のことなどを。結婚しているなら大丈夫かなと思い、父が再々婚したこと、いまは東京に単身赴任をしていることなども伝えた。ユキ姉ちゃんは、お見合い結婚のこと、夫のこと、子どもはいないことなどを話した。
そしてようやく本題に入ろうというところで、ユキ姉ちゃんが言った。
「香織ちゃん、私、香織ちゃんに謝りたいこと、あるげん」
「え、謝りたいのは私のほうです」
私はちょっとビックリしてそう言った。「謝りたいことがあって、ユキ姉ちゃんに会おうと思ったから」。
ユキ姉ちゃんはやさしく微笑んで、「ほんなら、先に私からね」と言った。
「覚えとるかな……厚生年金会館で香織ちゃんが歌ったあの日、先に帰ってしもてごめんね」
胸の底から何かが込み上げてきた。お互いにあの日のことをずっと覚えていて、お互いに謝りたいと思っていたのだ。ひと言でも喋ったら何かがあふれそうだった。でも頑張って私も謝らないといけない。
「先に帰っていいって言ったのは私なのに、私のほうこそ、ユキ姉ちゃんを責めてごめんね」
涙が一筋流れた。ユキ姉ちゃんも真っ赤な目をしていた。そして「香織ちゃんが玄関でわんわん泣いて……そのあとどうしたか、覚えとる?」と訊いてきた。
「覚えてないです」
「ほっか。私がごめんね、ごめんねって香織ちゃんを抱きしめとったら、奥からサッちゃんが来て、三人で抱き合ってワーンッて泣いてんよ」
それは覚えていなかった。私が覚えているのは、マンションの玄関を開けて、明るくて、あったかい空気が流れてきて、自分はびしょ濡れで、足は靴擦れで痛くて、たぶん安心した反動で大声で泣いたことだけだ。でも、大声で泣いてもいい場所だった。あのとき、私と佐知とユキ姉ちゃんは、「家族」だった。
私はバーのマスターがそっと出してくれたティッシュペーパーを箱から抜き取り、涙を拭きながら、もうひとつ謝りたいことがあるんだ、と言った。「お手伝いさんだったらいいよ」と言ってしまったことを話すと、ユキ姉ちゃんは覚えてないと返事をした。
「覚えとらんのはね、たぶんそんとき香織ちゃんが何言いたいか、わかったからやよ。一緒におっていいよっていう意味ねんなって、私、きっとわかってんわ。ほやから傷つかんかったし、なんも覚えとらんがんないかな」
そうして、ユキ姉ちゃんは続けた。
「 私ね、いまの夫のこと、とても大事に思っとれん。ほやけど、もし、『あと一週間の命です。最後に誰に会いたいですか』って言われたら、香織ちゃんのお父さんやわ」
ユキ姉ちゃんは二十三歳にして、本気で八歳の私と六歳の妹の母親になろうと決意していた。それほどまでに父を愛していることを、幼い私もわかっていた。とはいえ、十二年経ってもなお、ユキ姉ちゃんの口からそのような言葉が出てくるとは思ってもいなかった。私は正しい答えを探した。必死で。もう八歳ではないから、言えるはずだ。
「えっと、父はもう髪も真っ白だし、中年太りしてるし、ユキ姉ちゃんの知ってる格好いい男じゃないから、会ったらガッカリしちゃうよ。百年の恋も冷めるってやつだよ」
ユキ姉ちゃんはクスッと笑って、「ほおか」とだけ言った。
それから一度もユキ姉ちゃんには会っていない。連絡先を知らないから、父が当時の妻と離婚したことも、死んだことも伝えていない。
ユキ姉ちゃんのことを思い出すとき、私はいつもあの髪を洗ってくれた風呂場へと戻ってしまう。それは本当に官能的で、肉感的で、私はとても愛されていた。寂しくなかった。