身体は乗りもの
写真は、沖縄で日焼けを気にしてマチコ巻きしながら自転車に乗ったときのもの。
己に向いてないことをしているもの特有のぎこちなさよ…
それはさておき、今朝、急に思ったこと「身体は乗りもの」について、記しておきたい。
この言葉は目新しいこともないものだけれど、ずっと比喩表現のような気でいた。
だけど、違った、と思う。
身体は乗り物。本当に乗り物だ。
あえて自分の本体とは別物だと思った方が、生きやすくなる気がする、ので別物にしましょうよ。
そんな話。
自転車で想像したら解りやすいかも。
新品の頃は大丈夫でも、だんだん古くなって軋んできたり。油を差せば、またスムーズに動いたり。
パンクに早く気づいて処置したら良いけれど、気づくのに遅れ、時にはタイヤ交換しなくてはいけないようなことだって起こりうる。
車体の異常に気づく早さとか、丁寧なメンテナンスは、物の寿命を伸ばすのに一役買う。
そもそも、ママチャリ仕様で産まれた人もいれば、マウンテンバイクで産まれた人もいる。
いずれも改造は出来るだろうけれど、初期の特性に見合ったこと以上を望むのは多分ちょっと難しい。
この辺は良い自転車屋さんに出会うこととか、乗り主本体の心の強さや努力や在り方にもよるだろうけれど、やはり産まれ持った特性を振り切ることは無理があるんじゃないかな。
車体がボロボロになってきても乗っている本人は元気なこともあれば、乗り物も本人もダメージを食らっていることだってあるよね。
でまあ要するに何が言いたかったかと言うと、冒頭に戻る。
「自分の身体は私が思うより私ではない」
ということだ。
一人一台あてがわれた自転車みたいなもので、意外と本体とは別物だったのではないかと。
でね、これぐらいの距離感で見てみたら、取り扱い方が変わったりするんじゃないかしらん。
「あ、チェーンが外れちゃったから修理しないと動けないや」位の感じで、風邪の時とかに仕事を休んで治すことに専念したり出来そうじゃない?
自分のチャリの特性を知って、上手にメンテナンスしながら乗りこなして行くのは、この地球で生きるのに結構大切なことだと思う次第です。
ちなみに私がマウンテンバイクでないことだけは明らかである。
今まで書いた健康とか身体についての記事一覧。
ありがちに見えつつも実はあんまり言われてない生の言葉で我ながら読み返しても面白かった(幸せか)
まだご覧になったことのない方は、宜しければお時間あるときに是非。