【カトリックアニメ信仰】
イマーゴ信仰(オマージュ信仰)が受肉した名シーン
天軍七隊 権天使(Principalities)
ヨハネによる福音書の冒頭に出てくる「はじめに、ことばがいた。」の「はじめ」にあたる言葉である。
「ヲタク芸術」と「現代アート」
副題「現代アートの急先鋒」
「カウンターカルチャー」と「日本サブカルチャー」
「ヲタク芸術」が現代日本社会に於いて隆盛を極める事態が起こっている。
そしてその位置付けは「現代アート」とされている。
では「現代アート」とは一体なんであろう?
ここに見る定義によるだけでは「ヲタク芸術」が「現代アート」とされる理由が判明ではない。
何故ならばヲタク人とは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であるからです。
そういう意味でヲタク芸術が「カウンターカルチャー」と名付けられる理由はあったと言える。
しかしそれはヲタク芸術が文化破壊を示し「死のカルト教団」を意味しているに過ぎない。
日本に於いて、そういったヲタク芸術の「カウンターカルチャー」は「日本サブカルチャー」として世界的に独自の発展を遂げたとされている。
しかし「カウンターカルチャー」とそのような日本独自の発展を遂げた「日本サブカルチャー」とは大きな違いがあったようです。
「ヒッピー現象のイエス・キリスト」と「ヲタク人の神々」
ここで言えることはカウンターカルチャー(サブカルチャー)には2つのあり方が存在する。
例を挙げればヒッピー現象が有名であった。
※聖宮崎駿は「ヒッピー現象のイエス・キリスト」としてのルパン三世を創作したと言える。
これは「ホワイト・マジシャン(神の恵み)」と「ブラック・マジシャン(黒ミサの儀式)」の違いで見ることができる。
魔女には「白魔女(守護聖人)」と「黒魔女(死のカルト教団)」が居たのである。
当然、「白魔女(守護聖人)」のヒッピー現象に於いてのカウンターカルチャー(サブカルチャー)はカトリックカルチャーの殉教者(確信性の確保)を守護し回復させる「ホワイト・マジック(神の恵み)」としてあり得た。
このヒッピー現象は文化社会を守護していた。
一方で「黒魔女(死のカルト教団)」のヒッピー現象に於いてのカウンターカルチャー(サブカルチャー)はカトリックカルチャーの殉教者(確信性の確保)を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)としてあった。
このヒッピー現象は文化破壊を齎した。
先ほどの「カウンターカルチャー(サブカルチャー)の定義」を見るとヒッピー現象の本来の意味とはアンチカトリックに対する「ホワイト・マジック(神の恵み)」としてあったと言える。
それは文化社会の回復を意味する。
しかし日本独自に発展した「日本サブカルチャー」は「黒魔女(死のカルト教団)」のヒッピー現象でしかなかった。
「日本サブカルチャー」はカトリックカルチャーの殉教者(確信性の確保)に対する「ブラック・マジック(黒ミサの儀式)」だった。
それは文化社会を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だった。
要は「日本サブカルチャー」とは文化社会を発展守護する「白魔女(守護聖人)」ではなく文化破壊を齎し破滅に導く「黒魔女(死のカルト教団)」でしかなかった。
そういう意味で日本現代アートの急先鋒とされる「ヲタク人の神々」は文化破壊を齎し破滅に導く「黒魔女(死のカルト教団)」だった。
日本現代アートの急先鋒とは村上隆、庵野秀明、岡田斗司夫、浦沢直樹らと言われている。
他にも綺羅星のごとく「ヲタク人の神々」は存在している。
しかし彼らは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だった。
例えば浦沢直樹は「勝鹿北星」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を行ったと言える。
浦沢直樹は「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」とする敵対者(サタン崇拝者)だったのです。
そしてヒッピー現象によってカトリックカルチャーの殉教者(確信性の確保)を回復させる「白魔女(守護聖人)」とは原始キリスト教のあり方に非常によく似ている。
イエス・キリストの殉教者(確信性の確保)はカウンターカルチャー(サブカルチャー)でありヒッピー現象の殉教者(確信性の確保)とされた。
一方でそういった原始キリスト教のヒッピー現象を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)が更に起こった。
それはイエス・キリストの殉教者(確信性の確保)を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だった。
そのようにメシアを「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)とはサタン崇拝(ルシファー崇拝)とされ「悪魔の烙印」を持っていた。
それが「バフォメットの偶像崇拝」を象徴するヲタクコレクターであるだろう。
そういう意味で「聖宮崎駿監督」のグッズ販売と「ヲタク人の神々」のグッズ販売は対照的と言える。
それは「ホワイト・マジック(神の恵み)」と「ブラック・マジック(黒ミサの儀式)」の違いだからです。
「悪魔の烙印」を示す最も有名な例は文鮮明教祖の「統一教会」です。
「統一教会」はキリスト教系の団体とされているが実際のところ原始キリスト教のヒッピー現象を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を披露しているに過ぎない。
それはヲタク芸術でした。
桜田淳子さんは熱心な入信者らしいけれどヲタク心理(コンフィデンスマン心理)だったのです。
このような「最悪の偽善」に対する原始キリスト教のあり方は新約聖書に詳細に記されている。
それが聖書の大切さの所以であるのです。
そして聖書の核心は「末法思想」ではなく「黙示録」です。
聖書の核心は「ブラック・マジック(黒ミサの儀式)」ではなく「ホワイト・マジック(神の恵み)」でした。
イエス・キリストはあらゆる異邦人たちを弟子とすることが「原始キリスト教」の殉教者(確信性の確保)であり得るだろうといいました。
テンプル騎士団やフリーメイソンは友愛結社としてキリスト教を殉教者(確信性の確保)としカトリックカルチャーを守護する「白魔女(守護聖人)」となっていたと想像される。
その一方でテンプル騎士団は「バフォメットの偶像崇拝」を糾弾され解体された。
テンプル騎士団がカトリックカルチャーの殉教者(確信性の確保)を「倒錯対象」とする「バフォメットの偶像崇拝」を行っていたと見做されたからです。
この関係性は「ヒッピー現象のイエス・キリスト」と「ヲタク人の神々」の対立関係とよく似ている。
私はテンプル騎士団の実態を知らないから真実の判断はできない。
しかしもし起こり得る事態を考慮すれば「ヒッピー現象のイエス・キリスト」と「ヲタク人の神々」のあり方に躓きがあった可能性を感じる。
「ヒッピー現象のイエス・キリスト」とは非常にレアなケースです。
一方で「ヲタク人の神々」を祀る行為は単なる堕落であって非常に安易に起こり得るのです。
私の知人にも「風の谷のナウシカ」のファンが多くいました。
しかし彼らは「ヲタク人の神々」が崇拝する「風の谷のナウシカ」を祀っていました。
彼らは何故か「ナウシカ」ではなく「巨神兵」や「腐海」のマニアであったのです。
要は彼らヲタク人とは「末法思想」のマニアであったのです。
「末法思想」は「ブラック・マジック(黒ミサの儀式)」です。
それは安易さの象徴と言えます。
例を挙げるとすれば「マニア」とは「聖アニメファン」の資質であったのです。
一方で「マニア」とは「ヲタク人」の習性でもあった。
この2つの「マニア」は全く別物であり「似て非なり」であったのです。
前者の「マニア」は「神的霊感」であったり「神の贈り物」としての「神的狂気」を言った。
これは「皇室」の「マニア」を示していて、「カトリックエレクト」の資質であったのです。
そしてこのように「皇室」とは殉教者(確信性の確保)を根拠として形成されたのです。
後者の「マニア」は「熱中する人」や「躁うつ病」を示していた。
これはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の習性であった。
コンフィデンスマン(倒錯性の支配)である「ヲタク人」とは「お下劣」なのです。
一方で殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「聖アニメファン」とは「高度な精神的姿勢ユーモア」なのです。
「高度な精神的姿勢ユーモア」のあり方は「ヒポクラテスの誓い」としてもとても有名です。
Hippocratic Oath (hip′ō‐krat′ik ōth).
誓い
大槻マミ太郎 訳
後代きわめて重要視されるようにになった『誓い』も、文献上では、紀元一世紀のローマの医師スクリボニウス・ラルグスの言及がはじめてであり、紀元前に言及した人は一人もいなかった。しかもこの世紀は、大ローマ帝国の頽廃が底なしに進むか一方でこれと反比例したきびしい精神の再高揚がはかられ、医学精神のルネッサンスも行なわれた時代であった。しかもそれがヒポクラテスの名と結びついたのである。しかし実際は、『誓い』の前半部分の師弟の誓いと後半部分の医師の戒律・守秘義務は、全集の内容からみて、ヒポクラテス医学派内でとくにきびしく守られたとはどうしても考えられない。しかしここには、遠く古代ギリシアのホメロス以来高く評価されてきた医術とさらにその後の前六〜五世紀中心にギリシアをおそった精神革命の嵐のなかででき上がったヒポクラテス派の医学と、したものが誰かによって作成され、紀元一〜二世紀ローマ時代のヒポクラテス全集刊行時に全集の中に差し込まれたとみることもできよう。とにかく『誓い』には、かまびすしいソフィスト時代以前の古きギリシアの医学精神状況が基調になっていることは否定できない。
医神アポロン、アスクレピオス、ヒュギエイア、パナケイア、およびすべての男神・女神たちの御照覧をあおぎ、つぎの誓いと師弟誓約書の履行を、私は自分の能力と判断の及ぶかぎり全うすることを誓います。
この術を私に授けていただいた先生に対するときは、両親に対すると同様にし、共同生活者となり、何かが必要であれば私のものを分け、また先生の子息たちは兄弟同様に扱い、彼らが学習することを望むならば、報酬も師弟誓約書もとることなく教えます。また医師の心得、講義そのほかすべての学習事項を伝授する対象は、私の息子と、先生の息子と、医師の徒てに従い師弟誓約書を書き誓いを立てた門下生に限ることにし、彼ら以外の誰にも伝授はいたしません。
養生治療を施すにあたっては、能力と判断の及ぶかぎり患者の利益になることを考え、危害を加えたり不正を行なう目的で治療することはいたしません。
また求められても、致死薬を与えることはせず、そういう助言も致しません。同様に婦人に対し堕胎用のペッサリーを与えることもいたしません。私の生活と術ともに清浄かつ敬虚に守りとおします。
結石患者に対しては、決して切開手術は行なわず、それを専門の業とする人に任せます。
また、どの家にはいって行くにせよ、すべては患者の利益になることを考え、どんな意図的不正も害悪も加えません。とくに、男と女、自由人と奴隷のいかんをとわず、彼らの肉体に対して情欲をみたすことはいたしません。
治療のとき、または治療しないときも、人々の生活に関して見聞きすることで、およそ口外すべきではないものは、それを秘密事項と考え、口を閉ざすことにいたします。
以上の誓いを私が全うしこれを犯すことがないならば、すべての人々から永く名声を博し、生活と術のうえでの実りが得られますように。しかし誓いから道を踏みはずし偽誓などすることがあれば、逆の報いを受けますように。
出典 エンタプライズ1985「ヒポクラテス全集」
コンフィデンスマン(倒錯性の支配)を強制されることによって「心的外傷」を受け「PTSD」を発症することはフロイト精神分析のヒステリーと同じであるだろう。
このヒステリーは「聖アニメファン」に特有であり「ヲタク人」には発症しない。
しかし私は「聖宮崎駿」の「風の谷のナウシカ」を愛していた。
私は「巨神兵」や「腐海」ではなく「ナウシカ」を愛していた。
要は私はイエス・キリストの「黙示録」のマニアだった。
「黙示録」は「ホワイト・マジック(神の恵み)」です。
こういったイエス・キリストの殉教者(確信性の確保)はレアなケースと言えます。
このように「ヒッピー現象のイエス・キリスト」と「ヲタク人の神々」とは相性が最悪なのです。
ここに見られるあり方は「カトリック信仰の預言者カード」が的確に指し示しています。
それがタロットカードであるのです。
実際のところ「テンプル騎士団」が「ヲタク人の神々」として「バフォメットの偶像崇拝」のマニアとなった可能性は大いにあり得る。
何故なら現代日本社会を支配する日本サブカルチャーの隆盛を見れば「テンプル騎士団」が「ヲタク人の神々」を祀ることは大にあり得るからです。
それは「風の谷のナウシカ」のファンを見れば明らかだろう。
もちろん「ヒッピー現象のイエス・キリスト」のタロットカード「THE FOOL」が実存することは確かです。
しかし先程も指摘したようにそういった実存は私の経験からレアなケースと言えます。
私の知人にも多くのヲタク人がいた。
彼らは「ヲタク人の神々」を祀っていたが私には理解しがたい感覚だった。
何故なら「ヲタク人の神々」とはどう見ても醜悪な「バフォメットの偶像崇拝」に思えたからです。
私には「バフォメットの偶像崇拝」が魅力のある存在とは絶対に見えなかった。
そのような「ヲタク人の神々」とはタロットカード「THE DEVIL」であった。
又、その一方で私は「ヒッピー現象のイエス・キリスト」として彼らから攻撃を受けることになった。
兎にも角にも私はヲタク人から因縁をつけられる対象とされた。
それが殉教者(確信性の確保)を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でした。
何故そのようなことになったのだろう。
それは殉教者(確信性の確保)とコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の関係が「相性最悪」だったから、私と彼らも実際は「相性最悪」だったからだろう。
例えば同じ学校であるとか、同じクラスであるとか、同じ部活であるとか、一緒に下校したからと言って因縁を付け「人間関係」を捏造することで「相性最悪」を隠蔽する認識が為されていく。
そういったあり方は精神科医の中井久夫先生が名著「いじめの政治学」で指摘している通り「孤立化、無力化、透明化」と言われるものでした。
実際、私たちと彼らは「相性最悪」の「人間関係(コンフィデンスマングループの循環論証)」だった。
しかしそういった実際の「人間関係(コンフィデンスマングループの循環論証)」は「いじめの政治学」が司っている。
それは「孤立化、無力化、透明化」によって隠蔽が為されていく。
殉教者(確信性の確保)を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)が公然と為されていくことを意味している。
私たちと彼らは「相性最悪」なのに仲が良いとされる異常な「人間関係(デマゴギー)」が成立することになる。
「相性最悪」の人物が近くにいると言うだけで仲が良いとされる。
そういった間違った認識を抑制するためにはストーカーの認識を持つ必要を感じる。
少なくとも近くにいたり挨拶を2,3回交わしたことがあるというだけで仲が非常に良い理由とはならない。
それは当たり前の印象操作だった。
それぐらいのことを見抜く能力を持つことが殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「真の人間関係」の前提であった筈でした。
又、知り得ないものに対し全知全能感を持つことは殉教者(確信性の確保)に対する越権行為であってコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でしかなかったのです。
しかしそのような安易な認識がまかり通ればコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の捏造はいくらでも可能となります。
例えば廊下などで待ち伏せして一方的に笑顔で話しかけてきた人物が普段は相性最悪の上に仲も最悪な間柄であるのに、その印象操作だけで「友好関係」と見做されてしまうのと同じです。
その相手の一方的印象操作だけで「人間関係(デマゴギー)」の捏造が為されるのは「真の人間関係」を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)と言えるだろう。
それは完全に捏造された「人間関係(デマゴギー)」だった。
ヲタク人とは「真の人間関係」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だった。
ヲタク人はデマゴーグだった。
そういったあり方が「ブラック・マジック(黒ミサの儀式)」でした。
実際私たちと彼らは相性最悪の上に当然のことで仲も最悪でした。
何故ならば一方的に他者を利用しているのは殉教者(確信性の確保)を「倒錯対象」としている「ヲタク人」の方だったからです。
「ヲタク人」は「真の人間関係」を「倒錯対象」として一方的にコンフィデンスマン(倒錯性の支配)となっていた。
そういった「ヲタク人」は「最悪の隣人(サタン)」と言われます。
「ヲタク人」は一方的なコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でした。
嫌われて当然な「ヲタク人」は「愛されキャラ(末法思想)」を主張する。
それは「隣人愛(黙示録)」ではなく「隣人愛(末法思想)」でした。
「隣人愛(黙示録)」は「愛されキャラ(黙示録)」によって可能となりユートピア(神の王国の到来)とされる。
しかし「隣人愛(末法思想)」は「愛されキャラ(末法思想)」によって「最悪の隣人(サタン)」が支配するディストピアとなっていく。
「最悪の隣人(サタン)」と「愛されキャラ(末法思想)」は全く同じ人物でありました。
今で言うとイチローや大谷翔平は「愛されキャラ(末法思想)」として超有名です。
彼らは「大リーグ」の殉教者(確信性の確保)を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であって「最悪の隣人(サタン)」だった。
そして彼らは最強の「愛されキャラ(末法思想)」でした。
実際にイチローが「アメリカ野球殿堂博物館」を何度も訪れている事実は本当らしい。
又、そこから推察するにイチローが「アメリカ野球殿堂博物館」を非常に崇拝していることも私も認めます。
一方で私は一回も「アメリカ野球殿堂博物館」に行ったことがありません。
ただ私はイチローや大谷翔平に「オタク感」を感じます。
「オタク感」とは殉教者(確信性の確保)を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)です。
私は「アメリカ野球殿堂博物館」へ行ったことはありませんが殉教者(確信性の確保)に「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を感じています。
一方でイチローや大谷翔平は「ヲタク人」でしかありません。
彼らはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)なのです。
「ヲタク人」は「愛」を語ります。
有名なヲタク芸術家の庵野秀明監督はさまざまなアニメ作品やさまざまな特撮作品への「愛」を語ります。
しかしそれは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であって「愛」とは言い難い代物だった。
では庵野秀明監督の「熱い愛」とは一体何だったのだろうか?
それは「愛」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でした。
「ヲタク人」は「愛」を冒涜した人たちなのです。
そういう意味で日本を代表するこの二人のメジャーリーガーは決して善いプレーヤーではなかった。
彼らは「野球愛」を冒涜したと言える。
それは長嶋茂雄にも言えることかも知れない。
かなりインチキ臭いプレーヤーだった。
八百長臭いのです。
彼らは最悪のプレーヤーだったのです。
皆さんはタロットカード「THE STAR」をご存知ですか?
一般に「スター」とはイチローであったり大谷翔平であったりマイケル・ジャクソンであったりします。
一方でタロットカード「THE STAR」は「信徳」を示します。
神学者達は「信徳は精神的建物の土台を作り、望徳はそれを建て、愛徳は屋根をつける」と各役割を説明する。
しかしそういった「三対神徳(信徳、望徳、愛徳)」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)が賛美される。
それが現代のスターであるだろう。
イチロー然り大谷翔平然り・・・数多いる現代のスターは「三対神徳(信徳、望徳、愛徳)」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だった。
それが堕天使ルシファーであり最高悪サタンであるのです。
「スター」による一方的なコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を隠蔽するために「いじめの政治学」が為されていく。
そのような最悪の世界観とは「ディストピア」と呼ばれるのです。
「私には天井と地上との、すべての権能が与えられた。そこで行って、あらゆる異邦人たちを弟子とせよ。〔その際、〕彼らに父と子と聖霊の名において洗礼を授け、私があなたたちに指示したすべてのことを守るように、彼らに教えよ。そして見よ、この私が、世の終りまで、すべての日々にわたり、あなたたちと共にいるのである」。
アーメン
(再編集版)