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我が「トーマの心臓」譚(連載No.14)-純愛信仰と信仰弾圧の中で起きた『殉教』(読売新聞篇)
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東京駅近く
2023年7月14日(金)
正午過ぎ
撮影者 Soma Oishi
映画「君たちはどう生きるか」を東宝シネマズ日比谷劇場にて初日一番に鑑賞した後見学に訪れる。
読売新聞の紙面に見るレイシズムとは?
良識とレイシズム
レイシズム
〔人種差別主義〕 racism. ▷racist n.
rac・ism [réisizm]〓
―n.
1 人種差別[偏見],人種的優越感:人種にはそれぞれ文化を決定する固有の特性があるという信念;通例,自分の人種が優秀で他人種を支配する権利を持つという観念を伴う.
2 (他人種への支配権を強く主張する)人種主義政策;(政治・社会の)人種主義体制.
[c1870.⇀RACE²]
rác・ist〓
―n.,adj.
じんしゅ‐しゅぎ【人種主義】
人種間には本質的な優劣の差異があるとする見解に基づく態度や政策。19世紀末のヨーロッパで広まり、優秀民族支配論・有色民族劣等論などを生み出した。レイシズム。ラシスム。
先ず言えることは読売新聞に特徴的な「良識」とは「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」を先導する「デマゴーグ」によっている。
デマゴーグとは「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」へのストーキング行為であり決して「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」へ人々を導くことはない。
これがマス・コミュニケーションにおいて決定的な違いを生む。
デマゴーグ(指導者)とメシア(指導者)の違いである。
『人のエリート』と『最高善の神の使者』の違いが両者に存在する。
一方は「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」を人々に指導し、一方は「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」へ人々を導く。
「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」はバビロニア(人の王国)を建国し、「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」は「最高善の神の王国の到来」を見出す。
それは「バベルの塔(人工の第二の聖櫃)」と「聖櫃」の違いとなる。
それは「聖書」にある通りだろう。
「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」とは「原始的段階に近い」とされそれは「原罪」と言われる。
それは「信仰の入れる場所を確保すること」を信仰弾圧した欲望の在り方であり劣等な存在を示している。
一方で人を「至高の抽象化の高み」へ導き「最高善の神の王国の到来」を見出すことは「最高善の神のもとの選民」として「人の支配」をラディカルに批判することとなる。
またその一方で人々を劣等な存在へ留め置くことで「人の支配」を容易くすることを目指す「愚民政策」がマス・メディアの中に存在する。
それは「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」へのストーキング行為によって可能となる。
「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」という「バプテスマ」へ人々を決して導かないことは信仰弾圧のマス・メディアでありマス・コミュニケーションではなくそれは政治的宣伝機関に過ぎないのです。
よく「反戦プロパガンダ」という変な日本語を使用する人がいます。
この言葉はTBS(東京放送)を批判するときに偶に使用されます。
「反戦」とは平和主義でありイマヌエル・カントの言う「永遠平和」と「政治的最高善」の理念です。
私にはその何がいけないのか理解できません。
TBS(東京放送)への批判者は勉強不足の阿呆の戯言を喋るお猿さんです。
「戦争」とは「聖戦」という意味です。
平和主義の理念への敵に対する聖戦が戦争なのです。
その時人は真に聖闘士となるのです。
メシア・ヒーローとはそのような存在となります。
それは「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」に導くメシアです。
劣等なヒーローは「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」ではなく「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」へのストーキング行為によって可能となった変態ヒーローにすぎません。
「デマゴーグ」は「良識」を主張するが「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」を信仰弾圧する。
しかしそのような読売新聞の良識は「前衛良識」とされ「高尚良識」と見做されるのです。
それは「トートロジーと循環論証」を「前衛良識」とし「高尚良識」とすることと同じであったのです。
しかしそれら読売新聞の「良識」は「論理上の虚偽の一つ」であり、明らかな「詐欺」だったのです。
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それは「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」に対する信仰弾圧を示している。
それによってカトリックロゴス感覚を完全弾圧をするのです。
読売新聞とは「信仰弾圧」の報道機関なのです。
それは「真の報道(マス・コミュニケーション)」を完全弾圧することでデマゴーグ(指導者)による崇拝関係を形成します。
その「最悪の良識」が絶対命令と絶対服従のカルト支配なのです。
そこに「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」は存在して要らずそれによって「ペルソナ(フロイト)」は決して宿りません。
「真の人間」とはなり得ない故にペルソナ(フロイト)の倫理性は完全弾圧されているのです。
それが読売新聞の政治的宣伝コンテンツの目的であり彼ら読売新聞はサタン崇拝者でありお猿さんであるのです。
では彼ら読売新聞とは一体何なのだろうか?
「デマゴーグ(「知の鵜吞み(doxaによるレイシズム)」へのストーカー)」です。
それは先程も指摘しましたが「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」から形成されている「偏見」によっています。
しかしその「偏見」は「良識(レイシズム)」とされています。
「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」の「偏見」は「良識(レイシズム)」という知(doxa)なのです。
彼ら読売新聞は『「良識(レイシズム)」に服従しろ!』と主張しています。
これが読売新聞の正体です。
彼ら読売新聞はネオ・ナチズムなのです。
読売新聞は彼らの「良識(レイシズム)」に服従することを要求し恫喝しているのです。
そこが朝日新聞が得意としている「ハト派的良識(バプテスマ)」と明らかに違っている点です。
何故ならば朝日新聞の「ハト派的良識」には「知の廃棄(doxaをバプテスマする) 」が存在し「信仰」が息づいているからです。
しかし読売新聞は「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」を信仰弾圧し「知の鵜呑み(偏見)」から「良識(レイシズム)」を形成する。
それは「ネオ・ナチズム(レイシズム)」です。
それは特殊詐欺でしかないだろう。
何故ならばマス・コミュニケーションと偽って政治的宣伝コンテンツを街宣しているからです。
そしてそのようなデマゴーグ(指導者)によって崇拝関係を形成し「ネオ・ナチズム(レイシズム)」で支配をしている。
絶対命令と絶対服従の狂信的カルト集団が読売新聞なのだろうと判断されます。
ハイル・ヒットラー!
渡邉恒雄万歳!
京葉読売版の分析
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この読売新聞紙面で一箇所飛び抜けて冷遇され差別されている記事がある。
それはここである。
この「ニューススポット」にある「船橋で2棟全焼」の記事である。
明らかに記事の紙面配置がおかしい。
そして毎日新聞の火災現場写真との比較をすると記事の扱いの違いが大きすぎる。
ここで先程の法則を適用する。
毎日新聞は「信仰」であり「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」そしてメッセージとなる。
読売新聞は「信仰弾圧」であり「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」そして良識デマゴーグ(レイシズム)となる。
ここでは「信仰」に関するメッセージが「火災の記事」としてなされている。
同様に「信仰弾圧」の記事が「良識デマゴーグ(レイシズム)」としてなされている。
毎日新聞の記事はバプテスマのメッセージであり、読売新聞はの記事は信仰弾圧の良識デマゴーグ(レイシズム)として存在している。
その違いが事件記事の扱いの違いとして判明になっている。
この違いは「カトリックミサ(知の廃棄)」と「黒ミサカルト(知の鵜呑み)」の違いであるだろう。
読売新聞の船橋火災記事
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毎日新聞の船橋火災記事
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火災記事の扱いに大いなる動機を読み解くことができる。
先程の指摘と同様に毎日新聞の「カトリックロゴス感覚」と読売新聞の「良識(レイシズム)」の違いであるだろう。
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中2女生徒投身自殺 船橋 友人関係で悩み?
十八日午前八時一五分ごろ、船橋市緑台二の六のマンション「船橋グリーンハイツ」(十一階建て)非常階段下で制服、コート姿の女子中学生が全身を打って倒れて死んでいるのを、通行人が見つけた。
船橋西署の調べで、同市内に住む同市立中二年生(一四)と分かった。同ハイツ十一階の北側非常階段の踊り場に二通の遺書が入ったカバンが置いてあり、高さ三十一・二メートルの踊り場から飛び降り自殺したものとみて動機などを調べている。
調べによると、遺書は、両親と友人五人あての二通で、友人関係の悩みを訴える内容だったという。
学校によると、活発な明るい性格の生徒だったといい、十一日にカゼのために午前中で早退して以来学校を休んでおり、一週間ぶりの登校途中だったらしい。学校では同日午後、全校生に「悩みはあったら親、先生、友達に相談して欲しい」と呼びかけた。
では自殺記事の内容はどうだろうか?
船橋西署の発表以外の何らかの事件情報は存在していないようです。
特にスクールバックの中身に何も触れていない。
そして記事は非常にステディに見える。
しかし読売新聞の紙面には毎日新聞のような「信仰(知の廃棄)」が存在していない。
「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」はバプテスマである。
「毎日新聞篇」で指摘しましたがこれでは読売新聞の紙面は面白みのないつまらない新聞になるだろうと思います。
そして彼らは「箱根駅伝」や「ジャイアンツ球団」そして「将棋竜王戦」や「ジブリ映画関連」のイベントをおこなっているだけなのです。
それは「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」ではなく「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」でありネオ・ナチズムの政治的宣伝コンテンツです。
当に柳田国男「祭から祭礼へ」として信仰弾圧のあり方となっています。
読売新聞は新聞(信仰)としては完全に終わっていますね!
折込広告並みの価値と考えたほうが「安全」です。
金を払って購読する価値はないでしょう!
読売新聞の記事は船橋西署の発表を「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」にした内容となっている。
これは一見ステディな記事に見えるが実際は「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」を弾圧することで「信仰弾圧」した内容となっている。
例えばこのような譬えがわかり易いと感じる。
早稲田大学の建学の教旨は「模範国民(指導者)」にあるとされている。
早稲田大学「模範国民(指導者)」参考サイト
そのような模範国民(指導者)のあり方は私にとって悪しきエリート主義であるように感じさせる。
何故ならば何を「模範国民(指導者)」とするかで全てが違ってくるからである。
それはこういう意味です。
「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」を「模範国民(指導者)」とするのか?
「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」を「模範国民(指導者)」とするのか?
「新聞社」が「良識」を主張する「模範国民(指導者)」であるとするならその違いは決定的になるだろう!
ネオ・ナチズム(知の鵜呑み)を「模範国民(指導者)」とするものはヒットラー崇拝者でありサタン崇拝者となるであろう。
それは「原始的段階に近い」と言われる劣等な存在となる。
劣等な存在が模範国民(指導者)であるならディストピア国家と言えるだろう。
ヒットラーやサタンを崇拝し服従するものは黒ミサカルト集団(ネオ・ナチズム)となる。
その一方でカトリックロゴス感覚(知の廃棄)を「模範国民(指導者)」とするものは信仰者となるであろう。
「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」という「信仰の入れる場所」に受肉する叡智(最高善の神の真理)の導きに従うものは「至高の抽象化の高み(神の王国の到来)」へ向かうこととなる。
そのような聖なる存在が模範国民(指導者)であるならユートピア国家と言えるだろう。
これはイエス・キリストやジークムント・フロイトの説である。
それは「天使の両翼」を得ることであるだろうと判断されるのです。
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要は新聞社が「良識」を掲げる時に早稲田大学の建学の教旨である「模範国民(指導者)」の在り方と同様となるのです。
何故ならば「良識」を主張するものは「模範国民(指導者)」と見做されるからである。
しかし実際には毎日新聞という「信仰(バプテスト)」の新聞社が「最高の良識」とされます。
何故ならば「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」が至上されるからである。
それはカトリックロゴス感覚です。
それは毎日新聞社の「聖原敬信仰」と言えるものかもしれません。
また朝日新聞社は「聖夏目漱石信仰」と言えるかもしれません。
またそれらは単に「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」と呼べるものかもしれない。
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毎日新聞社が『信仰(バプテスト)』の新聞社(Holy Communion)なら読売新聞社は『崇拝』の新聞社(黒ミサカルト集団)なのです。
そして朝日新聞社は『ハト派的良識』を主張しますが信仰弾圧はしないように見えます。
しかし私見ですが真にマス・コミュニケーションに拘っているのは毎日新聞社のように見えます。
そして毎日新聞社はそれによってイデオロギーに拘ったイデオローグの新聞社として信仰弾圧され経営危機に陥った。
信仰者(イデオローグ)の殉教の道と見做せる。
マス・コミュニケーションの純愛信仰は『預言者』の言葉であり『メシア』の導きとなります。
cult (kŭlt)〓
[L. cultus, an honoring, adoration].祭儀,礼拝形式,祈祷療法(教義または宗教的な教えに基づく体系化された信仰および儀式.従順な献身的な信者,指導者の非現実的な理想化,個人的な欲望や目的の放棄および伝統的な社会価値観の排除などの特徴がある).
祭(信仰)から祭礼(崇拝)へ
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