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冬の準備冬の子供

 雪国に住んでいると、11月は忙しい。昨日から10度になったので、いつ、雪が降ってもおかしくない。まず、自動車のタイヤをスタッドレスに換える準備がある。それも、子どものと2台分。部屋の絨毯も替えて、石油ストーブを出して、灯油を買って、雪用スコップを用意したり、いろいろ。
一昨日から元気になったので、どんどんできる。元気がない時は、冬の準備を頭に思い浮かべただけで、胸がチクっとした。もうしない。
 
 雪国の人は、本当に働き者。すぐに1m、2m雪が積るから、すばやく雪かきができる体力と気力がないと過ごせない。
 でも、この土地で生まれ育った人でも、賢い人は、18歳までの雪かきにうんざりして、大学で東京に出るのと同時に、もう戻ってこない。毎日毎日の雪かきは本当に辛い。吹雪の中での雪かき、自分の浅はかさをのろう。だって、私は、雪国で育ったわけではない。でも、母から遠く遠く逃れるためにはしょうがない。
 自慢じゃないけど、私は日本一の毒親の元で育った。食べ物も毒だらけ、4歳下の弟は真っ白なミルクの代わりに、生後1,2カ月で、真っ黒な泡がたつコーラを哺乳瓶で飲まされてた。私が気が付いたときに、やめさせて、代わりにミルクを作ってあげたけど、弟の学習障害はコーラが原因じゃないかと思っている。私は、中学校に入ると毎日、生のニンニクをすって、オブラートに包み、飲まされた。「これを飲むと健康になるんだよ」って、白雪姫の義母扮する魔法使いみたいに、薄笑いを浮かべた母から毎朝手渡された。生のニンニクは大人でも胃に穴が開いてしまう。もちろん、倒れた。何度も何度も。入院してる間に、決心した。母がくれる物はもう口にしないって。だから、私の子供を生む時でも、実家に戻れなかったし、母に来てもらうことも考えられなかった。それで、雪国で産もうと決心した。子どもが産まれたのは1月10日。39歳の高齢出産で、切迫早産で2カ月入院してたから、11月18日に入院してから約2か月たった退院の日、雪が降ってた。誰も赤ちゃんのお布団を用意してくれていなかった。頼んだのに。夫も義母も役立たずだった…。
 退院の足で、一人で、日暮れの雪嵐の中、ベビーショップに行って、ベビー用布団一式を買った。帝王切開のお腹が痛くて、それに赤ちゃんが不憫で泣いた。赤ちゃんも泣いた。二人とも、絶対幸せになれないと思った。こんな雪の中で、どうやって生きていくの…。

 だけど、雪国で生まれた子供は、雪のなかで、すくすく育つ。雪でアヒルを作ってあげるとめちゃくちゃ喜んだ。毎日、毎日、2人で雪でいろんな物を作って、真っ白な世界で遊んだ。2歳にくらいになると、スキーも滑れるようになる。あれから、22年たつ。毎冬、雪の中、今風のお腹が出ている短いセーター一枚で過ごす。雪が降っても特に気にしない。いつも幸せそう。

 雪国の生活って、大変だけど、不幸ではない。だけどね、私は、もう一つの私の街を見つけたから、雪がないその街で冬を過ごそうと思う。子育ても終わったしね。12月21日に、フランスに向かう。

去年は11月7日にクリスマスツリーをクレーンで運んできた。私のアパート前のこの広場は、クリスマスツリーの発祥地なの。クリスマスは、ここで過ごします。


 

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