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Z世代ディレクターのテレビとの向き合い方(有料記事書いてみた)

1999年、モーニング娘。が「明るい未来に 就職希望だわ」と歌っていた年に生まれた赤ん坊は、2024年、決して「明るい未来」とはいえないテレビ業界に就職し、ディレクターをしています。

先日の兵庫県知事選挙の結果は「テレビというメディアの終焉」なんて言われています。全てのテレビが嘘ばっかり!みたいに書かれてちょっとモヤっとしています。報道とバラエティ、NHKと民放、キー局と地方局、テレビにもいろいろあります。YouTubeの世界にも、迷惑系Youtuberとか私人逮捕Youtuberとかいっぱいいるのにね。

とはいえ、テレビが斜陽産業と呼ばれることは否定しません。今年25歳の僕の同級生にも、家にテレビがない人が増えてきました。Youtubeやサブスクで十分という人も多いです。後輩の世代なんかになってくると、YouTube動画の制作会社に入ったなんて人も出てきました。

斜陽産業かつ、ブラックといわれるテレビ業界にそれでも入った理由。
それは一番「人を驚かせることができる」メディアだと思ったからです。

僕は幼少期から自分の作ったもので「人を驚かせる」のが好きでした。
小学校6年生のとき、クラスで劇の発表がありました。図書室に「小学生のための劇台本」みたいなのがあり、その中からクラスの人数でできそうな劇を何個か先生が選び、多数決で決めることになりました。

でも小学6年生の僕は、候補になっている3つの劇がどれも面白くないことに気づきました。低学年向けの劇はワイワイして楽しいだけの劇ですが、高学年向けの劇は感動的な題材が増えてきます。『ごんぎつね』とかあの辺です。小学6年生の僕は「これなら僕が書いた方がいいんじゃないのか?」と思い始めます。

ちょうど僕は幕末の偉人、それも坂本龍馬にハマっていました。「坂本龍馬の生涯を劇にしよう!○○君が武市半平太役かな〜」とか言いながら、原稿用紙10枚ほどの台本を鉛筆で書いて、軽い気持ちで次の授業に持っていきました。

そこで僕は気づいてしまったのです。
自分の作ったもので、人を驚かせることの快感に。

「同級生が脚本した」パワーは凄まじく、クラス会では満場一致。
6年生の劇は『坂本龍馬』になりました。

次の日から、先生と2人で劇の台本の打ち合わせがありました。
先生からするとたまったもんじゃないと思います。
本に載っているセリフを生徒に覚えさせればいいだけだったのに、小学6年生とマンツーマンで台本を書くことになるなんて。

ちなみに先生の最初の感想は「よくできているけど暗転が多い」でした。
長年忘れていたんですが、キングオブコント2022を見た時に思い出しました。

でも、我ながらよくできていたと思います。歴史上の人物の人生なので、大筋は決まっています。坂本龍馬が暗殺されるのは大人はみんな知ってるので、拙い台本でもなんとかついてこれます。さらに、クラスの人数に合わせて登場人物も調整していて、ある程度同級生の性格にあわせて当て書きしてあります。必然的に全員がハマり役を演じているのです。
ちなみに自分は岡田以蔵役でした。
小学6年生の僕は、自分で脚本して主役もするのは寒い、かといって脇役は嫌だからちょうどいいところにしようという感性も持っていました。生意気なやつです。
坂本龍馬役は、明るい女子が演じました。
僕が「坂本龍馬は○○ちゃんがいいと思う」というと、みんな「ピッタリだね!」と言って賛成してくれました。だって○○ちゃんで当て書きしてるんだもん。

そんなこんなで発表会の劇も無事終了。校長先生の講評で、僕が脚本をしたことも話してくれました。ザワつく保護者席。このときが人生で一番多くの人を驚かせた瞬間かもしれません。

そこから、ぼんやりと「将来は人を驚かせる仕事をしたい」と思いながらも、何を作りたいかはなかなか決まりませんでした。高校生のときに憧れている芸能人は、宮藤官九郎、バカリズム、星野源でした。どうやら高校生の僕は、一つの職業の枠にとらわれず、さまざまな分野で才能を発揮する人に憧れていたようです。

高校3年生になっても将来の夢は決まりませんでした。
それでも文章を書くのは好きだったので、「同級生の卒業文集を代行する」という悪行を働きました。とくに僕がHくんになりきって書いた、Hくんの「高校3年間の思い出」は凄まじいクオリティで、Hくんの父が「あの文集書けるなら受験の小論文は心配ないな!」と息子に言ったほどです。もちろんHくんに小論文を書く力はないのでしっかり浪人しました。

大学に入り、夢がなかった僕にも目指す道が見つかります。
テレビ業界です。
人生を振り返った時に一番驚かされたのがテレビだと思ったからです。

数あるテレビ番組で忘れられないのが、水曜日のダウンタウンの『リアル・スラムドッグ$ミリオネア』です。何も知らない3人のタレントに出題される何の変哲もないクイズ。実はその答えが全て「過去一週間の間に体験した出来事の中」に隠されている、という大きな仕掛けになっています。なぜこの説が好きか?(もはや説でもないですが)

正解が続く中で、過去の出来事がクイズにつながっていた!とゾッとする3人。ですが、最終問題はタレント3人だけでなく視聴者をもゾッとさせる問題になっているんです。安心していた視聴者を後ろから刺すような構造。
これは、多くの人がリアルタイムで同時に視聴する、テレビにしかできない仕掛けだと思いました。

Youtubeやサブスクは好きなときに見られるのがメリットですが、決まった時間に見るテレビにしかできないこともある。斜陽産業と呼ばれるテレビの制限のなかでコンテンツを生み出す方が面白いんじゃないか?と思ったきっかけでした。

テレビ業界を目指すきっかけになったもう一つの出来事はこっちの記事で書いてます。

コンテスト用にカッコつけて書いてるのは多めにみてください。

そんなわけで、テレビ業界3年目。めでたくディレクターも任せてもらってます。テレビ業界に抱いていたイメージと違って、体育会系ではないし、いままで会社に泊まったりしたこともありません。図太く帰ってるだけですが。思ったより本を読む時間もあるし、見たい映画も公開初日に見に行けます。東京の制作会社に勤めている同級生の話を聞く限り、わりと恵まれている環境だなと思っております。

今、一番やりがいに感じているのは、出演してくれた方や取材先の方に感謝してもらえること。たったの3年間ですが、多くの人と関わりを持たせていただきました。この方たちとはテレビを通さないと会うことができなかったんだな、と思いながら日々過ごしています。

ですが、働くなかで気づいたこともあります。

一つは「自分の表現したいことを全て出せるわけではないな」ということ。いろんな人に支えられて完成するテレビ番組は、いろんな人のチェックによって放送されます。コンプラだったりスポンサー関係だったり制約はあります。それを逆手に取ることもできますが、限界はあります。

二つ目は「自分のパーソナルな部分を出すと失敗する」ことです。
例えば、このシーンのBGMでこの曲を流したい!と思ったとします。自分ではピッタリだと思っても、多くの視聴者からしたらピッタリではありません。わかる人にわかればいい!は通用しません。だって見ている人の多くがピンと来てないんですから。こういうときのBGMは老若男女がわかるベタなのが一番です。
自分が好きな芸人をこの番組に出したい!なんてのもだいたいピントがズレてます。芸人さんを好きになればなるほど、その芸人さんへのイメージはパブリックイメージと乖離していくと思います。
結局、テレビマンは自分の好みを殺して客観的な視点を持つことが大事なんです。

僕は考えました。
自分のパーソナルな部分をそのまま出せる方法があればいいと。

そんなわけで僕はnoteを書き始めたんです。

noteで自己を表現すること。
それがテレビでできない自分のたまった感情を発散する場だと思っています。

僕はいつまでもテレビが続くとは思っていません。
そのためには、テレビにしかできないことをテレビでやる。
テレビにできないことを他の方法でやる、です。
これがZ世代の僕なりのテレビへの向き合い方です。

と、明日の昼までに仕上げなければいけない台本を中断してまでここまで書いてきました。
一度、有料記事を書いてみたかったんですが、今月のテーマが「お仕事」ということでこんな感じで書いてみました。

全部読み切ってくださった方、ありがとうございます。

無料で全部読めるようになっていますが、せっかくの有料記事ですので、もしよかったら購入してみてください。
今日も滋賀で打ち合わせだったのですが、行きの1時間半の電車で、最近リリースされたポケモンカードのアプリをずっとやっていました。みなさんの「お気持ち」でどうしてもミューツーexを当てたいです。

noteで「テレビ」や「テレビ業界」のキーワードで検索すると、「テレビ捨ててみた!」とか「ADやめてきた!」みたいな記事が目立ちます。

これからのテレビのために、この有料記事がテレビ好きに届きますように。

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