
【第二章】はじめて小説風にうつ病の浪人生活を書いてみた
絶望…それは病院へ行き、うつ病という診断を受けた時の正直な感情でした。
初めての精神科病院
しんどいからどこでもいい。何も考えず、携帯で精神科を調べ、自宅から電車で15分くらいの精神科病院へ行った。
病院内は奇妙な雰囲気だった。人生に絶望しているような顔をしている人、そわそわしている人、普段生活していて出会うことがないような人が沢山いた。
当時の僕の考えは幼く「自分もこの人たちと同じなんだ」と思い怖くなった。
診察室に入ると精神科医からいくつかの質問を受け、それに答える。その医師は少し高圧的なので、ここでも恐怖感を感じた。
視野が狭くなっていて他の精神科に移ることは考えずに通院することを選んだ。
順調にうつ病は良くなり元の自分に戻る・・・はずだった。
変わらない体調
通院しても担当医とはほとんど話さず、毎回抗うつ剤と睡眠薬が出される。いつまで経っても体調はよくならず、夜は少し寝れるようになったけど、相変わらず憂うつな感情は湧いてくる。
「これで治るのかなぁ」…そんな感じがずっとしていた。
「自分は今何をしているのだろう?自分は何で生きているんだろう?自分は何をしたいんだろう?」そんな言葉が頭から離れない。
いつの間にか予備校に行かなくなっていた。別に行くことは義務ではないし、お金を払ってくれている両親には悪いけど、行くのはやめた。ありがたいことに予備校の友達が僕の為にノートを書いてくれていたので、たまにそれを受け取りに行き、気分が乗る時だけ自宅で勉強した。他には特に何にもしない。
本当に何もしていなかった。外出はもちろん家でもボーッとテレビを観ているだけ。
夜、ベットに行くのは怖かった。
眠れない恐怖と戦うからだ。だから、朝までテレビを観ていた。
苦しむ毎日と周りの人の優しさ
憂うつな気分は酷くなり、だんだん生きているのが辛くなった。
ついに「死にたい」そう思う日が続くようになった。両親はとても心配して優しい言葉を沢山かけてくれた。
「大丈夫?」「不安なら夜一緒に寝ようか?」優しさが嬉しかった。
でも、当時は自分のことで精一杯で他に何も考えられなかった。そして、生きてることがあまりに辛く夜ひとり部屋で泣いていた。
この状態が続き、気付けば12月になっていた。
大学受験をするため高校に調査書を取りに行った。その時に高校3年生の時の担任の先生にうつ病であることを話したら、親身になって話を聞いてくれたあと
「携帯の電話番号教えるから、なんかあったらいつでも電話しておいで」と優しく言ってくれた。
始まった大学受験
1月になり、寒い風が吹き、かじかんだ手をカイロで温めながらセンター試験の会場に行く道中、
「こんな状態で受かる大学あるんかな?」…そんなことを感じながらセンター試験を受けに行った。
帰宅し、自己採点をする。結果は最悪、希望する大学に提出できるレベルではなかった。ここで志望していた国立大学の受験を諦めた。
2月前半、私立大学の試験が始まる。受験会場に行くのには電車で1時間半かかる。僕にはそんな体力はなかった。
結局、受験料を払うだけ払って受験はしなかった。両親には本当に申し訳ない。
その後
行く大学がない。大学にはどうしても行きたい。そう思い両親に土下座した。
「もう1年浪人させて下さいお願いします。」
両親は優しく「いいよ。ゆっくり治療しながら、やっていけばいい」温かい言葉をかけてくれた。
もう一年どう過ごすか。今までと同じように予備校に行くのか、それとも宅浪するのか。
体調のことを考えたら、毎日行かなければいけない予備校へ通うのは難しいと感じた。だからといって宅浪すると環境的にモチベーションが続かなかったり、現状の学力がわからなくなったりする。
なので、小さい塾に週2回ほど通うことにした。
こうして僕の浪人生活2年目が始まった。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
第一章とは違い小説風に書いてみました。
どうでしたでしょうか?
正直に言うと小説風がどういうものかもわからないまま、なんとなく文体を変えて書きました。
しんどい話ではありますが、小説風だと柔らかくなるかなと思ったので、こうしました。
もちろん事実に基づき忠実に書いていますので誇張などはありません。ありのままです。
第三章を書く時は浪人2年目について書いていきたいと思ってます。
よろしくお願いします。
第一章をもう一度読み返したい方へ↓
第三章、四章もよろしくお願いします!↓