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【第三章】僕はうつ病浪人2年生!
4月僕はしんどいながらも受験勉強を開始した。昼頃に起きて勉強し、週に2回塾に行き、深夜に帰ってきて寝る、こんな感じの受験生活が始まった。
厳しい英語の授業
塾では英語の力を入れた授業が行われていた。
内容はひたすら英文解釈をする。わからない英単語があれば辞書で調べる。
授業では、先生が一人ひとり名前を呼び、皆んなの前で自分の和訳を言わされるものだった。基本的に先生は機嫌が悪く、和訳を間違うと怒られた。
周りの生徒も僕も「この塾は合わないな」と言って2ヶ月程でやめ、ここから強い意志を持って宅浪することを選んだ。
間違った選択
これと同時に、通院していた精神科も違うところに移った。これが僕にとって最悪の判断だった。
その病院では大量の薬が出された。「なんか調子良いな」たくさんの薬を飲んでの僕の率直な感想はそうだった。今思えば大馬鹿だ。
これが地獄への道だと、当時の僕は知る由もなかった。ここから数年薬漬けの日々が続くことになるのだ。
薬の効力
大量の薬を飲んで一時的に調子が良くなったと感じていた僕は通常通り勉強を進めることができた。
英語はある程度完成していてたので、この時期から、とりあえずセンターの過去問を解いてみることにした。現時点での自分の学力が一体どれくらいのものなのか…それをまず知らないと話にならない。
しかし、問題が発生した。頭がボーっとする、集中力が持たないのだ。十五分机に座っていると、もうそわそわしてくる。
確実に刻一刻と大量の薬が体を蝕んでいっているのだった。それでも負けじと勉強は続けた。
目指すべきもの
志望校を決めた。秋田県にある公立国際教養大学を受験することにした。理由はいくつかある。
① センター試験が3教科で受験できる。
② 二次試験が英語と国語という、自分の得意教科
③ 留学が1年間必須となっている
④ 24時間図書館が空いていて、いつでも勉強できる環境が整っている
⑤ 学生の行動力や学ぶことへの意識の高さに憧れた
当時の僕からしたら国際教養大学はキラキラしていて雲の上の存在だった。
「辛いうつ病生活を抜け出し、楽しい大学生活を過ごすんだ」
頭の中では国際教養大学の授業で教授と話すような妄想を続けていた。
突然の訪問
7月になったある日、小学生の時の親友が自宅を訪れた。
親友は言った「宅浪してんねやって?夏期講習以降の後期は俺と一緒に予備校行こうや!パンフレット持ってきたで!」
嬉しかった。
孤独な勉強から解放された気分だった。大量の薬により一時的に体調も良くなっているように見えたので僕も家族も、もう一度予備校で勉強を続けられると思った。
次の日、予備校に行き、夏期講習と後期講習の予約をした。
ここから僕の浪人2年目後半が始まるのであった。
この予備校で最高の仲間と出会うことを僕はまだ知らない。
本日もここまで読んでいただき、ありがとうございます!!
この章でうつ病の体験は少ししか話されていませんが、大量の薬を飲んで一時的にマシになってるだけなので、鬱のしんどさを書く部分は少なくなりました。
第四章は浪人生後半を書いていきますので、よろしくお願いします。
では、また次の記事でお会いしましょう。
またね〜!See you again!
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