お釈迦さまに逢う話
一番尊敬する人は?と聞かれたら、お釈迦さまと答える。まだ聞かれたことがないけど。そう思うようになったのは、いつ頃からだろう。はっきり自覚するようになったのはここ10年ほどだと思うけど、中学生のころ仏教に興味を持ち始めた頃から、すでにそうだったのかもしれない。
私はとても反骨精神が強くて、実際に出会ったどんな人にも欠点を見つけてしまうと尊敬できなくなるところがあった。だんだんと歳をとると、どんな人にも、それこそ猫や犬にも美点を見つけて尊敬するようになった。でも、全面的に、あらゆる点で尊敬できる人に出会った事はない。それは仕方ないよね。
お釈迦さまには、当たり前だが実際にお会いした事はない。文献、しかも日本語に翻訳されたものを通じて微かにその人格を知る程度。そしてお釈迦さまが説かれたとされる瞑想法を通じてその存在を確かめるのみだった。しかし、その結果というか、生身ではないけどお釈迦さまを直接?感じる経験をしてしまったのだ。
10年以上前の話、ミャンマーを訪れていた。主に瞑想修行のためだ。2ヶ月のうち、三分の一くらいは移動や観光にあてた。あるとき、瞑想道場の近くにある僧院を訪れた。近くにある比較的著名な寺院という以外の知識はなかった。そこには、「仏舎利」が祀られていた。仏舎利とはお釈迦さまの遺骨のことだ。寺の中心にある仏塔の、さらに中央部の仏舎利が納められた小部屋に入って礼拝したのだが、それは驚くべき体験だった。
以前、私の瞑想の師匠(僧侶・比丘)が、「ブッダガヤにはお釈迦さまのバイブレーションがまだ残ってますよ」と語っていたのだが、そのときは「ふーん」くらいにしか受け止めていなかった。お釈迦さまは歴史上の人であって、自分の人生において交差する存在とは考えられなかったのだ。しかし、そのときは来た。
「なんとも言えない」としか言いようがない。いやそれでは言っていない。
強く、輝かしく、優しい安寧の波動が胸に伝わる。それは慈しみとも喜びとも憐れみとも違う、まったく感受したことがないものだった。「ああこれがお釈迦さまのこころ」そう感じた。2500年の時を超えてお釈迦さまに邂逅した瞬間だった。そして仏舎利がそれほどまでに重視され、信仰の対象ともなっていることが理解できたのだ。
その後、北の方にある都市の、お釈迦さまが実際に説法をされたと伝わるまさにその場所を訪れる機会があった。そこでも、前記と全く同じ波動を感じた。丘の中腹のそれほど広くない空間で、「ああここでお釈迦さまが説法されたという伝説は本当なんだな」と確認できた体験だった。お釈迦さまの説法された場所だからいまだにその波動が残っていたのだと思うが、あるいはそこにも仏舎利があった可能性はある。
こんな話をすると、いろいろと異議や違った解釈が生まれることだろうと思う。ブッダは生身の人間でなくなっただけで実は本当の実体があるうんぬん。。それについては別に書くことにする。
これも実体験だが、義父の葬儀で着た礼服を1年ぶりくらいにまた着用したときに前回の葬儀の時のバイブレーションがまだ服に残っていて、厳粛な気持ちになったことがある。これに限らず、物質にはその人の波動が残るもので、私の感受性が最も敏感な時期には年賀状からもその人の感情を受け取ったりしていた。話に聞くサイコメトリーなる能力や現象もそれの発展系だと思う。
なのでお釈迦さまのような宇宙的なサイクルの中でも滅多に出現しないような人物の波動が2500年の後でも消えることがないことに不思議はないと思っている。
写真は、ある博物館の展示品。どこかの寺にあった仏舎利とされるが見た感じ「石」だ。本物の仏舎利がどこにでもあるわけはない。本物が納められた容器や仏塔の装飾として使われている宝石類を仏舎利の代わりとして扱うということを聞いたことがある。それもまた、本物の仏舎利の波動を近くで受け取っているので偽物と指弾してはいけないのかもしれない。