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曖昧を楽しむ

「曖昧さに耐えられますか?」

キャリアコンサルタントの養成講座に通っていた時、講師の方がおっしゃった言葉です。

キャリアコンサルティングを受けようとする方は、何かに迷ったり悩まれたりする中で相談に来られます。
キャリアコンサルティングを通じて、その方が前向きに自分の道を歩まれるお手伝いをしたいと思っています。
お手伝いをしたい、というかどこまで行っても手伝うことしかできないのだと思います。
支援者という立場であり、意思決定や実際に行動するのは自分ではなく相手です。
そこに責任を持てるわけもなく、キャリアコンサルティングのプロセスに責任を持つことしかできません。

迷っている中で、わざわざキャリアコンサルティングを受けて、何かを選んだり、決定したり、行動しようとしたりすること。
それは、容易いことではありません。
時間がかかることもあります。
その時間、曖昧な時間に耐えられるか。
そんな文脈で、最初の言葉をおっしゃったと記憶しています。

曖昧さに耐えること。
それはきっと、生きている限りそういう気持ちを抱え続けていくことのような気がします。

「信じてるものはありますか?」

こんな問いを受けたことがあります。
皆さん、どうでしょうか?

僕は正直、ないかもしれません。
信じるものがないことはネガティブと捉えられるかもしれませんが、自分では全然ネガティブなことではありません。

「信じたいものはありますか?」

続けてこんな問いも受けて、こちらはあるんです。

ちょっとした言葉のちがいですが、しっかりと見つめてみるとちがいがくっきりとして、自分の答えも変わります。

言葉の捉え方も人それぞれなので、それぞれの解釈があると思うのですが、
僕は、「信じているもの」というと、
「それはそれ。と、決まっている何かを認識しているだけ」
という感じがします。
一方で、「信じたいもの」というのは、
「それはそれ、と言い切ることはできないかもしれないけれど、そこへの希望を持ち続けていくこと」
という感じでしょうか。
心の底から信じたいものは、あります。

話を繋げてみると、「それはそれ。と決まっているもの」というのは、世界にはあまりないのではないでしょうか。
これもまた人の捉え方にゆだねられる部分だと思うので、「あるやろ!」という方もいらっしゃるのだと思います。
でも、正直なことを書きます。
僕はそういった「それはそれ。と決まっているもの」に魅力を感じません。
だって、世界は曖昧だから。
自分は曖昧だから。
正しさははっきりしているかもしれないけれど、
優しさは曖昧だから。
愛は曖昧だから。
それでも、正しさよりも優しさや愛にこだわりたいから。

曖昧な世界を、曖昧な自分で生きていく。
耐えるって言うとツラい感じがするので、楽しみませんか?笑

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岩堀暉久
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