「見返り」を求めるより、「広がり」の可能性を信じたい/D4Pメディア発信者集中講座2024に参加して
「見返り」を求めるより、「広がり」の可能性を信じたい
「自分の言葉で伝えましょう」
どこかで聞いたセリフかもしれない。
僕自身、最近も言われたことだ。
「自分の言葉」を使うとはどのようなことか。
例えば、自分の活動を「自分の言葉」で説明すること。
それは、「なぜその活動をやっているのか」という問いに対して、「誰かのため」ではなく、「自分はどう捉えているのか」を言葉にすることだと思う。
それ自体は、活動に対しての主体性を手放さないためにも大事なことだ。
ただ、「伝える」ことが持っている可能性について考えるときには、もう少し意識したいことがある。
広がっていく可能性があること。
これは、「伝える」ことが持っている素晴らしさの一つだと思う。
伝えた先で、受け取り手がそれぞれの立場で発信されたものを受け取る。
それは、受け取り手の「もっと知りたい」につながるかもしれない。
行動や態度の変化を生むかもしれない。
すぐには何も生まなくとも、いつか何かのきっかけになるかもしれない。
そういった「広がり」を持っているのが、「伝える」ことが持つ可能性だ。
そんな「伝える」ことにおいては、「自分の言葉」を使うことも重要だが、見返りを求める「自己満足」になっていないかを考えることも大事なことだ。
「伝える」ことが、「自己満足」になっていないか。
そのことを考える上では、様々な視点や知識が必要となる。
どれも充分すぎるというラインはない。
「伝える」活動をしていけば、明確な答えがないことに向かい合う気概を身につけられるだろう。
自分の発したものが、誰に、どのように伝わっているのか。
その全てを見届けることは、きっと難しい。
それでも、見届けようとすること。
発信者としての自分の役割に真摯に向き合い、それをクリアに持ち続けようとすること。
「自己満足になっていないか」と自問し続けること。
これらを積み重ねていくことが、「伝える」ことに「広がり」を生んでくれるのだと思う。
「自分のため」は、重要な出発点である。
しかし、自分が発したものが「自己満足」である限り、そこに「広がり」は生まれないだろう。
「広がり」の可能性を生かすため、「伝える」ことについてこれからも考え続けたい。
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