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あなたのまなざしは優しいですか?
人は休むとき、助けてもらうべき存在になるのではない。
— 岩堀暉久 (@aki_FoodCareer) December 26, 2023
必要なのは、自ら助かる力を醒ますステージ。
ー同じ舞台に立って話してくれた気がしたー
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引きこもり「人生終わった」 ゲーム漬け8年、見守る母がくれたものhttps://t.co/90x8Gze1gl
昨日に続き、記事を送ります。
ぜひ読んでみてください。
「人は誰かに助けてもらうものではなく、自ら助かるもの」
記事を読んで、この言葉が思い出されました。
引きこもり。
不登校。
会社を休む。
会社を辞める。
これらのことに対してどんなイメージを持っていますか。
どんなイメージを持つことも自由なのですが、そのイメージは自分に由るものでしょうか。
社会的、一般的なイメージに支配されていませんか。
僕は、中学2年の1か月間、不登校生でした。
当時の気持ちを正確に思い出すことはできないのですが、登校しようとすると涙が出たことを覚えています。
今の自分が、あの時の自分へ声をかけられるとしたら、
「自ら助かりなさい」
と言うかもしれません。
助けてあげるというのは、優しい響きがするかもしれません。
でも、他者の「自ら助かる力」を奪ってしまうのは優しさではないと思います。
同じ舞台に立って話してくれた気がした。
自ら助かるために必要なのは、このような「舞台」なのだと思います。
不登校生は、助けてもらうべき弱い存在なのでしょうか。
そのようなフィルターがかかったまなざしは優しいでしょうか。
手を差し出すことが悪いわけではありません。
その手が必要なときもあります。
でも、誰しもが「自ら助かる力」を持つ存在であることを忘れずにいたいのです。
不登校だから、助けてあげるべき存在なのでしょうか。
そもそも学校へ行かないことは弱いことなのでしょうか。
学校だけのことではなく、弱い存在だと思っている相手へのまなざしについての話です。
*
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