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凡人サラリーマンと古典

最近は古典に関する本を手に取る
機会が増えた。

何千年も前の言葉なのに、
現代に生きる凡人にも響くものがある。

そんな言葉を今日は取り上げてみる。

老子の言葉「大道廃れて、仁義あり」は、
現代のサラリーマン社会にも深い示唆を与えるものである。この言葉を自分なりに解釈し、職場でのあり方について考察する。

その前に老子について説明をしておく。
老子(ろうし)は、中国の古代思想家であり、道家(どうか)の祖とされている。
その思想は『道徳経(どうとくきょう)』という書物にまとめられており、道家哲学の基盤を築いた人である。

老子は、自然の摂理に従い、無為自然(むいしぜん)を重んじる思想を提唱。無為とは、意図的な行動を避け、自然に身を任せることを意味する。

彼の教えは、権力や欲望に執着せず、
柔軟で謙虚な生き方
を説く。

老子は「道(タオ)」という宇宙の根本原理を中心に、人間のあり方や社会の在り方を考察し、調和とバランスを大切にする生き方を推奨した。そのため、彼の思想は個人の内面の平穏や、自然との調和を求める現代にも大きな影響を与え続けている。


「大道廃れて、仁義あり」とは


「大道」とは、老子が理想とする自然の秩序や道を指すものであり、それは無理なく物事が流れる理想的な状態を意味する。

すなわち、人々が自然に役割を果たし、無理にルールを強制する必要がない状態である。
しかし、老子が指摘するのは、この「大道」が崩れると、代わりに「仁義」、すなわち道徳や正義が登場するということである。

言い換えれば、自然な調和が失われたとき、人は秩序を保つために道徳的な規範や法律を設けなければならないという意味である。

これを現代のサラリーマン社会に置き換えると、理想的な職場では、各自が自分の役割を理解し、自然に協力し合い、過度な競争や厳格な規律は必要ない状態が想像される。しかし、現実の職場では、そうした理想的な環境は少なく、しばしば成果主義や業績圧力が強調されるあまり、「仁義」のような厳しいルールやノルマが前面に出てくる。老子がこの状態を批判するのは、形式的な正義や道徳が人間の本質的な幸福や調和を損なうからである。

サラリーマン社会における「仁義」


サラリーマンの世界でも「仁義」が強調される場面は多い。

たとえば、成果主義や競争が激化すると、
社員同士が協力し合うよりも、
互いに競い合い、時には他者を
押しのけることが奨励される。

上司や会社の目標を達成するために、
無理をしてでも結果を出そうとする
姿勢が称賛される。

このような状況では、
社員は表面的には「仁義」を守るように
振る舞うが、内心では焦りや
不安が募り、ストレスが増大していく。

野村氏が指摘するように、
こうした競争社会では、他者との比較や
勝ち負けに囚われがちである。

しかし、老子の言葉が示唆するのは、
こうした外面的な「仁義」に囚われることが、本質的な幸せや心の平安を遠ざける
ということである。

大道を目指す働き方


では、サラリーマンとして
どうすればこの「仁義」の罠から抜け出し、
老子が言う「大道」に近づけるのか。

まず、重要なのは競争や他者との比較に
とらわれないこと
である。
会社の中での昇進や評価は重要であるが、
それが自分の人生全体を支配するもの
ではないことを認識する必要がある。

また、自分自身の内なる「大道」を見出すことも大切である。それは、自分が納得できる形で仕事に取り組み、無理なく自然に力を発揮できる働き方を模索することである。例えば、同僚との協力を大切にし、チーム全体の成功を目指すことで、結果的に自分の力を最大限に発揮できる場面が増えてくるであろう。無理に他者と競争するのではなく、自然に流れるように仕事に取り組むことが、長期的には大きな成果につながるはずである。

決して我々凡人といえども、居場所は
会社だけに限らない。
家族だったり、趣味のコミュニティーで
あったり輝ける場所は必ずあるのだ。

結局は自然体でいいんじゃない

「大道廃れて、仁義あり」という老子の言葉は、サラリーマンに対して、
競争や規則にとらわれず、
自然体で働くことの大切さを教えている。

この本から学び、焦りや不安から解放され、職場での協力や自己成長を大切にすることが、
より豊かな働き方と人生を築く
鍵であるといえる。

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