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他人への評価の単純化、画一化の怖さ

おはようございます、こんにちは、こんばんは、多田です。

今回は前回の記事

についての続き、いわば反省した部分を書いていきます。
反省点を端的に言えば、人をステレオタイプに判断することをやめようということです。

前回の記事で僕は最低保証と上限撤廃の話をしました。そこでは有能だったりやる気のある研修医とそうでない研修医を見極めて、それに応じた指導をしようという作業の必要性を書きました。
現在においても、その仕組みの必要性は自分の中で潰えていないのですが、問題はそこに至るまでの有能か否かの判断についてです。

人間は成熟や成長するときに、画一化と単純化という手段を得ます。
小学生のころには足し算引き算、かけ算割り算という未知のものに対する恐怖と戦い、その仕組みを理解し、単純化して自分のものとした記憶があります。
大人になってもそれは同じです。仕事において経験を積めば積むほど解像度があがり、次にやることが見えてきます。そしてそれは大抵の場合決まりきっていて、どこを省略していいかも段々と分かってきます。
医療の話で言うと、いわゆる初期抗菌薬選択のEmpiric therapy なんかも経験に基づく単純化と画一化といえます。

注:感染症治療時に菌が判明するには数日の時間を要すので、初期治療として想定されうる菌に対しての効く抗菌薬を使用することをEmpiric therapyと呼ぶ

またそのような単純化は限定的な話ではありません。

ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの著書「ファスト&スロー」で取り上げられた、システム1(潜在記憶に基づく直感的認知)、システム2(顕在記憶を使った内省的認知)という分類とほぼ同じです。
個人的には物事を効率よく、多くのことを成し遂げるために沢山の物事をシステム2からシステム1へ移行し、本当に大切なことをシステム2で処理することの不可欠さに疑問を抱いてはいません。しかし、当然のところデメリットも存在します。
それが冒頭に言った通り、研修医の評価に対する単純化、画一化です。

僕は新しく回ってきた研修医に対して仕事は無難にこなしそうだけどやる気は無さそうだなという判断をしました。
しかし、家に帰って自分がなぜそのような評価を下したかを考えるとプロセスはこんな感じでした。

大学名→部活→容姿→質問、対話への回答→表情

問題なのはその情報のみで判断したことではありません。その検索条件に基づき、自分が医学部、仕事で出会ってきた人間から類似の人間を抽出し、平均し評価を下したということです。
つまり、評価の過程にその研修医は内在していないのです。
ただ大抵の場合、それは当たります。自分の大枠を隠して生きれるほど大抵の人間は器用ではないので。

じゃあいいかと言うとそうではありません。その作業によって、他者にある砂中の一粒の宝石を見逃してしまう可能性があるということ。勝手な決めつけで相手に興味を失ってしまい、結果的に人間関係への不利が生じることが問題だと思うのです。

ただでさえ社会人になって、人との密接な交流が少なくなった現在。そして社会人になって、人と関わらず自分のやりたいことをただやればいいという状況ではない現在。新しい何かを発見する手がかりとしても、業務や日常を円滑に進めるためにも、画一化や単純化は危険を孕んでいると感じました。

またこれを書いていて、改善策として月に1回でも良いから新しく人と話してみようという目標を考えましたが、数秒経って

「うーん、厳しいかも、そんな積極的に行きたくない」

という結論になりました。それくらい自分が人と触れ合おうというハードルが高いことに少し驚きます。

なので妥協策として自分から新しい関係を作ることは出来なくても、今回ってきてくれる研修医に対してはステレオタイプな画一化や単純化はやめようかなと思いました。その判定をシステム1に落とし込むことを意識的にキャンセルするということです。
これは業務の効率化とかとは全く別問題の話で、自分が長期的に「人間」として生きるためのエクササイズなのだと感じます。

ただ、こんなことを書いていて

……いちいちこんなこと考えず、誰しもに興味を持って打ち解けられる人間で生まれたかったなぁ

そう思いました。いやそういう時期はあったのかもしれない。
いつからこうなってしまったのだろうか、いっそ赤ちゃんに戻りたい。

赤ちゃん、いや赤さまは僕らの下らないバイアスを持たない素晴らしいお人のようです。毎日新生児室でお祈りを捧げねば。(ちょっと中の人が炎上してましたが、それでもゆる言語学ラジオ好きです)

また、偶然にも同時期に社交的な友人が「女性と会うときにステレオタイプな判断をしてしまうことを直したい」と言っていて、こんな人間でもそう思うんだなぁと少し肩の荷が下りました。皆さんも多かれ少なかれ同じようなことを思っていたらほっとしますが、いつか会ったら初めて触れ合う赤ちゃんのように新鮮な気持ちで対峙してくれると幸いです(笑)

ではでは、また!

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