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偲んでいるけれど、もう耐え忍んではいない。けれど泣きすぎて頭痛し。
今日は、大切な大切な方の命日。
あの時の一連の流れと感情は、とてもとても不思議な体験だった様にも思う。
出会いも、関係性も、感情も。
何かを悟っていて、もう動かせない運命をそのまま辿っていた様に思う。
悪い予感を信じて、そう思う自分を信じて、ぶち壊すことはできたと思う。
けれど、そんな悪い予感は当たらないんだから、と自分の予感を、感覚を信じられなかった。
後悔はしているけれど、そうしたからとて、どうしようもなかったのかもしれない。そればっかりはわからないよ。
出会った時から、彼とは一生一緒にいるんだろうな、と感じていた。どうしてかわからないけど。こんなところもなんだか今思うと運命的だったなと。
ある意味それは、彼にとってはそうで、私にとってはそうでなかった。
その時期は、感覚というか勘というか、第六感というか、目に見えない感覚と言いますか、すごくすごく発達していたように思う。
だからなのか、彼との出会いからさよならまで間は、とても濃密で不思議な感覚を感じていて、なんだか能力者にでもなったかのように、未来を予想できた。
予想できたというより、こうなるのかな、と思ったことが、その通りになるという不思議なことがずっと起こっていた。
今となって、気づいたことだけど。
もし、ブラッシュアップライフみたいに、人生をやり直せるなら、私とまた一緒に笑って泣いて喧嘩する人生を選んでくれるかなぁ。
もし、生まれ変わりとかそういうのがあれば、もう、新しい人生を歩んでまた一生懸命生きているかもしれない。
願わくば、あたたかい人たちがそばにいて、一緒に生きていて欲しい。な。
と思う。
この命日付近は、彼がいなくなったときの体験を、とにかくフラッシュバックさせる作業が必要で、今日はどっぷりざっくりぼっすりハマらせた。
これを我慢してしまうと、いききれない思いがいつまでも出てきて、勝手に涙を流してしまったり、ダークゾーンに落ちて上がらなくなる。
だから、自らハマってしまうの。
自らフラッシュバックするの。
あの頃一緒に聴いていた音楽をリストアップして、聴いて、いろんなことを思い出して、身体から水分が全部流れてしまうんじゃないかってくらい泣く。
彼が好きだった食べ物と飲み物とあの当時私がよく飲んでいた飲み物を用意して。
どっぷりはまる準備はできている。
がしかし、なぜかわたしは、急にベランダと窓を掃除始める。なぜだ。窓はピッカピカだ。気持ちええじゃないか。
窓辺のソファーからピカピカの窓越しに空を眺めて、青空と雲が澄んでいて窓も空も綺麗で爽快だった。気持ちが良かった。
空の綺麗さに心が穏やかで温かくなって、だけど、その気持ちを共有できる彼が隣にはいなくて、寂しくなって、涙が溢れた。
もうね、でもね、けっこう大丈夫なの。
これは偲びの儀式みたいなもので、もう辛くはなくて、辛くて耐え忍んでいるわけではないの。
いなくなった当初は耐え忍んで苦しくて辛くていたけど。
今はもう偲ぶだけ。
あんなに苦しかったけれど、わたしは今もちゃんと生きてる。えらい。わたし。
えらいよなぁ、わたし。
今日はあと少し、もう少し、ダークゾーンに落ちて美味しいものを食べて、お風呂に入って、彼の好きだった白檀の香のお香を炊こう。
まぁまぁ、忙しいな。