ボストンで勉強したこと 10
さて、ついに最終回。ここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございます。
当時の観光ビザで許された三ヶ月間、ボストンに滞在して、いよいよ旅立ちの日を迎えました。久司ハウスに挨拶に行くと、久司さんは快く記念撮影に応じてくださり、家族のみなさんもいっしょに写真に収まってくれました。それにしても、あの久司先生のおとなりにだらっと映り込むわたくしの「ど」のつくカジュアル具合… 長旅の途中ですので、フォーマルな服装は持たない旅でしたが、もう少しぱりっとした格好で、しゃきっとした姿で いられなかったものかと、今は老人目線ですので、本当に申し訳なく、お恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
でも、あつかましいかもしれないですけど、我々のような馴れ馴れしくて 図々しい若者とのふれあいを、久司さんは楽しんでもくれていたのではないかと、ほんの少し思うのです。それは、わたしが当時の久司さんの年齢を 越えてしまった今、たとえばアートの現場で触れ合う機会のある若者たちに対して思うことでもあるのですが、中にはあきれるくらいの「野生児」もいますが、だいたいが無邪気で元気で夢や希望にあふれていて、そして何より自分自身やその未来を信じていて、そんな若い人たちがそばにいるだけで 癒されるのです。シンプルに若さっていいな、若者はかわいいなと心から 思うのです。
だからという流れも変ですが、久司さんならびにボストンのマクロビオティック関係者のみなさん、数々のご無礼、お許しください。そして本当にお世話になり、ありがとうございましたと感謝に満ち満ちて、我々は次のシーンに進んだのでした。
誰の書いた童話だったか…えんどう豆のさやがはじけて、豆が飛び出すお話がありました。あれはかなりいい話だったなと思うのですが、我々のようにあまり持ち時間に拘束されない旅の場合、タイミングって大事でした。急ぎすぎず長居しすぎず、そして何より「飛ぶえんどう豆、後を濁さず」きれいにぱーんと飛び立たなくてはいけません。そうしないと遠くに飛べない気がします。
ボストンで一番学んだことは何かというと、うーむ何だろう…自分で考えろっていうことかな?ブームに乗らず、誰かに煽動されず、自分で感じて自分で次に足を下ろす地面をみつけろっていうことかな?
久司さんからわたしが学んだことは、そういうことだったと思います。マクロビオティックのいろいろな理論や、東洋医学や、調理法や観相学や、ヨガや呼吸法や、そんなことじゃなくて、でもそれらのすべてでもあったのだけれど…うーん、うまく言えない。
その後も我々の旅は続きました。ヨーロッパからアジアまでという意味でも、帰国してこどもを持って、地域で普通に暮らしてという意味でも、旅は延々と続き、今も続いています。
帰国後我々が、自分たちの地元でマクロビオティックセンターを作ったかというと、答えは「NO」です。夫婦の共通の妄想として、そういうアイデアを温めた時期もあったのですが、ビルを持って、一階がナチュラルフーズ専門のお店、二階がマクロビオティックレストラン、三階が画廊で、四階が自宅みたいな夢… いかんせん、その夢を実現させるためのお金がない!ビル一棟、いくらするねん?って話です。
あと、スタッフなしでは、そういう計画は実現できないでしょうが、我々夫婦は根っからのクリエイティブ系、人を使えるキャラではなかったことも 大きいかもしれません。
では何をしたかというと、特にマクロビオティック的活動ではないですが、わたしは全国各地で開催した個展やグループ展の作品のテーマを食の大切さや、家族仲良く、世界平和を願いますみたいなことにしました。久司さんがボストンで発していたメッセージも、結局はそういうことだったのではないでしょうか。玄米菜食でからだを整えることだけを目指していたのではないはずです。食に配慮し、健康体を手に入れたなら、次はこの世界のために あなたは何ができるのかということが、久司さんのレクチャーでは常に問われていたんじゃないかなと思います。自分の健康、自分の幸せ、自分の自分のと、どんどん内向きに追求していく先に一体何がみつかるのか、本当の心の安寧や充足や幸福感は、そこにはない気がするのです。
そうそう、ボストンでわたしが一番不安を感じた、マクロビオティックの食生活と、子育ての両立についてですが、やはり実際体験してみると、ストレスフルな面もあるにはありました。でも自分が体験する前に、一度問題意識を抱いていましたから、それが疑似体験のようになって、ワクチンとして 効いていた気がするのです。あまりこだわりすぎると、こどもって思いがけない場面で大爆発するぞと頭の隅に意識していましたから、そのおかげで、現実には、大きな問題とはなりませんでした。
一番困ったのは、普通の家庭(ほとんどのおうち)にお邪魔した時と、幼稚園や学校でのイベントです。普段うちでは見慣れない普通のお菓子に、やはりマクロビ家庭のこどもは強く反応します。他の子が「つまんないお菓子」と見過ごすような、飴チョコの入った容器に、うちの子だけ目がぎらついていた時もありました。そんな時わたしは、ほら、ボストンで「ワクチン」打ってますから、多少あわてながらも、大パニックにはならずに済んでいました。
ワクチン打ってないと「だめー」「それ、毒だよ」と大騒ぎし、そういう 集まりにこどもを行かせなくなったり、駄菓子を浴びせるように食べさせるおうちの子とは遊ばせないようになるのです。笑い話みたいだけど、マクロビママは、そうなる可能性はあると思います。平均的食生活をしている親から見たら異常なんじゃない?と思われるかもしれないけれど、根底にあるのは、こどもにいい食品を食べさせたい、健康に育てたいという、ごく当たり前の親心ですから、笑わないで見守ってやっていただきたいのです。
で、うちのこどもの子育てはどうなったかというと、一人は普通に平均的な食生活で、ファストフードもジャンクフードもオッケーな家庭で、一人は かなりわたしに近い感覚で、子育てをしています。
それでいいと思います。
わたしは、わたしなりに地道に、マクロビオティック的な食生活を実践して、それを見て育った二人は、それぞれの生き方をしている。
うん、それでいいと思います。
ボストンで勉強したことは、そういうことでした。一度、とことんこだわって、勉強して、勉強して、そして、ある瞬間から、こだわりを手放す…
まるで禅です。
結局、こだわりを手放すのなら、仕事やめて、わざわざボストンまで行かなくてもよかったんじゃない?と思われるかもしれませんが、それは違う。
あの時、実際に、あそこまで足を運ばなかったら、一周回って手放すところまで行けなかったんじゃないかと思うのです。
ほんと、こういうのって、禅ですね。
あの日々から40年…
今は自分のからだの声に、耳を傾けながら、シンプルに生きています。
読んでくださったかた、ほんとうにありがとうございました。
わたしの命の旅は、まだ続くようです。