Bという町の Rという青年
これは インドのある町で 出会った 実業家の青年Rの 思い出です 当時 同年代か 少し年下だったと思うので 今も ご存命で ご活躍なさっていたら ご迷惑が かかりそうな話なので イニシャルトークにしますね
その町に滞在していた時 わたしは ノイローゼ一歩手前で インドのことが 嫌いになりかけていました
連泊していた 小さなゲストハウスには 朝ごはんの時から 村に住む 少年たちが やってきて ガイドさせろと コバエのように うるさいのです
わたしにとっての最終手段「嘘泣き」で 彼らを 追っ払うと なんだか 申し訳ないような気分になってしまい 本当に インドという国は 自分探しどころか 毎日 自分の イヤなところと 向き合わざるを得ない やっかいな国でした そして いいオトナの嘘泣きで ちゃんと Oh No! Sorry Sorry と 立ち去ってくれた彼らの やさしさのようなものに 気づいてしまうと こっちが 自己嫌悪に 陥りそうにもなり 気持ちが やたらと アップダウンして 本当に 疲れるのです
その村には 日本人が 多く逗留していました 海外滞在が 7ヶ月を超えて 無性に 日本人と しゃべりたいタイミングだった我々も つい 長居を してしまったのですが なにせ 小さな村で お互い 顔を 付き合わせるようにして 過ごしますから やがて インド人とも 仲良くなれたのでした
村一番の お金持ちと 自称するRは 日本人相手に ガイド業と 貿易で 稼いでいるようで 自分が 提携する土産物店に 日本人観光客の団体さんを 連れて行き 怪しげな商品を 結構な 値段で 売りつけていました 一度 我々も 連れていかれましたが 売り物が 粗悪品なのは 商品を 手に取れば すぐに わかりました 「いやあ さすがに これを この値段では 買わないよ」と 夫が 告げると Rは にやっとして それでも 怒るでもなく 夜になると「いっしょに 飯を食おう」と言って 奢ってくれたりしました まっすぐ 相手の目を見て 物を言う夫のことが 気に入ったようでした
インドでは ビールは 貴重品で ましてや 冷蔵庫で冷やしたビールは 高級品でしたが Rは 夫が酒好きなのを知ると それも買ってくれて 飲め飲めと 言いました
で Rも ビールを飲み 酔うほどに 出るわ 出るわ 日本人の悪口が 止まりません 最後は 半分 泣くようにして「日本が 嫌い」「日本人が 嫌いだ」と 繰り返していましたが「俺の歌を 聞け」と おもちゃみたいな 日本製の赤いラジカセを 持ち出してきて 歌った歌が 伊勢正三さんの「22才の別れ」だったんです
今なら わかるんだけど って 半分 妄想ですが Rは たぶん 好きだった日本人女性に ふられたんじゃないかな って なんだか そんな気がします
わたしは 酒の勢いを借りて溢れ出す とめどないRの愚痴を 聞きながら「それは あんたが 日本人を 騙すようなやり方で 商売をしてるからじゃないの?」と 喉元まで 出かかったけれど そんな ことの本質にせまるような話は できませんでした もし Rが 本当に 日本人と いい関係を 結びたいのなら まず 真心で 商売したら どうなのって 言いたかったけど お互い クセのある英語で交わしていた会話の中で それを どう 伝えればよかったのか 当時のわたしには ハードルの高い問題でした
その後 我々が帰国してから 街中で ばったりRに会ったことが ありました お互い すぐにわかって 変に なつかしくて でも 挨拶を交わすと Rは すぐに雑踏に消えました
インドを 旅する中 たくさんの インド人と 知り合い 手紙を 交わした人も いたけれど 一番 濃く 思い出に 残っているのは Rの「日本人が 嫌いだ」という言葉と 彼の歌った「22才の別れ」です
写真は Rではなくて 毎朝 わたしを悩ませていた コバエくんたち
真ん中は わたしと違い 誰とでも フレンドリーになれる夫です