武将が愛した抹茶、文人が愛した煎茶
12/9は夏目漱石の忌日。
夏目漱石は、煎茶をこよなく愛していたと言われています。
時代背景によって、愛されたお茶が変化しているのをご存じですか?
今回は、戦国時代に武将たちに愛された抹茶、江戸時代後期から文人たちに愛された煎茶についてお伝えします。
抹茶はエナジードリンクだった!?
日本にお茶が伝わってきたのは奈良〜平安時代初期。当時、中国から渡ってきたお茶は抹茶のようなもので、薬やお坊さんの修行の時の眠気覚まし、または、千利休に代表されるように、武将たちがたしなんでいたものです。
現代で茶道と言うと、茶室に入って厳かな雰囲気の中、お菓子とともにおいしくいただく、というイメージですが、千利休の頃は、まだまだ日本各地で戦があった時代。明日命があるかわからない、そんな中に生きている人がほとんどだったと思います。
いつ起こるかわからない戦と言う現実の中、特に自分の国を守っていた武将たちは、小さな茶室の中で茶に向き合い、人に向き合い、そして自分に向き合っていたはずです。
抹茶は、熱いお湯で点てることで、覚醒作用のあるカフェインが多く抽出されます。これが眠気覚ましになったり、戦に備える上での気付け薬のような役割を果たしていたのでは?と考えられます。
つまり、抹茶はまさに、現代で言う所のエナジードリンクだったのです!
当時は、抹茶以外にカフェインを含む飲み物を人々が摂取する機会はなかったので、現代の私たちよりはるかに、カフェインが効いていたのではないかと推測できます。
戦の前などに、茶室で気持ちを落ち着けつつ、抹茶を飲んで気合を入れていたのかもしれませんね。
抹茶と対照的な煎茶
戦だらけの戦国時代が過ぎ、徳川家康が天下をとって、平和になった江戸時代、1738年には煎茶が、1835年には玉露が開発されたことで、抹茶に変わって煎茶が勢いを増してきました。
江戸時代の後期から茶道界で勢いを持っていたのは、実は「抹茶」ではなくて「煎茶」だった、と言う事実は、意外と知られていません。
玉露や煎茶を低いお湯で丁寧に淹れると、カフェインよりもテアニンというリラックス成分が多く抽出され、抹茶とは対照的にリラクゼーションドリンクとなります。淹れる温度でONとOFFを切り替えられる...そんな二面性を持っているのが、日本のお茶のすごいところ。
煎茶や玉露の、透明感がありながら、旨味とふくよかで余韻の続く香りに魅了されたのは、多くの文人たちでした。
夏目漱石もその一人。
彼の作品にもお茶の描写があちこちに見られます。
以下は、夏目漱石の「草枕」の一説。主人公が、とある老人の家に招かれ、玉露をいただくシーンです。
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茶碗を下へ置かないで、そのまま口へつけた。
濃く甘く、湯加減に出た重い露を、舌の先へ、ひとしずくずつ落して味わって見るのは、閑人適意の韻事である。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違いだ。
舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉へ下るべき液はほとんどない。ただ馥郁(ふくいく)たる匂いが、食道から胃のなかへしみ渡るのみである
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閑人適意(かんじんてきい)=世間から離れて、のんびりと風流な生活をすること。そのような人のこと。
韻事=詩歌や文章を作る風流なわざ、あそび。
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ほんの一滴にこめられた、奥深い味わいと香り、余韻を感じられる一節です。
喉も心も潤す「お茶」
お茶というと、普段何気なく飲んでいる方が多いと思いますが、このような時代背景を知った上で飲むと、また味わいが深く変わると思います。
お茶だけに限らず、さまざまな食べ物、日用品、そして接する人の背景には、いろんな歴史や想いがあります。単に表面だけを味わうのではなく、きちんとその背景も咀嚼することで、感謝の気持ちも自然に浮かんでくるはずです。
そうやって、日々の食事、出来事を味わうことで、心の中の嫌な感情や蓄積されたマイナスのものが浄化(デトックス)されていく...。
これが、私が提案している、食の断捨離ペアリングに繋がっていくのです。
日々出会う、もの、人の背景を想像しながら、大切に今日を過ごしてみてくださいね。
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