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事業クローズ|使命感と現実の間で揺れた3ヶ月

2024年10月末、私はHue-ish株式会社(ヒューイッシュ)創業前から運営してきた夫婦の対話支援事業をクローズしました。個人事業主時代の2020年に生まれ、これまで累計28人の仲間と一緒に14回のピボットを経て挑戦し続けた、大事な事業です。

会社としては継続、もう一つの関係人口創出事業については継続していくのですが、夫婦の対話事業を手放すことは、人生でも最も大きな節目になりました。

クローズする、というご報告をSNSはじめ各所でさせていただいたところ
多くの方に連絡をいただき、「手放す」という判断が多くの人にとって勇気になるかもしれないということを感じ、

正直ためらいはありますが、この記事でクローズの決断に至るまでのプロセス、そこに至る背景について勇気を出してお話します。


2024年8月|判断の先送り


2期目の終わりに向けて、私は事業の理想目標と撤退基準を設定していました。Hue-ish株式会社は大きく2つの事業を運営していましたが、売上的には実質、今回クローズした夫婦の対話事業とは別の事業で会社を継続してきている状態でした。事業として挑戦している以上、達成できなければ事業をクローズするという覚悟を持って基準を設定し挑んだものの、2期終わりの7月末、結果的に撤退基準を下回りました。

実は、前年度にも同じように基準を設け未達になっていました。にも関わらず、「お客様も増えているし、兆しも生まれてきたし、何より思い入れがある事業だから、もう一度だけ挑戦してみよう」という思いから決断を先送りしていました。そうやって都合よく延長してしまうような甘いスタンスも、今回の結果に繋がる原因の1つだったかもしれません。

そして今期についても、昨年の時と同じように、すぐ撤退することができずクローズするかどうか迷ってしまいました。


最初は、撤退しない言い訳を考えていた


この時迷った理由はいくつかありますが、
まずは、少しずつ増えてきていたユーザーさんの存在。そして、自分が旗を掲げて来てもらった仲間の存在です。

少しずつですが、半年、1年と伴走させていただくユーザーご夫婦が増え、あるご夫婦は半年で信じられないほど対話が変化し、「『ふたり肯定感』が上がりました。本当にありがとうございます。」と言っていただき、心から喜んだのを覚えています。

自分が「こうしたいんだ!」ということで始めた事業。ユーザーさんやメンバーさんの他にも、ヒアリングさせていただいたり壁打ちしてもらったり、本当に多くの方のご協力があってここまで来ました。こうして少しずつ期待をいただくようになって「これからだ!」というときに、恩を返せていないまま自ら旗を降ろすことは、想像するだけで本当に心が張り裂けそうでした。

2022年に撮影したメンバー写真


そしてもう一つ、私自身のエゴが迷いの原因でした。
この事業は「私の人生そのもの」だと考えていたんです。

夫婦の対話支援事業は、自分自身の原体験から生まれました。問題意識自体は中学のときに持ち始め、事業という形ではないですがずーっと、特に大学生以降は前職時代においても途切れずに取り組んできたテーマでした。社会の課題でもありますが、今思うとそれ以上に「自分の人生の課題」だったんです。

極端な話、自分の人生自体もその課題解決のための手段だ、使命だ、と位置付けていたような気がします。

ここまで自分のアイデンティティと化した事業を手放すというのは、生きる目的を無くすような恐れがあって考えられなかったんです。

2024年9月|自分との対峙

そうやって決心がつかなかった時に、事業として継続していくかどうかという問いに、本気で向き合うきっかけになった出来事がありました。

メンバーの離脱が気づかせてくれた未熟さ


それは、メンバーの離脱でした。今までも新しいメンバーに入ってもらったり、離れることになったりということは何度もありましたが、今年は予期しないタイミングで予期していない人が離れる、ということが重なり続けました。その時は、「とにかくカバーしなきゃ」と必死に目の前の仕事に逃げて考えないようにしていたのですが、立ち止まるきっかけがありました。

「大変そうなのに、何も力になれてなくてごめん。」
みんな共通して、離れるときにこう言ったんです。

ショックでした。
隠せていると思っていたけど、大変そうに見えていたんだ。そしてみんなの活躍の機会を私が奪っていたんだ。。

私にとっての理想のリーダーシップは、メンバーが自分自身の可能性を信じられるようになっていくような、エンパワーするリーダーシップでした。その人と一緒にいると自信が湧いてくる、そんなリーダー像です。しかし現実には真逆。メンバーの自信を喪失させてしまっていたことはもちろん、自分を信じてあげることも自分を楽しませることもできなくなっていたことに気づかせてもらいました。

役割分掌、任せた後のフォロー体制、フィードバック、コミュニケーション、自分自身の在り方、、、それぞれが発展途上だったということに加えて、よく考えるとこの時、明らかにおかしい状態でした。

笑顔がうまくできなくなって、興味関心や楽しさが消え仕事以外の時間は何もする気が起きず寝るしかできない。自分で認識していた以上に、無理していたのかもしれません。

怒りからの解放と、変化を受け入れる難しさ


さすがに、向き合わないと。
しばらく逃げていたのですが、こうした出来事に後押しされて、自分自身と深く向き合うことに決めました。それは、起業当初から抱えていた社会課題への使命感に対し、私自身の価値観や状況がどのように変化してきたのかを見つめ直す時間でもありました。

振り返ると、この事業の出発点は、自身の家族の体験でした。「なぜこんなにも近い関係である"家族"の間で、本心が伝わらず大きなすれ違いに発展してしまうのか」という悔しさや怒りが原動力となっていたのです。

しかし、事業を続ける中で、夫婦や家族の多様な形を目の当たりにし、自分自身もまた家庭を築いていく過程で、少しずつ"家族"を客観視していくようになっていました。近すぎた問題意識と自分の距離が徐々に落ち着いていたのです。

そして遡ること7月。自分の親との対話が叶い、今まででは考えられないほど穏やかに自然に進んでいき、もうそこには怒りはなく、あったのは感謝でした。

こうして、自分自身に起きていた変化に自覚的になっていった一方、
会社としてと考えると、あれだけ「課題だ!問題だ!」と言っていたものを急に「解決されちゃいました。」と言うなんて無責任だ、おかしい。と、結局変化した自分を受け入れられないままでした。

そんな時、友人の経営者と話す機会がありました。


自分を大切にできない私が、仲間を、社会を大切にできるのか


その友人は、
「自分のエゴだらけで会社やってるよ」と率直に語っていました。

一見びっくりしますが、これを聞いたとき、私は心の中で何かが解けるような感覚を覚えました。それまで"会社ならこうあるべき"といった枠組みに囚われ、自分自身を縛りつけていたことに気づかされたのです。

これをきっかけに、私は改めて「自分自身の幸せ」から物事を考え始めました。それは、「やるべきこと」や「あるべき姿」に縛られすぎるのではなく、自分の感謝や喜びを分かち合い、遊び心や純粋な好奇心を形にしていくことです。

こうして自分に向き合ったことで、かつての「問題解決に向き合うぞ!」という動機から「喜びを広げていきたい!」という動機へと変わりつつあったことに気づき、次のステップを踏み出そうと決めました。


2024年10月|終わりと始まり


事業のクローズはひとつの終わりであると同時に、新しい挑戦への始まりでもあります。

それは会社にとってもですが、人生で何十年も抱えていた問題意識を手離すことは、自分の人生にとってもシーズン2が始まる節目だと感じています。

シーズン2。
次は、軽やかに、でも貪欲に、挑戦を続けていきたいと思い、すでに動いています。ビジョンや挑戦の具体については、年始にnoteで公開予定です。ぜひ読んでいただけたら幸いです。


記事を書く過程で、やっぱり悔しさや恥ずかしさを思い出しました。これを読んで「甘いな」とか「かっこ悪いな」とか思う人もいると思います。

でも、こうして自分で始めたことを辞めたという経験を、むしろ役立てていける人になれるように、という思いです。

何か自分の中でつっかえるものがある方がもしいらっしゃったら、お気軽に連絡ください。


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