ピアノ協奏曲のオーケストラ≠伴奏

一番に好きなラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」の演奏は、いつも言っていますが、タマーシュ・ヴァーシャーリ(ピアノ)&ロンドン交響楽団/ユーリ・アーロノヴィチ指揮、です。ピアノに遠慮しない迫力が随一で、何度聴いてもこうあるべきと思う。オーケストラの表現意欲が旺盛なのです。

一番に嫌いなラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」の演奏は、クリスチャン・ツィメルマン(ピアノ)&ボストン交響楽団/小澤征爾指揮、です。

発売当時は各所で手放しで大賞賛だった。当時の評価があまりにも悔しかったのだろう。その時目にした一節をメモしてある。

小澤のバックも、グラマラスで重心の低い、意志的な響きと弾力的なリズム

本当にそうだろうか? グラマラス? 小澤のやっていることはそれとは全く逆方向だと思う。例えば、第3楽章の最後に主要な主題を再現する箇所、ここでのピアノは大きなシンコペーションと、連符で運動的な和音を響かせるが、ここでの小澤は何もしていない。何も聞こえてこない。主題を再現しているのはオーケストラ側だと言うのに・・・。どこか、音楽の表現、解釈を放棄してしまっているように感じる。音のフォーカスは常にピアノに向けられたまま。このような演奏・録音なら、オーケストラ部分とピアノ部分は別録りでも構わないのではないか。それにこの小澤の演奏で「重心」が「低い」と聞こえるのだったら、僕の好きなアーロノヴィチの指揮なら低さを超えて、地面に深々と突き刺さっている。

小澤の指揮するオーケストラは、ピアノが黙ってオーケストラだけになると急に大騒ぎをするが、協奏曲はそういうものではないのではないか。管・弦・打の色々な音が絡まり、その上にピアノが決然と音を綴っていく、その瞬間瞬間で協調と拒否があって、その関係から新しい音楽が生まれる。ピアノ協奏曲は、そういうものだと僕は思っている。小澤の指揮での金管楽器の適当な吹き伸ばし、歌の無い弦楽器、深刻さのかけらもない低音部、賞賛できる箇所が殆どない。小澤は協奏曲でのオーケストラを「伴奏」だと思い込んでいる。

この演奏は、曲に対する冒涜だ。僕はそれくらいのことを思っている。この録音が2004年の「レコードアカデミー賞(音楽之友社「レコード芸術」誌)」を受賞して以来、演奏批評・録音批評の面で僕は音楽之友社を信頼していない。

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