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フランク・シップウェイ指揮/サンパウロ交響楽団の「アルプス交響曲」

指揮者フランク・シップウェイの録音が気になっている。最近見なくなったが、書店でカゴ売りされていた「ロイヤル・フィルハーモニック・コレクション」のマーラー「交響曲第5番」が殊の外よくて、ずっと愛聴してきた。その後、どんな録音があるのかと調べてみたら、悲しいことに10年前にシップウェイは交通事故で亡くなっていた。 Apple Musicでシップウェイを検索すると、ショスタコーヴィチの交響曲や、R.シュトラウス 「アルプス交響曲」が見つかった。ほかにも協奏曲がいくつか。 星の数

    • 小澤征爾の管理者的仕事、親密と熱狂

      小澤征爾の録音は、レコードレーベル「フィリップス」にレコーディングされたものが圧倒的に多いので、ハイペリオンに録音されたこのCDは貴重なのかも知れない。このCD自体は、ハイペリオンの廉価レーベル「ヘリオス」。 このCDは、ボストン交響楽団創立100周年の委嘱作品を収録したアルバム。作品を収録することが目的なのだろう、収録時間は30分台と短め。1981年の録音で、その頃には小澤とフィリップスの契約は既にあるはずだから、作曲者アンジェイ・パヌフニクやロジャー・セッションズの契約

      • ブルックナー生誕200年

        2024年はブルックナー生誕200年の年だそうだ。200年と捉え直すと、最近の人物であることを認識できる。彼が生まれたのは「ウィーン体制」下のオーストリアということになる。ウィーン体制が崩壊した1848年には、ブルックナーは24歳だ。アニバーサリーで作曲家を捉え直すことは、単に演奏機会の創出という意味だけでなく、人間である作曲家の把握が進むと思う。 #note書き初め

        • 無作為の罪

          「無作為の罪」というのはある。 良いとは言えない習慣が集団に蔓延することを放置すること。「皆がやっているから」とそれを止めないこと。 その罪を犯してしまわないように、言語を扱えるタイミング、立場があるなら、良くない習慣を打破することを実践していきたい。

          ブルーノ・ワルター

          帰宅時の車内で、ブルーノ・ワルターが指揮するコロンビア交響楽団のブラームス「交響曲第4番」を聴いていた。その時に、雷に打たれたようにワルターの凄さを理解した。 高校生の頃かな。ワルター/コロンビア響のシューベルト「ザ・グレイト」を、とても期待して買って聴いたのだけど、その魅力を感じ取れなかった。そしてその時の印象からずっと変化していなかった。どこかで誰かに「あれ、面白くないよ」ぐらいのことを言ったかも知れない。 けど、今日聴いたブラームスの凄さに打ちのめされている。どのパ

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          ライバルの石井(夢記録)

          数年前、ややこしくてリアルな夢を見た。男のひとり語りを第三者として聞いてる夢。組み立て直してみたら、普通の話だった。 ===== 俺さ、京都の田舎出身なんだけど、同級生にめっちゃ頭のいいヤツが居たのよ。見た目は、牛乳瓶の底くらい厚いメガネした、いわゆるガリ勉だね。勉強しかしてないようなヤツ。名前は 「石井」だったかな。石井とは言葉を交わしたことは無いんだ。勉強のできるヤツってことで有名だった。 高校の時のライバルって、ジャンルがいっぱいあるって思わない? サッカー部の中の

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          橋本國彦「交響曲第2番」

          信時潔の「海道東征」が戦前・戦中までの日本のオーケストラ作品の一つの到達点とするなら、戦後すぐの大きな成果は「新憲法施行記念祝賀会」のために委嘱され生み出された橋本國彦の「交響曲第2番」であろう。 橋本國彦は戦前・戦中の東京音楽学校の教員であり、矢代秋雄や黛敏郎の師でもある。いわゆる「皇紀二千六百年」の奉祝曲を書いてもいる。戦後の昭和21年に東京音楽学校を自発的に退職をしているが、彼なりの戦争へのけじめの付け方だったのだろうか。 その彼が新時代の象徴とも言える憲法のための

          橋本國彦「交響曲第2番」

          ナチス、戦前日本、菅政権

          加藤陽子が外されていると知って唖然としている。ここまであからさまで陰湿なやり口を菅は使うのだ。 加藤は著書『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』がよく知られ、文庫化もされるほど読まれている。この本は、前の戦争へのプロセスをなぞり、その時々の世の反応や雰囲気を立ち上がらせた快著。終盤での、ドイツと日本の比較が印象的で、捕虜の扱い、国民の食糧確保軽視など、前の戦争のことで日本が反省できることが、まだ数多くあることを思い知らせてくれる。 そんな著者を外す人物が菅です。見たくない

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          ピアノ協奏曲のオーケストラ≠伴奏

          一番に好きなラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」の演奏は、いつも言っていますが、タマーシュ・ヴァーシャーリ(ピアノ)&ロンドン交響楽団/ユーリ・アーロノヴィチ指揮、です。ピアノに遠慮しない迫力が随一で、何度聴いてもこうあるべきと思う。オーケストラの表現意欲が旺盛なのです。 一番に嫌いなラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」の演奏は、クリスチャン・ツィメルマン(ピアノ)&ボストン交響楽団/小澤征爾指揮、です。 発売当時は各所で手放しで大賞賛だった。当時の評価があまりにも悔しかった

          ピアノ協奏曲のオーケストラ≠伴奏

          「無言館展」を見て

          四日市で開催中の「無言館展」、見に行くことができた。1時間くらいが一気に過ぎました。 「無言館展」は粛々と作品を提示しているのみで、靖国や知覧のような不届きな宗教性みたいなものは一切なく、そこに深く安心できた。靖国や知覧は「死への感謝」「死の受けとめ」を主張してくるが、その先にあるのは「戦争の肯定」だ。だから僕はあれらを信じないし、絶対に許さない。それとは異なり「無言館展」が感じさせてくれたのは「死への無念」と「死の拒否」だ。断ち切られた時間を突きつけられ、もし戦争が無かっ

          「無言館展」を見て

          綱渡り

          「生きる」ということは、綱渡りだ。地面を踏みしめているつもりでも、踏んでいるところ以外が自分で気付かないうちに削り取られていて、ふとしたこと、例えば一歩が大き過ぎたり、例えば左右に揺らいだりするだけでバランスを崩してしまう。踏みとどまることが出来れば幸運だけど、バランスを崩したまま転倒し、穴があれば落ちてしまう。きっとそういうことなのだと思う。つらい。

          綱渡り

          不自由な国

          日本は、中国から律令を取り入れた時点で、中華(華夷)思想のミニチュア版を致命的に取り入れてしまったのだろう。室町期に、スペイン、ポルトガルをわざわざ「南蛮」と呼んだことからもそれが分かる。だから現代でも、一番の近隣諸国である朝鮮半島を格下に見るマインドが政治家や官僚から抜けないのだ。意思のない反射行動で外交をしてしまい、かつては侵略をしてしまったかと思うと、ホント、日本は不自由な国だ。「国家心理学」という学問を立ち上げて、各ケースの検討会をしたほうが良いのではないか。

          不自由な国

          国民精神総動員?

          いわゆる「政治的」な発言をこれまではそれほどしてこなかった国民同士が、行動パターンや生活様式の違いを指摘し責め合うような雰囲気になってきています。まるで近衛内閣の「国民精神総動員」後みたいな雰囲気ですね。政府や首長を責めないのに、そこにだけ一所懸命なところに国民・市民の不思議を感じています。 子どもを預けられなければ外へ連れていくしかない。夫婦のどちらかしか運転できなければ二人でスーパーに行くしかない。倒産・閉店の危機なのなら、どんな形でももがくしかない。そんな一人ひと

          国民精神総動員?

          首相官邸の国民への反逆

          僕が政府を批判する理由は、何も悪口を言いたいだけではなくて、内閣には現状を変える権力があるのに、それを国民のために行使しない怠慢状態だから、それを指摘して、より過ごしやすい毎日を手にするため、です。「一人ひとりができることをやろう」と呼びかける方がおられますが、政府への批判は「できること」の大きなひとつです。 国民は三つの権力に対してのアプローチができます。国会議員を選挙で選ぶことができる。最高裁判事の審査ができる。内閣に対しては「世論」を届けられる(画像内の⬅️)。衆

          首相官邸の国民への反逆

          録画しておいた「いだてん」をやっと見た。宮藤官九郎、素晴らしかった。一人ひとりを大切にする。国家なんてショボい物を背負わされない。最後まで清々しかった。 「スポーツをやりたいからやっている人」を見たいんだ、僕は。選手から勇気なんて与えられたくないんだ、僕は。

          録画しておいた「いだてん」をやっと見た。宮藤官九郎、素晴らしかった。一人ひとりを大切にする。国家なんてショボい物を背負わされない。最後まで清々しかった。 「スポーツをやりたいからやっている人」を見たいんだ、僕は。選手から勇気なんて与えられたくないんだ、僕は。

          首相のツイートを見て考えたこと

          https://twitter.com/abeshinzo/status/1161915567512551425?s=21 「尊い犠牲の上に築かれた」、首相のこの発言は靖国容認の考えと同じです。政府や軍部は国民に犠牲を強いておいて、それを「自己犠牲」にまですり替えて、政府・軍部自身の怠慢・無計画・非人道的政策を無かったことにしてきた。首相の言葉の意味はそれだと僕は思っています。戦前・戦中の政府には、首相の祖父である岸信介が閣僚として参加しており、真珠湾攻撃にあたっての開戦の

          首相のツイートを見て考えたこと