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スパイス農家が主役になる日

インドで「シードスパイス」の収穫シーズンが始まる頃、私はその主要産地であるグジャラート州ラージコートに滞在していました。マハトマ・ガンディーのゆかりの地ということもあり、街の至る所に彼のシンボルが見えます。全てのお札にガンディーの顔があるほど、インドにおいてガンディーは最も尊敬される偉人の一人ですが、グジャラートの人たちにとっては尚更かもしれません。もちろん、私も彼を敬愛する一人です。

けれども、観光はそこそこに、スパイスのリサーチを進めなくてはいけません。ラージコートから南へ100km程のシェダブハーという小さな村に、どうしても訪問してみたいオーガニック農家がありました。2月中旬でも30度近い気温な上に、乾燥地帯なので、ショールで日差しと砂埃を防ぎつつ、ローカルバスで3時間ほどかけて、シェダブハーのバス停に降り立ちました。

そのオーガニック農家は、Diaspora Co.というアメリカのスパイスブランドのウェブサイトで見つけました。でも、そこに書かれていた情報は、「ナンディニ・コリアンダー」というコリアンダーシード(以下コリアンダー)の銘柄と「サカリヤ・ファミリー」という情報だけ。聞き込みでサカリヤ・ファミリーを探すべく意気揚々としていましたが、バス停から集落までは2kmほどの距離が。しかも周辺にはオートリキシャの一台も走っておらず、炎天下の下私は道のど真ん中に立ち尽くしていました。すると集落の方から向かってきたバイクの男性が、

「あなたはこんな所で何をしているの?外国人女性が一人で来るような場所じゃないんだから。」

と、英語で声をかけてくれました。彼はコットンサプライヤーで、この地域でスパイスと同様に多く生産されているコットンを農家から買い取り事業をしていました。

(地元の農家とのつながりがあるということは、サカリヤ・ファミリーのことも知っているかもしれない!)

そこで、思い切って案内をお願いすると、地元の農家に電話をかけてくれ、彼らを知るという人のもとへ向かいました。シェダブハーの家々はどこも似たような外観で、私一人では確実に道に迷子になっていたでしょう。電話をしていた農家に案内をしてもらい、サカリヤ・ファミリーと思われるお宅に辿り着きました。

アポイント無しで、グジャラート語はおろかヒンディー語さえ話せない外国人を相手にしてくれるだろうか?ドキドキしながら挨拶をすると、農家のご夫婦とお母さんが優しく家に招き入れてくれました。彼らは英語でのコミュニケーションができなかったため、ご主人がカルジャンという300km離れた街で暮らすお兄さんのディレマエシュさんに電話で通訳をしてもらいながら会話をすることに。どうやらディレマエシュさんが経営者で、アメリカのスパイスブランドDiaspora Co.との取り引きをしているようです。

サカリヤ・ファミリーのみなさん

「あなたのプロフィールと訪問の目的は理解しました。でもあいにく、僕の弟ファミリーは英語が話せません。より私たちの活動を理解してもらうために、僕が今夜そちらに向かって案内をします。到着は明日の朝になるので、今夜は家に泊まって行ってください。」

ディレマエシュさんはそう言って、弟ファミリーに私を泊めてくださるように話をつけてくれました。予測もしていなかった嬉しいお申し出に、一度はお断りをしたのですが、皆さんの温かいおもてなしに、お言葉に甘えてご提案の通り一泊させていただくことにしました。

農家に宿泊させていただいたことは過去にもありますが、インドの場合、特に牛は生活に欠かせない存在です。乳搾りをして搾りたてのミルクでチャイを淹れたり、ミルクを発酵させてヨーグルトにし、それを撹拌し「バターミルク」というグジャラートの食卓に欠かせない飲み物を作ります。その際にバターもできるので、それを焼きたてのチャパティに塗って食べると、また格別です。

ヨーグルトを発酵させて攪拌させたところからバター(左)とバターミルク(右)をつくる

さらにこの家では、オーガニック農園に撒くための培養液に牛糞を混ぜているほか、庭にあるタンクに牛糞を入れてバイオガスを発生させ、発電することで家の電気を供給していました。弟さんは近くで働いている英語が話せる姪を呼んでくれ、私を牛舎に案内し乳搾りの様子を見せながら言いました。

「この牛はギルという品種の『ナンディニ』といいます。そしてこの牛から名前をとって、私たちのコリアンダーを『ナンディニ・コリアンダー』と命名したんです。グジャラート州だけでなく、マディヤ・プラデーシュ州でも沢山のコリアンダーが生産されていますが、特にこの周辺で収穫されるコリアンダーは品質が高く評価されています。だから、他の地域のコリアンダーと差別化をするために、そう呼んでいるんです。」

ナンディニ・コリアンダーの名前の由来となった牛
バイオガス発電の装置。30年も前から使っているそう


その日の夜は、家の軒先でパコラという揚げ物を作りました。畑から摘んできたコリアンダーの葉っぱと、ネギ、そしてメティリーフ(フェヌグリークの葉っぱ)を刻んでべサンという雛豆のコナの衣を付けて揚げ、タマリンドとデーツ、スパイスを混ぜたチャトニをつけていただきます。テーブルに新聞紙を敷き、その上に揚がったパコラをどんどん提供していきます。ご近所さんもやってきて、皆んなでテーブルを取り囲み、揚げたてのパコラを食べる。何か一つのエンターテイメントのようでした。軒先にはブランコもあり、食べ終わったらそこでリラックスする。何ともいい時間が過ぎていきました。

しばらくすると、弟さんがスカーフを巻いて出かけていきました。どうやらこの地域の農家の男性陣は、夕食後に社交のため、近所の小さなお店(おそらくチャイ屋さん?)に集まるという習慣があるそうです。女性陣はせっせと食事の後片付けをして、10時頃には眠りにつきました。

料理は軒先で。畑で採れたニンジンでハルヴァというスイーツをつくっている
わんこパコラ。デーツとスパイスのソースをつけていただく

翌朝、夜行バスで駆けつけてくれたディレマエシュさんが到着し、早速農園へ。その広さは20haにも及び、コリアンダーをメインに、クミン、フェンネル、唐辛子などのスパイスの他、ミレットやトウモロコシ、そしてカスタードアップルというフルーツも栽培しています。

「オーガニック農業にシフトしたのは10年前からなんです。身近な人が化学肥料で癌を患ってしまって。人にも環境にも優しいオーガニックな方法にチャレンジすることにしました。そこで参考にしたのは、『サブハッシュ・パレカール(Subhash Palekar)自然農法』でした。作物や植物に必要なすべての栄養素は土壌に存在しますが、植物は微生物なしでは吸収できないのです。本来土壌には何十億もの微生物がいますが、長年化学肥料や農薬を使用すると、その微生物の数が減少してしまいます。昨日牛舎で牛糞が使われたジワムルート(Jeevamrut)という培養液を見たでしょう?それが土壌の微生物を増やし植物の成長を助けるんです。」

とディレマエシュさんが言いました。さらに彼は意外なところで、日本の商品がインドのオーガニック農業に貢献していると教えてくれました。この村の農家のほとんどが化学肥料や農薬を使用しているそうですが、そうした農園が隣接していると、そうしても化学肥料や農薬の影響を受けてしまうのです。そこで役立っているのが「EM1」という好気性と嫌気性の微生物(乳酸菌群、酵母群、光合成細菌群など)を天然材料で複合培養した液体。これが、ジワムルート同様に、植物の養分の吸収を促進してくれるのだそうです。過去に政府からユリア樹脂 (尿素樹脂)の提供があり、使ってみたところ生産性が下がってしまいました。ディレマエシュさんは500の土のサンプルを回収し、土中の微生物の減少が原因であることを突き止め、EM1を活用しました。日本で誕生したEM1は遠いインドの地でオーガニック農家の課題を解決してきたのです。

ディレマエシュさん

研究熱心なディレマエシュさんは、『サブハッシュ・パレカール自然農法』を中心にオーガニックで生産性を向上させる方法や、多くのスパイス農家が抱える「アフラトキシン」というカビ毒問題の要因を分析し対処する方法など、多くの知見をお持ちでした。現在ではグジャラートの8つの農家にコンサルティングを行なっているほか、彼が住んでいるカルジャンにも果樹園を所有し、そこで接木や苗木も生産しています。そうした取り組みをFacebookで発信していたところ、米国のスパイスブランドDiaspora Co.の目に留まり、コリアンダーの取引がスタートしました。

「ここの土はローム層の黒土で、コリアンダーの栽培に適しているんです。同じ土地に、雨季の6月から9月にかけてはピーナッツを植えます。ピーナッツなどの豆類の根っこには根粒菌が共生していて、株から栄養をもらう代わりに、植物の生育に欠かせない窒素を空気中から固定し植物に与えてくれるんです。さらに連作を避けて毎年違う土地に植えるようにして、高い品質を維持しています。Diaspora Co.もいくつかのサンプルを比較して私たちのコリアンダーを選んでくれました。それから毎シーズン種まきの前にプレオーダーをいただいています。」

コリアンダーのコンディションを確認しながら、ディレマエシュさんが説明します。その後ろで一面に広がるコリアンダーの花が風にそよぐたびに、爽やかな香りに包まれました。

コリアンダーの花
プツプツとして見えるのが、ピーナッツの根っこの根粒菌

美しい光景に見惚れつつ、私はあることが気になっていました。周辺のコリアンダー農園は収穫が始まっているところもある中、ディレマエシュさんの農園は、開花のステージだったからです。聞くと、種まきの後10月に種まきをした後、大雨が3〜4日続き、全てのコリアンダーが死んでしまったそうです。例年グジャラートでは9月まつから10月頭にモンスーンが明けるのですが、気候変動の影響で時期が変則的になり被害が出てしまったのです。

グジャラートでは多くの農家がクミンの生産に力を入れていて、ディレマエシュさんの農園でも、以前はより多くのクミンを栽培していたのですが、ここ数年異常気象でクミンの収穫量が激減したため、コリアンダーの生産により注力しました。

「クミンの収穫量が減ってしまう原因の一つは真菌によるものです。そしてこの真菌は気候変動の影響で侵害力が高まります。真菌は水の流れに沿って広がっていくので、灌漑をすることによって被害が広がってしまうんです。でもそうした知識がない農家は、気づかないうちに水を張ってしまい、そこから真菌が農地全体に拡散されていくんです。コンサルティングでは、そういった知識を農家にアドバイスしています。」

彼の回答は極めて明確で、全ての仕事に理由があり、Diaspora Co.が彼のコリアンダーを選んだ理由が分かった気がしました。そのDiaspora Co.は毎年この時期になると農園を訪問し、コリアンダーのクオリティをチェックしているそうですが、今年は農家のレシピを本に纏めるために、編集チームも同行しサカリヤ・ファミリーのお宅に滞在したのだそうです。その話を聞いて、正直とても悔しい気持ちになりました。まさに私も同じことがやりたいと思っていたからです。スパイスの産地と流通の仕組みを探究するために、インドとその周辺国を1年間巡ってきましたが、スパイスに旬があることや、産地に伝わる伝統料理など「生産者だからこそ発信できるスパイスの魅力」を、もっと日本の人たちに届けたいという想いが強くなっていきました。

期せずして、旅の最後の目的地、グジャラートのサカリヤ・ファミリーの農園訪問で、今後の活動の原動力となるようなインスピレーションを得ることができました。大航海時代の香辛料貿易以降、搾取の対象となってきたスパイス農家の人々。彼らが主役になる日を、私たちの世代で創っていけたなら。私たちの食の未来はもっと刺激的で豊かになっていくに違いありません。

ランチにいただいたこのサブジ、グジャラート滞在の中でマイベストでした!


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