「幻のターメリック」を産んだ大地と人々
西ベンガル州の州都シリグリは、北東インドの玄関。これから向かう「セブンシスターズ」と呼ばれる7つの州は、「インドの隠された宝石」と言われ、未開発の豊かな自然と独自の文化に富んでいることもあり、今インドにおいて注目されている地域の一つです。
私はシリグリから夜行バスに乗り、アッサム州を横断しバングラデシュと国境を有するメガラヤ州の「シロン」にやってきました。到着したのはクリスマスイブ。キリスト教徒が多いため、街は楽しいお祝いムードですが、タクシーはつかまらない、ホテルもほぼ満室、そして全てが高い(涙)。クリスマスはキリスト教徒に限らずナショナルホリデーになるので、インド国内の様々な宗教な人たちが観光に来ていました。特に、北東インドの手付かずの自然に魅力を感じている人も多く、その背景にはSNS映えや、インド各地の開発による自然の喪失、そして旅行に行けるほど経済的に安定してきたミドル層の増加があるのかもしれません。
一夜明けてクリスマス当日、街の食堂の多くがクローズしていて、ローカル飯が食べられず彷徨っていると、ドレスアップをして街の教会に集まる人々が。シロンのマジョリティ、カーシー族の伝統衣装を身につけて、家族でミサに参列しています。その様子を写真におさめていると、シスターが、
「どうしましたか?今はクリスマスでどこも閉まっているから、ランチはまだでしょう。きっとお腹が空いているはず、一緒に食事しましょう。」
と声をかけてくれたのです。そして、思いがけずカーシー族の伝統的な料理をいただけただけでなく、ナマズの燻製を使った珍しいカレーをいただくことができました。シスターたちは教会の向かいの施設で、貧しい子どもたちに教育を提供しながら、住まいや食事などを提供し、自家菜園で野菜を育てる取り組みをしています。こうした宗教施設を通じたサポートはインドでは様々なところで見られますが、現代でもコミュニティの力が強い民族だと感じました。
翌日私はシロンの北、ノーンポーという地域の外れにある小さな村の農園に向かいました。シェアタクシーを乗り継ぎ1時間、辿り着いたその場所は、どこか懐かしい、日本の里山の原風景を思わせる場所でした。待ち合わせていた場所に着くと、農家のミドットさんとその家族が出迎えてくれました。向かった先は森の中。道すがら斜面に様々な作物が植えられている様子が見えます。中でも一番目立ったのはパイナップルでした。
「元々この地域はアジア有数のパイナップルの産地だったんです。でも今は市場価格が下落して。そこで私は様々な作物を育てることにチャレンジしたんです。そうすれば、1つの市場価格が下落しても、他で補える。害虫や不作などのリスクにも適応できますし。」
森を歩きながらミドットさんが流暢な英語で言いました。そうしてたどり着いた農園には「幻のターメリック」と呼ばれる「ラカドンターメリック」の姿が見えます。メガラヤを原産とするラカドンターメリックは、その所以は、クルクミンというポリフェノール化合物の含有量の多さ。通常のターメリックが3%程度なのに対して、その2倍以上の7%、多いものでは12%にものぼるからです。
「10年前にスパイスボードからたった1つの種をもらったんです。それが本当によく育って大成功したので、パイナップルの価格の下落で影響を受けているこの周辺の29の農家に配布しました。この地域の土地は特に肥沃度が高く、農薬どころか肥料や水さえも与えていません。カウダン(インドの有機農法で一般的な牛糞肥料)も一切なしです。連作を避けているのも成功の理由だと思いますが、その秘訣を調査しに、これまで300人以上のリサーチャーや農業局の人たちがやってきました。」
農園というと、平地に均等に作物が植っているものが多いですが、ミドットさんはアグロフォレストリーに近い形で育てていました。恐らくそれが、手を加えずとも作物が育つ理由の一つなのでしょう。よく見えるとターメリックが植えられた斜面には、株と株の間に樹の苗が植えられているのが見えます。
「これはセイロンシナモンなんですよ。今年1000本をここに植えました。向こうのはカシア、あっちのはベイリーフ。同じシナモンでも全然香りが違いますよ。」
と、積極的に様々な作物の栽培に挑戦するミドットさん。その種類は500種ほどになるそうです。その一つに、ビッグカルダモンがありました。前回の記事で紹介した主要産地のシッキムでは収量の減少が課題になっていて、収穫できるようになって2〜3年が収穫のピークになってきているそうですが、ここでは10年目の株からもたくさんのビッグカルダモンが収穫できるのだそうです。乾燥方法も、薪の日ではなく天日干しで乾燥させるので、ビッグカルダモンの素材そのままの香りを感じることができました。
ミドットさんはメガラヤではメジャーな筍の発酵食品など、食品加工も行っています。それらや農作業のために、女性を積極的に雇用し、マルチングなどの農業のテックニックを指導しているそうです。カーシー族は世界的にも珍しく、伝統的に母系制で、子どもは母親の姓を受け継ぎ、末娘が相続を受けるという、とてもユニークな伝統を持っています。こうした背景も相まってか、近年は特に女性をエンパワメントする取り組みが注目されているようです。
その帰り道、シロンの郊外のウムシンにあるビッグカルダモン農園にも訪問させていただきました。案内をしてくれたトレーダーのジャナさんはビッグカルダモン以外にもラカドンターメリックやカシア、ブラックペッパーなどを扱うトレーダー。彼が買い付けているという農園を見学させていただきました。
ここで栽培されているビッグカルダモンも、ミドットさんの農園と同様に農薬・肥料・水の一切を人の手では加えず育てています。ビッグカルダモンの品種にはソーニー、ラムジー、ゴルシー、ヴァーランゲイ、セレムナなどがあり、ここでは特に大粒で人気の高価格で販売されるオーバル型のソーニー種が栽培されていました。収穫時期はシッキムより少し早く、9月から10月にかけて。総を摘み取った後は水で洗い流します。そこで沈んだものが品質の良いそうで、そこからグレーディング(サイズとダメージの有無で選別)をして、天日干しで5時間12日間乾燥をさせるそうです。天日干しで乾燥するスパイスも多いですが、シロン周辺は日照時間が短く雨も多いので、時間がかかるようです。
「この地域では小売店が農家から買い付けるケースも多いですが、その場合販売量が少なく、キャッシュフローも厳しくなるため、卸売事業者に丸ごと買い取ってもらえることを農家は望んでいます。また、収穫時期には『ハーベストミーティング』で200近い地域の農家が集まり、情報交換をします。害虫の被害があった農家に株を分けてあげたり、雨が少ない時には畝を作ることで雨水を最大限に活用する方法などをシェアしたりと、農家同士が協力する仕組みがあるんです。支え合いながらオーガニックに取り組む、このコミュニティが私は大好きなんです。」
とジャナさんが言いました。
次の日、シロンからさらに東へとシェアタクシーを乗り継ぎ、ラカドンターメリックの発祥の地、ジャンティア地区に向かいました。おそらく皆さんのインドへのイメージとは全く異なる、竹や松の林に水田など、日本の原風景に似た、どこか懐かしい景色を目にしました。そうして4時間かけて到着したのは、300世帯ほどの小さな村。家々の庭で、子どもたちが遊んだり、末っ子をあやす姿に、昭和の日本を思い出します。村人の半分はキリスト教徒、残り半分はアニミズム信仰。メガラヤには豚を生けにえにする習慣もあるそうで、私が訪ねた限りでは一家に一頭必ず豚を飼っていました。
そこでお会いしたのは、ラカドンターメリックが世界的に有名になったきっかけを作った一人とも言える、トリニティさん。その功績が讃えられ、モディ首相から表彰されたこともある女性です。ここジャンティア地区では彼女の祖父の代より前からラカドンターメリックが栽培されていましたが、2003年頃から「スパイスボード」が、オーガニックのラカドンターメリックをプロモートするために、この地域の10件の農家への支援を開始しました。
「兄弟を通じて声がかかり、この10件の農家の一つに選ばれました。私は農家をエンパワメントしたいという思いがあったので、さらに支援する農家の数を増やすように交渉し、そこからミッション・ラカドンというプロジェクトが始まったんです。私は学校の先生もしているのですが、その合間に他の農家にプロジェクトへの参加を呼びかけていきました。元々この地域ではほとんどの作物がオーガニックで栽培されていますが、それでも化学肥料や農薬を一切使わないように説得するのは大変でしたね。」
トリニティさんの旗振りで、この取り組みは2015年には約200の農家、4〜5つの村に広がっていきました。スキルや経験のない農家の代わりに書類の作成なども引き受け、窓口のあるシロンまで提出しに行くことも。2018年には農家が生産したラカドンターメリックの販路を作るための事業も創設し、農家から買い取り販売するビジネスを開始しました。農家と公務員以外の仕事がないこの村で、多い時には20人の女性を1日200ルピーで雇用しているそうです。またこの地域ではラカドン、ラスキン、ラドーの3種類のターメリックが生産されていますが、ラカドンターメリックの付加価値を知らない農家は、他のターメリックと混ぜてしまうことがあったので、そうした一つひとつを指導していったそうです。
ラカドンターメリックの生産を通じた農家の支援と女性のエンパワメントを称えて、トリニティさんはパドマ・シュリ賞を受賞。かつては専門家しか知らなかったラカドンターメリックが、この頃からスパイスのトレーダーであれば誰もが知る存在になり、その生産量は2022年頃に約12000トンに。13000を超える農家が恩恵を受けるまでに拡大したそうです。
そのうちの一人、ワンパイビアンさんに農園を見学させていただきました。最近お子さんが生まれ、4人の母となった彼女は、18歳の頃に結婚したそうです。この村では多くの女性が日本でいう高校卒業後に結婚をし、婿を迎えます。両親の代からここでラカドンターメリックを育てているそうで、彼女の代でミッションラカドンにも参加し、トリニティさんへスライスのドライターメリックを販売していると言います。灌漑はなく、牛や豚の分の肥料のみで育てていますが、やはり農薬を使わないことはとても勇気がいることだと言います。スパイスボードからの助成金が得られる年もあるそうですが、種まきや収穫のための人件費に消えてしまうのだとか。ターメリックと時期をずらしてとうもろこしや豆、かぼちゃなどを同じ畑で育て、時にはターメリックの種をメガラヤ政府に販売するなどして、生計を立てていました。
収穫時期は1月ですが、一株だけサンプルとしてラカドンターメリックを抜いて見せていただけることに。別の品種と色を比較すると、黄色を超えてオレンジがかかっているのがわかります。以前お話を伺ったノースベンガル大学の教授が、クルクミンの多さは主に遺伝子と土によって決まり、ラカドンターメリックの栽培には赤土(ローム層)が適していると言っていたのを思い出しました。ジャンティア地区周辺は、まさにその条件の土地が多いようです。
その日、私はトリニティさんのお宅に農泊させていただけることになりました。一緒に過ごすからこそわかる、彼女の働きぶり。キリスト教徒で12月末はホリデーシーズンというのに、朝から夜までひたすら働き続ける彼女の姿には頭が下がります。そんな彼女にモチベーションは何かと尋ねると、
「私はジャンティア地区のすべての農家にラカドンターメリックを栽培してほしいと思ってるんです。私はこの地で授かった仕事を通じて、農家の人たちをもっとサポートをしたいし、働くことが好きなんです。」
と答えてくれました。
今では世界中のスパイストレーダーが注目するまでに広まったラカドンターメリック。その裏側には、日本人が忘れてしまった原風景や、コミュニティの強い繋がりがあることを、メガラヤの人々に教えていただきました。