羊の惑星
The Planet of Sheep
Text & Illustration Hola Angero
潜水士マエブエル・モエヘボーは、その惑星の海にこっそりと船をすべりこませたのだが、海のすべてをつかさどる「意識」が、その一部始終を見ていた。ここで「意識」と呼ぶものは生命体か? と聞かれると、それは生命体の定義による、と答えなければならない。まあここでは、「ぬし」とか「精霊」とか呼んでも構わない。
船といってもそれは、硬い殻に囲まれて推進力をもった機械ではない。概念上の器官乗物だ。潜水士の乗る操縦席と外界とは、マウズ・マグリック空間と呼ばれる場所の、次元の「ずれ」によって隔たれている。船の形は一定ではなく、あるときには百合の花のように見えるし、またあるときにはツリガネクラゲのようにも見える。
マエブエル・モエヘボーと船、そして海とは、繊細な紐状の触覚によって繋がっている。モエヘボーの研ぎ澄まされた51の感覚は、51本の触覚として海に漂い、深海底にかくれたエネルギー鉱を探索する。間もなくモエヘボーの51感と直感が、びくりと身震いした。「この星にはとびきりの『美人』がおわすな」モエヘボーは言う。
「意識」は確かに美しい。異星から飛来した来客が珍しく、愛しくてしょうがない。最上級の歓迎をすべく、隆と発達したハムストリングスを98%使って跳躍し、惑星の反対側から馳せ参じる。そして船から漂っている触覚に対して、性欲の89%を使って祝福のキスをする。それは激しく、潤沢な泉のようにしぶきをあげ、船はきりきり舞い。
感覚をむき出しにしていたモエヘボーは、潤沢な泉に溺れかけ悶絶しかけたが、そこは熟練の潜水士。26の触覚は切り離し、脳内のニューロンの電気信号を整え直すと、船を立て直して急速浮上を試みた。その時だ。強い痒みが、モエヘボーの背中を襲った。それはまるで、ミクロの羊が何十万匹も群れをなして背骨の両脇を行進しているみたい。
「これがこの惑星の歓迎のやり方。変な箱に乗っているみょうちきりん」と「意識」は可愛い声で言ったが、その声はモエヘボーの可聴域を外れていたので聞こえなかった。それ以前に、激しい痒みによって悶絶したので聞けるはずもなかった。日本の漢字では、痒みとは羊の病と書くのだが、もちろん、モエヘボーには知る由もなかった。
PICTURE BOOK STUDIO #002
2024.10.21