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スープの中の動的平衡

私の憧れの職業のひとつは、カフェのマスターだ。
サイフォンでコポコポとコーヒーをいれ、お客さんと他愛もない話をして過ごすのだ。
そして、お客さんがいないときはエンジの分厚い本、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』をめくりながらコーヒーを飲む。そうしたら、本の中に入っちゃったりするかも知れない。
なんて、現実の世界に疲れると、そんなことを想像する。

始めるのは簡単だけど、継続するのが難しいと、以前出会ったカフェのマスターは、カフェをオープンした経緯を語りながら、そんなことを言っていた。
実際のところ、何でもそうだと思う。
私自身、どでかい夢や目標を描いて土木業に飛び込んだはずなのに、目の前の忙しさに翻弄され、今自分がどこに立っているのか分からなくなることがある。
何のためにやっていたかを忘れると、いいものが造れなくない。だから定期的に自己メンテナンスをして、軌道修正や原点回帰を図ることが大切だ。

最近は、平日は仕事、休日は資格試験の勉強にてんてこ舞いである。
資格は前向きな理由で取るのならいいけれど、現在の私は上司に言われ、安請け合いしたがために苦労している。資格を取るためには時間であったり、何かを失う。よって、ひとつひとつをただ受け入れるのではなく、代償による価値を計る慎重さが必要だったかもと反省している。

そんなこんなで、読書を控えていたが、どうしても本が読みたくなり、久しぶりに本屋へ行った。
そこで、『辰巳芳子たつみよしこという生き方』(文化出版局)という本に出会った。
辰巳芳子さんとは、料理研究家である。
20代半ばから40歳を過ぎるまで結核でほとんどベッドから出ることのできなかった辰巳さんは、その経験を活かし、特に、医療の現場で食事を摂ることができなくなった人々へ、スープを届けたことで知られている。
そして、現在もお元気で、今年100歳を迎えられた。

私が辰巳さんを知ったのは、コロナ禍に突入する少し前のことだった。
当時、辰巳さんは、『天然生活』という雑誌で連載していた。地球丸という出版社から扶桑社に変わり、残念ながら連載はなくなった。しかし、私は、毎月たった1ページしかない、その連載が一番好きだった。

その連載で、頻繁に登場したのが『玄米スープ』の話だった。
玄米スープとは、炒った無農薬の玄米と、梅干しと昆布を煮出し、おつゆだけいただくというものだ。辰巳さんによると、これは万能な、いのちのスープで、このスープだけで最期の5年間を過ごした方もおられたそうだ。
我が家の愛犬も、終末期、全く固形物を飲み込むことができなくなり、この玄米スープだけで数ヶ月生きた。

辰巳さんの料理は、まず信頼することのできる生産者から食材をいただくことからはじまる。それから、ひとつひとつの過程を丁寧に、『人に対して、モノの世界に対して、技法に対して、優しさ』を持って、その料理を待つ人を想い、調理する。

そんな辰巳さんの件の本に書かれていた言葉の中で、辰巳さんの全てと、私が感じた言葉は以下のものだ。

人は、自分の存在の核に据え置く物を持たずに、生きることはできません。きっちり出会っていないと、それは、不思議な空虚感を誘うものだと思います。

『きちんとした食事を作り食べていくこと』を伝える辰巳さんの核にあたる考え方を創っているものは、福岡伸一先生の『動的平衡』という理論にある。
動的平衡とは、生命体の秩序を保つために繰り返される破壊と再生のことである。
生命は、破壊と再生の流れを止めないために、食べ続けなければいけない。そして、この流れを乱すような操作的介入を行ってはいけないと、福岡先生は言う。
だからこそ、福岡先生は、あるべき流れで、できるだけ自然に則して作られたものを食べることを薦めている。

私は、辰巳さんから福岡先生の動的平衡を知った。難しい問題に出会った場合、この理論に照らし合わせて答えを出すことができれば、やり直しが効かないほど大きく道を踏み外すことはない、唯一のものだ。
辰巳さんは、80歳を過ぎた時に、どうして食材にこだわって、手間隙をかけて料理を作らなければいけないのか、という答えを動的平衡の中に見つけた。そして、自分が志していたことは正しかったことに気づいた辰巳さんの、絶対的な確信がそこにある。

人生には、実に様々な波風や、嵐がある。辰巳さんは、そんな世を『生きてゆきやすく』するための食、つまり、日本の風土や伝統を重んじた、困難を迎え撃ち、しなやかに生き抜くためのご飯を提唱する。

私は、知識を人より優位に立つため、打ち負かすためにつけるものだと勘違いしてしまうことが多々ある。
だけど、辰巳さんの生き方の中にある知識は、真の優しさが表現されている。そして、それは、人を守り、助けるために、試行錯誤しながら使われている。
どんなに時間をかけたとしても、一生のうちで、優しさの体現ができるようになることは難しいと思う。そして万が一にでも、それが完成した場合、これほど幸せなことはないのかも知れない。

(完)


本記事を書くにあたって、以下の文献を参考にしました。


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