月夜のドレス
私はかつて、大量生産型の安い服を買い漁っていた。
買ったばかりのときはそれを着た。ところが衣替えでしまい込んで、また季節が巡ってその服に再会したとき、元々好きで買ったものでもなく私には似合ってないしで、ただの古くさい服になっていた。
それから、数年タンスの肥やしにして、そっとサヨナラするのが常だった。
以前、下記のような記事を書いた。
私に、ものをよく吟味して、気に入った世界にひとつしかない素敵な作品を取り扱われているお店の牧子さんのお話だ。
牧子さんと出会うことによって私は消費し続けるのではなく、値段相応の品質の良いものを必要な分だけ手に入れて、長くできるだけ一生に渡って使い続けるようにする生活にシフトした。
安いものをたくさん手に入れるより、一点一点作家さんの手できちんと作られているものの方が私も愛着が湧き、何よりも素材も良いし、縫製もしっかりしているから傷まない。
私は街を歩く人を見るのが好きだ。
単に行き交う人々を見るのではなく、オシャレな人のファションを観察する。たまに、すごく素敵だな、と思う人が目の前を横切る。そういう方は、大抵、年配の女性だ。流行りのファッションでもなく、年相応のファッションでもない。かといって、年齢を隠すファッションでもない。
今の自分を最も美しく見せる着こなしを楽しんでいるのだけれど、多分、その方が若かりし頃に同じものを着ていても似合うだろうな、って思う様な衣装。
本当に良い服は、一生着続けられる。
私は、服を購入するとき、天然の素材であることと、その素材の質を見て、今の自分に合うかどうか試着し、これが老いても着られるかで判断するようにしている。
服とは不思議なもので、服を変えると持って生まれた容姿を含めて外見を変えてしまう。だから、服はその人そのものにも成り得ることがあると気付き、纏うもの一つもないがしろにはできないことを悟った。
服をきちんと吟味して買う様になって、私は足るを知るようになった。お気に入りの服、数着で十分でそれ以外は全く必要ないのだ。
(ヘビーローテーションで冬の間着続けている服 イギリス製の毛糸の帽子、ペルー製のhow to liveの毛糸のベストと、牧子さんのところの作家さんのパンツ、ヒムカシの靴下)
そうして、自分で服が必要になったときに要る分だけを作ってみようと思い、服作りに挑戦しだしたのだが、最後に本当に好きな服を買って終わりにしようと購入したものが、北海道のブランド『the last flower of the afternoon』のワンピースだった。
このブランドが作る衣装には、一つ一つ物語があるそうで、下記の写真は、『月夜のround yoke sleeve dress』と名付けられたものだ。貝殻ボタンがあしらわれていて、月のように綺麗に光る。月夜の森の中を歩いているような、品のある可愛いドレスなのだ。
これを最後に着たのが、コロナ禍に入る直前の、古澤巌さんのコンサートで、それから心躍らせるお出かけが残念ながら全くできていない。
(the last flower of the afternoonの月夜のround yoke sleeve dress)
小川糸さんの『ミトン』という本がある。
この物語は、ラトビアをモデルにしたマリカという女性の一生を描いたものである。この国の人々は、足るを知る生活で、自然のものを必要なだけ採り、手仕事を次の世代に引き継いでゆく民族である。ミトンに編み込まれる文様には意味があり、身につける人を守るよう願いが込められているそうだ。
本書(文庫版)の解説は、森岡督行さんという方が書かれていて、ラトビアの手仕事は、日本の背守りを彷彿とさせると言われていた。
背守りとは、昔の日本人が、親が子へ着物の襟から背に縫い目や縁起の良い文様を施したり、裂(きれ)や押し絵を付けたりしたものだという。
昔の日本では、邪気が背中から入ってくると言われていた。
その邪気を祓う、魔除けの力があると信じられていたものが縫い目で、大人の背には縫い目があったが、布一枚で済む子どもの服には縫い目がなかったため、幼い命が育つこともなく散ってゆくことが多かった時代、我が子の無事を祈って背守りが付けられたそうだ。
コロナ禍の現在、この背守りが再び注目されているらしい。(R3.2.21の読売新聞『よみほっと』を参考にした)
私は自分のためには服が要らないので、自分に作ることは滅多にないのだけれど、家族や知り合いのためには作ることがあって、背守りの存在を知ってから、特に心を込めて縫う様に心がけている。そして、服の背面には、ラトビアのマーラという女性や母親を守護し健康を司る神様のご加護が得られるという、クロスの文様を参考にして、背守り(毛糸で布切れに刺し子をする)をつけるようにした。
(私が作る服に付けた背守り)
この背守りが、私が作るもので一番評判が良い。
そうして私がファッションについて思うことは、単に着飾るだけのものではないということだ。
作家さんが一つ一つ丁寧に手作業した過程やあしらったものたちの中の隠された物語に思いを馳せてみて気付くことは、ファッションそのものが身に纏う人への大きな祈りを秘めたものであるということだ。