仕事に王道なし
私は、仕事の要領がかなり悪い。
人よりも物事を理解するのに、倍かかるからだと思う。
その分、人の倍苦労し、努力していると私は自負しているが、周囲はいつも飄々としてると言う。
この血もにじみ、血反吐も吹き出さんばかりの苦労を同僚にいかに知らしめてやろうかと、策を練ったことがある。
でも、バカバカしくなってやめた。
どうやっても分かり合えない人も、もちろんたくさんいるけれど、私を気に入って、頼りにしてくれる人も同じくらいいる。
だから、苦労が出ないのは長所で、仕事をうまく回転させる上での唯一の私のコツ、ということにしている。
医師の稲葉俊郎氏によると『コツをつかむ』とは、骨格や骨組みを正しく、無理なく自然な流れで運用することだと言う。
つまり、コツとは、『若さや力』ではなく、『体といかに和するか』という『技術と経験』だそうだ。
それは土木業界で働く中でも、体感する。
どこで何を観て、何を学んだかという経験の、コツコツとした積み重ねが技術力として実を結ぶことになっていくのだと感じる。
ただ、ホンモノの技術者という観点からすると、それだけでは不十分である。
つまり、教養や人としての質の高さ、コミュニケーション能力等もあわせて要求されることになるため、ひとすじ縄ではいかない。
要領貧乏の私が観察して、思わず唸ってしまうくらい、仕事ができると感じる先輩が何人かいる。
大雑把に分けると、三つのパターンがある。
一つ目は、分からないことは分からないと、人に教えをさらっと請うことができ、どこまでも伸びてゆく人。
二つ目は、根回しが上手く、いつの間にか関係者全員を味方にしている人。
三つ目は、各人の能力の把握に長けていて、人をおだてるのと使うのが上手く、事業の進捗を一気に上げてしまう人。
結局のところ、仕事のコツは人間関係の築き方の上手さと、会話力に巧みさに収束するのではないかと思う。
人付き合いが得意な方ではない私は、社会人駆け出しの頃、先輩とやり合うことが多かった。
しかも私はずっと、自分が正しいと思い込んでいた。
先輩と後輩のやり合いが勃発したりするのを目にしたりする中、たまに、私がやってしまったことのデジャビュのような場面に、正に遭遇することがある。
そこで、あの時は先輩が悪かったのではなく、ただ単に私の態度が悪かったのだと、後輩の態度を客観的に観察してはじめて、ようやく腑に落ちた。
ちっぽけなプライドと自尊心を盾に、刃を人に向けて、自分は正しいと思い込んでいる時は、私もそうであったし、今も大して成長している訳ではないけれど、おそらく何を言っても通じないだろうな、と思う。
だから、将来のいつか、後輩が気付いた日のために、布石を打っておきはするが、敢えて注意はしない。
土木技術者は立場を利用して、物事の長所と短所を自分の都合のいいように創り上げて、公共事業として提供できてしまう側にもなりうる。それは、技術者として失格だと思う。
だから、善悪、真実と虚偽等の見分けは、誰かに与えられるのではなく、自分自身の経験をとおして考え、悩み、判断し、身体に記憶させていくことを大事にしたい。
土木には、限りなく正解に近いものはあるけれど正解はない。逆に、限りなく間違いに近いものや、完全な間違いは、結構ある。
私はずっと、足掻いてひとつひとつの答えを探し続けている。分からないなら、時に人に助けや迷惑をかけながら、十分時間をかけていいと思う。
他者や自分の傷みや恥を知ってゆく中で、何十年かかっても、たとえみつけられなかったとしても、その過程の中にホンモノの技術者として仕事をこなせるようになるコツがあるはずだ。
(完)
本記事を書くにあたって、下記文献を参考にしました。