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おじいちゃんとおばあちゃんへ
おじいちゃん、おばあちゃん、そちらは如何でしょうか。
こちらは、どうしてるか、全てお見通しのことと思います。
そして、お二人とも、もう別々の道を歩んでいることと思います。
おじいちゃんは、きっと、地球防衛軍にでも入隊して、世界を冒険しながら、地球のパトロールでもしてるでしょうね。だって、旅が好きだったし、おじいちゃんが2月14日に亡くなってすぐに、東日本大震災があったのですから。地球の未来が気になってしょうがないでしょう。
おばあちゃんは、まだそちらに帰られて浅いので、相変わらず、そちらのテレビを観ながら、いっぱいご飯を食べて、うたた寝でもしながらお休みしていますか?
おばあちゃんは、おじいちゃんと仲良しさんではなかったかもしれないけれど、おじいちゃんがお迎えに来てくれたのか、おじいちゃんの命日の2日前に旅立ったので、やっぱり、仲良しさんだったんだと思います。
夫婦は、一緒に同じ方向に歩んでいくか、それぞれの方向に付かず離れずで歩んでいくしかないのだ、とお二人から学んだ気がします。
また、老いてゆくお二人を見ることで、死というものがどういうものなのか学ばせて頂きました。老いとは、身体が衰えながら、執着や欲をひとつずつ落としてゆく、あの世に帰る重要なステップなのですね。
あと、私がどんな最期を迎えたいかも、考えるようになりましたよ。
私が特に思い出すのが、おじいちゃんが入院中、私に「お願いだから、お茶をくれ」と言っていたことです。肺炎になるからダメとお医者さまに禁止されていたから、おじいちゃんにあげられなかったけれど、私だったら肺炎になって死んでもいいから、喉の乾きを潤したいと思いました。だって、おじいちゃんは、そのたった2ヶ月後に亡くなったんですよ。誤嚥性肺炎で。口から何もご飯食べていないのに。
そういえば、おじいちゃんも、おばあちゃんも、私のお母さんが作ったご飯を心待ちにしてましたね。
お二人とも、南瓜の煮物とか、筑前煮が好きだったでしょうか。
おじいちゃんが、母が作ったメキシコの豆料理であるチリコンカンというご飯を食べたとき、あまりお口に合わなかったんでしょうね、
「こんなに美味しいもの食べたことがない!」
と、イヤミで言いましたね。
それ以来、私も、何て表現していいか分からないときは、
「こんなに美味しいもの食べたことがない!」
と、言うようにしていますよ。
美味しいものを美味しい、と感じることができるのは、生きてる証拠で、この上なく幸せなことですよね。
だから、私は、飲みたいものは飲ませて、食べたいものは食べさせて、それから、緩和ケアはして欲しいが、延命治療は不要、と自作のエンディングノートとやらに書き記しておきます。
おじいちゃん、おばあちゃん、ご存知でしょうが、今は疫病が蔓延しています。不謹慎ですが、おじいちゃんとおばあちゃんは本当に良い時期に自分で選んだかのように旅立ちましたね。
私はあとどれだけ生きるか分かりませんが、精一杯、お二人を見習って最期まで生き抜きます。
私がそちらに戻ったら、おじいちゃんが最期に私と行った地、沖縄に皆で行って、積もる話をしたいです。
良いことも、悪いことも、いっぱいあったけれど、ありがとう。
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