車のいろはカモミールティーのいろ
『車のいろは空のいろ』の松井さんに出会ったのは、私が小学校4年生のとき、国語の教科書に掲載されていた『白いぼうし』という物語だった。
この物語は私にとって、とても大事なもので、学校で習った後にその短編が収められている本を母におねだりして買ってもらった。
それを読破した後、何度も読み返そうと思ったが、9歳だった当時に読んだ記憶をそのまま大切にしている。
手元にまだ本書はあるけれど、敢えて純粋なままの9歳のときの私の記憶から、引き出しているため、多少の思い違いはご容赦頂ければと思う。
本作は、空のいろのタクシーの運転手である松井さんが、道路に落ちていたぼうしを拾ったところ、ちょうちょが飛び出てきたことから展開するちょっと不思議な物語である。
誰かがちょうちょを捕まえていたのだと悟った松井さんは、実家から送られてきた夏みかんを慌ててぼうしの中に入れてタクシーに戻る。そして、戻った先の後部座席には、女の子が座っていて、その子は実はちょうちょだった、というストーリーだ。
当時、私は勉強が全くできなかったにも関わらず、なぜかアインシュタインのような立派な科学者(正確にいうと、物理学者である)になりたいというでっかい夢を掲げていた。
そして、母の香水に、小学校で使う粘土を用いて、香水を大量に培養するという化学実験に挑む等、エラーしかないトライに励んでいた。
そのときの私は、平凡が何かもよく知らず、ただただ平凡な大人になりたくなかったのだ。
松井さんは、私たちの生活に身近な職業であるタクシーの運転手をしている。
ありふれたどこにでもいそうな会社員なのに、子どもの気持ちを分かってくれる大人(本書を全編読むと実は松井さんは人間ではないことが分かるのだが)がいることが幼い私には驚きだった。
このお話は、幸せが連鎖していく。
松井さんの車に積んでいた、実家から届いた夏みかんのかおりで、タクシーの乗客は癒される。
そして、ちょうちょを捕らえた少年に向け、逃がしてしまったお詫びのしるしに、夏みかんをぼうしの中に入れて、ちょうちょ以上に記憶に残る、あっと驚くトリックを仕掛けてくれている。
それから、ちょうちょも松井さんのタクシーで、故郷に送り届けられ、ちょうちょの喜ぶ姿の美しさに松井さんははっと息をのむ。
子どもながらに、こういう幸せの運び方や、命の連鎖があるのだなということをタクシー運転手という職業をとおして知った。
松井さんを知って、初めて働くとは、ということを考えるようになったように思う。
小学校の授業で、松井さんの読書感想文を提出させられたのだが、そのとき初めて、私の書いたものが先生に褒められて、クラスで紹介された。
先生は「松井さんと、ホクトちゃんのこころが、一つになってる」と評してくれたのだけれど、この先生の言葉と松井さんとの出会いがなかったら、文章を書く楽しみをこれっぽっちも知らないで過ごしていたかも知れない。
そして、私はありふれた職業でも構わないんだ、職業をとおした体験が優しさにあふれ、唯一無二のものであればそれでいいんだと感じた。ただ、私の中の松井さんを育てていけばいいんだ、と思った。
それから、大人になった私は、カモミールティーいろと呼ばれる何とも変わったいろの車に乗って山間部にある田舎の事務所に出勤する平凡な会社員になった。
事務所へ向かう通勤経路に、落武者の霊が出没し、さらにその落武者が運転するタクシーも出るという嘘とも本当ともつかない噂にびくびくしていた、まだまだ肝っ玉の小さな新入社員の私には、松井さんへの道は程遠かった。
だけど、松井さんが私に与えてくれたものが、ずっと残り続けている限りはなんだか大丈夫だと思えた。
(了)
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本読書感想文の、書籍は以下のものです。
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