未来に託された想いを地図に遺すということ
小さい頃から、雨の日が一番好きだった。
建物の中から眺める、空から静かに水が落る幻想的な景色は、何時間見ていても飽きない。
水は近くにありすぎて、当たり前すぎて、大切なことすら小さな私は感じていなかった。美しい水があることは奇跡だと深く感じたのは、水を専門とする土木技師になってからだ。
土木技師になったのは『地図に残る仕事』という、メジャーなキャッチフレーズに惹かれたのが理由のひとつだ。実際に、社会人に成り立ての頃は河川の大きな構造物を造ることに関わることが多く、その中の一部は地図に残っているが、工事の中止等のため残らなかったものもある。
私は新しいものを造ることに、ただただ充足感を得ていたが、土木の醍醐味は新しくものを造ることではなく、その先にある。
土木構造物は竣工してからが本番で、社会で担うべき役割や、その価値を発揮しなくては意味がない。そして、造られたものは、機能や気候、環境の変化に応じて手を加え続けてゆく必要がある。
戦後の日本に造られた多くの農業用水の施設が、最近になって一気に寿命を迎えだし、私はそれらの改築の仕事に携わることになった。
農業用水路は、はるか昔の賢人が飢饉を憂いて造ったものもあれば、戦時中に多くの日本人が餓死した悲劇を二度と起こさないように、という反省から造られたものもある。そこには、人々が食糧に困ることのない社会の実現を目指した先人たちの夢と希望が遺されている。
私は土木技師のひとりとして、それを後世にもっとよき形に改築し、受け継いでいかなければいけない。
農業用水路の改築の先には、農家へ確実に水を届けることのできる未来があり、さらにその先は多くの農作物の収穫と、その食糧によって身体を作る人々の姿がある。
それは、世界から見ればほんの小さなことかもしれないが、地球上でおこっている一部であることには間違いない。その一部はいつか全体へと繋がってゆく。
環境汚染、気候変動が結果として生じている現在、長い土木の歴史の中、地球環境への負荷が大きい事業もあった。よいものは残し、間違っていたものは方向転換をすることが大切だ。
その中でも、私は現場から読み取れる、先人達から受け継いだ強い願いや技術は、地図へ遺し続け、未来に託された課題は解決しながらさらに未来へ託したいと感じる。そしてその先に、いつもきれいで、穏やかで、優しい雨の降る地球が戻って来てほしいと願う。