エサをあげずに好かれたい
私の祖父は、動物が好きでした。
いえ、正確に言うと、動物にエサをあげるのが好きでした。
祖父の隣の家にはクロという、シェパードがいました。当時幼児だった私は、祖父に連れられて、クロにエサをあげに行っていました。しかし、シェパードは幼児よりだいぶん大きく、狂暴です。口が大きく、ヨダレをベロベロ垂れ流し、鎖でしっかりと繋がれた犬は、汚ならしく、私にとって恐怖でしかありませんでした。
祖父は、神社の池の鯉にも、麩をあげていました。麩を水面に投げると、おびただしい量の鯉が食いついてきました。真っ赤な、空洞しかない大口を開け、水ごと麩を吸い込む鯉は、無限のブラックホールのように見え、未知の恐怖でしかありませんでした。
他には、動物公園の猿にエサをあげていました。入場料を払ってすぐのところに売店があって、そこで必ず祖父はリッツクラッカーを買いました。猿山の周りには人が近寄らないよう池がありました。それはまるで、お城のお堀のようでした。
祖父は猿に池の外側から、クラッカーを投げていました。当時、幼児だった私には距離がありすぎて、投げることができません。エサを投げ入れだすと、群れのボスのような猿は、堂々とゆっくり現れ、目にてものを云いました。よこせ、と。他の猿は「キキキー」と叫びながら、クラッカーに飛び付きます。可愛いとは、程遠い世界で、嫌悪感しかありませんでした。
そして、その猿山には、祖父のようにエサをあげる人がいたのでしょう。「エサはあげないで」と書かれていました。いえ、祖父が度々エサをあげるから書かれていたのかも知れません。幼児ながら、悪いことをやっていると感じていました。
祖父は、私から見てセコい人に映っていました。そのため、私はいつもリッツの箱を抱え、祖父がエサを投げ入れるのを見ながら、飼育員の人が飛んできて、祖父だけが逃走、私は逃げ遅れ、警察に引き渡されて、連行される自分を想像していました。
祖父のエサやりが、すっかり小さい頃にトラウマとなってしまいました。それで、私はエサをやらずとも動物に好かれるようなアッシジの聖フランチェスコみたいになりたいと思うようになり、動物を手なずけるのにエサを使うのは止めました。
17年ほど前まで実家では、犬や猫を飼うことを禁止していました。それでも、動物に好かれたかった私は、エサをやることは全くせず、遠くから姿を見つけては、駆け寄って可愛がりました。今でも動物を見ると駆け寄る習性は抜けません。
17年前に念願の犬を飼ってもらえることになりましたが、この犬は、大変な食いしん坊で、頭が良くツンデレでした。
そして、私を自分の子どもだと思っていたようでしたので、かあちゃんと呼んでいました。かあちゃんは、エサをあげずに好いて欲しいという私の純粋な思いを、いとも簡単に打ち砕きました。全て自分の我をとおすという、決して譲らない犬だったからです。
私が、動物に嫌がられるようになったのは、明らかにかあちゃんを飼うようになってからでした。
猫は、私の姿を見るなりさっと逃げ、あらゆる犬は、私の姿を見ると、ビクッとし、目を剥いて吠え出しました。その姿は、奇っ怪でした。
一時、野原等の草対策で、ヤギに草を食べさせて草刈りの手間やコストを削減するといったものが流行った時期がありました。とあるスープカレーやさんもその流行に乗ったのか、ヤギを一匹野原に繋いで草を食べさせていました。私が近くに寄ると、目を剥いて駆けてき、身体に頭突きされるような惨事もありました。
ここまで動物に嫌われるのはどうしてだろうかと考えてみると、かあちゃんが大変嫉妬深かったから、という理由しか思い当たりませんでした。
かあちゃんは、洗濯仕立ての服を着たり、外から帰ってくると必ず匂いのチェックをしました。動物の匂いでもつけていれば、その匂いチェックは厳しさを極めました。そして、かあちゃんは、鼻で私の衣類にスタンプを押して自分の匂いをつけまくりました。
先月末、12月でしたが早めに初詣に近所の氏神さまにご挨拶に行きました。
すると、あろうことか一匹の猫が私に寄って来て、膝に乗り、連れて帰ってくれと訴えました。そんなことは、ずっとないことでしたので、私は驚きました。
かあちゃんがこの世を去って、約3ヶ月経ちました。かあちゃんの匂いスタンプもスッカリ消え去り、私に空きができたことに気付いたに違いありません。
この猫は、神社の人や、訪れる人たちからエサをもらい、可愛がられている様子でした。
私はその猫を、そっと下ろしました。
「もう、かあちゃんが最後だと決めてるんだ。ごめんね」
と、サヨナラしました。