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エイサーの音

縁もゆかりもない土地だが、私の本当の故郷は沖縄ではないかと思ったりする。

私は、沖縄とは全然違う、工業都市で育った。
生産性や利益が最優先で、伝統や文化というものが完全に喪失してしまったような街だった。
そんな街に、毎年沖縄がやって来た。
夏休みのはじめくらいになると、近所のデパートで、沖縄展が開催されていたのだ。
それにあわせてデパート前の広場では、イベントも催された。そこで、小学生から高校生くらいの少年少女で構成されているエイサー隊の演舞や、沖縄のミュージシャンたちによる歌唱が披露された。
子どもの頃の楽しみのひとつといえば、そのエイサーを観にいくことだった。
私は多分、沖縄の文化を自分のアイデンティティーと勘違いしてしまっているのだと思う。

少年少女らのエイサーは、獅子舞まで登場する本格的なもので、太鼓の打音が力強く、それでいて全く五月蝿くなく、心地よかった。その音色に、いつも心踊せた。
演舞の定番曲といえば、THE BOOMの『島唄』やBEGINの『島人しまんちゅぬ宝』だった。ラストは、パーランクという小さな太鼓が聴衆にも配られ、皆でパーシャクラブの『五穀豊穣』にあわせて踊った。

エイサーの後には、歌い手が登場した。
歌い手で最も印象に残っているのが、coi-naコイナという女性三人のユニットだ。
彼女たちの歌声は、強さと美しさを兼ねた琉球のお姫様のようで、心打たれた。
沖縄の地上戦を描いた『遠い夏』は、一度聴いただけで覚えてしまった。
テクノや流行、売れるために作られた音楽のスピードについていけない私にとって、沖縄の伝統を交えた音楽はずっと癒しだ。

今年の夏、どうしても紅型びんがたが見たくなった。紅型とは、沖縄の伝統的な染物である。布に、べにをさすように染色するものだ。沖縄独特の発色で、美しい。
アメリカ統治下の中、消滅の危機に瀕しながらも、沖縄の人々のアイデンティティーを復興しようとする活動により紅型は守り抜かれてきたそうだ。
何度も沖縄に行ったものの、じっくり見たことはなかった。
とあるデパートで、展示販売会が開かれるということを知り、早速向かった。

紅型に使用されていた布は、絹、綿、麻等があった。糸の太さが全部異なり、一目瞭然で何の布か分かる。その中でも、糸の太さ、布地の色、紅型の発色、全てが私にとって美しくみえたのが、芭蕉布だった。

芭蕉布といえば、夏川りみさんら多くの沖縄の歌い手によって『芭蕉布』という歌が継がれている。
この歌で描かれるとおり、芭蕉布は、沖縄の風土と自然が育んだ、透けるように薄く軽い、高価な織物である。
芭蕉布ができるまで、数十工程があるそうだが、簡単に説明すると、材料となる糸芭蕉バナナを育てる期間が3年、その後糸にして織り上げるまで数ヶ月かかるという。

デパートに展示されていた芭蕉布の紅型は全て、戦後、紅型と同じように消滅の危機にあった芭蕉布を復興させたという、大宜味おおぎみ村の喜如嘉きじょかの故平良敏子さんが製作に関わった布地が使用されていた。染めは、布地に関わらず全て、紅型作家の家の十五代目を継いだ城間しろま栄順えいじゅんさんによるものだった。

作品をじっくり眺めていたら、展示会の代表の方が声をかけてくれた。
その人は、私がものづくりに関心があると感じたようで、沖縄の布づくりの工法を色々教えてくれた。
彼の言葉で一番心に響いたのが、「紅型や芭蕉布は芸術ではなくて、民芸です」というものだ。

芸術も、民芸にも詳しくない私の視点からすると、芸術には天賦の才がほとばしる一瞬のきらめきを表現した動的な印象がある。
一方、民芸は才があろうとなかろうと、その場所に生まれた人々が少しずつ磨きをかけ、先祖代々のものづくりに日々励むような感じだ。そのものづくりは、教えに忠実で、一見静的で淡々としているが、ぬかりない技術の伝承の中に動が問われている、そんな印象を私は受ける。
根本的に、芸術と民芸は似て非なるものなのだろう。

民芸という言葉は、陶芸家の河井寛次郎らによって作られた。
民衆の手による工芸品を民衆的工芸と捉え、略して『民芸』としたらしい。
寛次郎の芸術作品からは、いつ見ても動がほとばしっている。
ところが、一時、民芸運動に傾倒した寛次郎の作品は、簡素になったという。
一体、寛次郎は何を追い求めていたのだろうと、ずっと考えていた。
ところが、紅型を見に行った後、戦前の沖縄を訪れた寛次郎のエッセイを再読して答えを見つけたように思う。
そのエッセイ『火の誓い』の冒頭には、沖縄という土地と、そこに住まう人々が証明してくれたことを、こう記している。

材料と技術さえあれば、どこでも美しい物が出来ると思うならば、それは間違いであると思う。
人は物の最後の効果にだけ熱心になりがちである。そして物からは最後の結果に打たれるものだと錯誤しがちである。しかし実は、直接に物とは縁遠い背後のものに一番打たれているのだ。

多分、私も寛次郎と同じことを感じ続けていたのではないかと思う。
沖縄の伝統や文化に心打たれる、だから沖縄を故郷のように感じるのだろう。
そして、沖縄の先祖たちが遺した強い想いがかたちとなった民芸は、これからも多くの人のもとへ届くだろう。それらは、かたちにならない見えない力で守られ、きっとこれからもずっと、沖縄の人々によって継がれてゆくに違いない。

(完)


本記事中の楽曲は以下のとおりです。

THE BOOM『島唄』

BEGIN『島人ぬ宝』

パーシャクラブ『五穀豊穣』

coi-na『遠い夏』

夏川りみ『芭蕉布』

また、本記事を作成するにあたり、参考にした書籍は以下のとおりです。

芭蕉布は、下記のHPも参考にしました。


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