本当の困りごとに向き合う災害支援とは? 能登・水支援の学びを明日へ
2024年1月4日から始まった北良の支援活動は、2月末まで続きました。一度使った水を循環利用する「WOTA BOX」を使ったシャワーの提供は、これまでも災害支援の現場で行ってきたものですが、今回初めて、避難者自身に運営を担っていただきました。能登での災害支援を通じて学んだことや反省点をこれからの支援活動に生かすため、今も車両や備蓄品の改良が続いています。
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避難所シャワー運営を被災者に託す
「WOTA BOX」は、自治体や企業による災害への備えとして全国各地に導入されていました。開発元であるWOTA株式会社の社長・前田瑶介さんは、全国の導入自治体・企業に協力を呼びかけ「WOTA BOX」を金沢に集めました。
地震発生から1週間以上たっても、能登半島の各地で断水が続き、入浴やシャワーの支援が届いていない小さな集落もありました。全ての避難所をカバーするためには、できるだけ多くの避難所を回り、設置や説明に支援する人員を充てなければなりません。これまでの支援活動では、設置から運用、撤収までのすべてを北良、WOTA、ソフトバンクといった企業の災害支援チームのメンバーが担ってきましたが、運用を誰かに託す必要が出てきたのです。
避難所の関係者にその方法を相談したところ、避難所となっていた学校の養護教諭の方が「中学生や高校生に協力してもらったらどうか」と提案してくださり、校内放送を使って呼びかけてくれました。
すると、この放送を聞いた中高生の男女8人が、「手伝いたい」と名乗りを上げてくれました。
岩手から能登へ、被災した子どもたちにできること
この避難所で、中高生たちに「WOTA BOX」の運用を引き継いだのは、当時入社1年目で防災事業部に所属する藤原です。装置の使い方や何か不具合があった場合の手順などを説明し、管理を任せました。自分がそこにいられる時間帯には、彼らの話し相手になったり、勉強を教えることもありました。
藤原は、避難所の子どもたちにかつての自分を重ねていました。自身も、2011年の東日本大震災で家を失い、避難所での生活を送っていたからです。「子どもだった自分は、余震と火災に怯え、ただ座っているだけ。状況を変えるきっかけを自分で作ることもできなければ、避難所運営にも関われない。先の見えない不安と、私がここにいていいのかという申し訳なさも感じていました」。
新卒で北良に入社したのは、「災害で命を落とす人を、もう一人もだしたくない」というメッセージに共感したからでした。
藤原から運営を託された子どもたちが利用者をシャワーに案内するようになると、利用する人たちからは「小さい時からよく知っている地域の子がやってくれるのが安心」と大変好評だったそうです。
藤原は「被災をした子どもたちが『地域の人たちの役に立てた』『喜んでもらえた』と実感できた経験は、彼らのこれから先の未来にとっても意味があることだと思う」と語ります。
先生からの提案で実現した中高生による支援活動は、私にとっても新しい視点を与えてくれる出来事でした。
「自分で考え、行動する」災害支援に不可欠な自発性
もうひとり、東日本大震災の経験から能登の支援に手を挙げた社員が製造部の工藤です。
工藤は、東日本大震災の2日後に仙台空港から妻が里帰り出産する沖縄に向かう予定でした。あの日、仙台空港が津波に飲み込まれていく映像を見ながら「ここにいたのは自分だったかもしれない……」と呆然としました。「あの時から自分が変わりました。生き残った自分はもっと人の役に立とうと思って生きるようになりましたね」。
北良の被災地での取り組みを知り2023年に中途入社した工藤にとって、能登半島地震は入社後初めて直面した大規模災害。社内のSNSで社長の笠井が発信する能登の様子を見て、 「被災地に行って支援に関わりたい」と思い、支援活動への派遣を志願しました。
工藤は、笠井が手配したキャンピングカーを仙台で借り受けて、能登に向かいました。佐々木や藤原は防災事業部の仕事で「WOTA BOX」の扱いに慣れている一方で、普段はガスの製造部門で働く工藤。「水循環装置の専門的なことは分からない自分ですが、やれることを探して何でもやるようにしました。少しでも、先に現地に入っている社員や次に来る人たちの役に立ちたいと思って、地元の人から道路の被害や復旧状況を教えてもらい、地図に記録して共有しました」。
移動の途中で地割れにはまって立ち往生していた車を助けるなど、「自分で考え、できることは何でもやる」という工藤の自発的な姿勢に、北良の支援活動は支えられました。
説明会に30人。災害支援を支え合う北良の企業風土。
能登での災害支援は長期に及ぶことが予想されたため、現地での支援活動に協力してくれる社員を全社で募りました。参加を検討している社員の不安を少しでも和らげるため、1月11日には、北上市の本社で支援活動の説明会を開きました。
正月からずっと能登で自治体との調整をしている笠井に代わり、佐々木が能登からとんぼ帰りして、現地の状況や自社が取り組んでいる活動を説明しました。
北良の社員は約90人。この説明会には30人以上の社員が参加し、その中から21人が実際に現場での活動に参加しました。
東日本大震災以降、最初の頃は笠井の呼びかけに応じて数名が災害支援に関わっていましたが、いつの間にか一人、また一人と参加する社員が増えていき、岩手に残る社員も、志願した社員の業務をカバーしあう。そんな企業風土ができていました。特に今回は志願者が多く、驚いた製造部長が「こんなに皆が被災地に行きたいなんて変な会社だよな……でもいい会社だな」と思わず目頭を押さえるほどでした。
過酷な支援活動 支援者の心身の健康管理も
たくさんのものを失い、つらい思いを抱えた方々が生活する被災地での活動は、支援者も強いストレスを受けることになります。「24時間、360度全てが被災地という過酷な環境の中で自分自身の気持ちを保てない人間には支援活動などできない」。笠井はそう考え、発災からのフェーズに合わせて活動するメンバーを佐々木と相談し、性格やストレス耐性などを踏まえて配置しています。
キャンピングカーの手配など、現地で活動する社員の睡眠環境を整えるのも、心身の健康のため。それまでは、ワンボックスの社用車やトラックの荷台の上に寝袋を敷いて睡眠を取っていましたが、厳しい寒さの北陸で健康を維持するには、快適な睡眠環境が必要だと考えたのです。
地元の方の厚意で、避難所となっている体育館のステージで眠ることもありました。体育館の寒さや響き渡る足音、差し込んでくる光のまぶしさ……夜遅くまで働いて戻る人もいれば、早朝から起き上がる高齢者もいて、誰しもゆっくり寝ることができないという過酷な環境を体験することは、本当の被災地や避難所がどういうものかを体で理解し、何が課題で何が必要か本気で考えることにつながります。
「被災地を実際に経験した人とそうでない人でスイッチの入り方が違うし、経験して初めて分かることがある」。だからこそ、希望する社員には活動に参加してもらいたいと笠井は考えています。
2月に入ると、避難所の統廃合が進み、廃止される避難所の「WOTA BOX」を別の避難所に移す作業も始まりました。また、避難所だけでなく、医療機関からの要望を受け、水道がなくても手洗いができる「WOSH」を輪島病院などに設置しました。
能登半島各地に設置した水循環装置は、ピーク時には「WOTA BOX」を活用したシャワーが100セット、手洗い機「WOSH」は200台に上りました。
「本当に困っている人に向き合えたのか」
能登での活動は2024年2月末で終了しましたが、北良という企業として、また、社員1人1人が個人として、現場で直面した課題と向き合う日々は続いています。
藤原は「被災した人たちが本当に困っていることに向き合えただろうかーー」と自問自答を続けていると言います。
今回初めて被災者にシャワーの運営を任せ、結果的に大きなトラブルはありませんでしたが、避難所運営のリーダーから、「機械が壊れたかもしれない」と何度も電話がかかってきた時期がありました。その都度、復旧方法や注意点を説明しましたが、後になって、「その方が訴えていたのは、機械の不具合ではなく、みんなが使うシャワーが壊れてしまったらどうしようという不安だったのだと気づきました」と振り返る藤原。
「その方の不安を取り除くことではなく、機械の使い方を伝えることしか考えられなかった自分にすごく悔しかった」という思いは1年以上たっても変わりません。
工藤もまた、自身の行動を「あれでよかったのか」と問いかけています。
ある日の夜、水循環装置の濾過フィルターの交換を急いでいた工藤に、炊き出しをしていた方が「お世話になってるんだから、ご飯を食べて行って」と声を掛けてくれました。「シャワーを少しでも早く再開させようと思い、断ってしまいましたが、寂しそうに『私たちは皆さんに返せるものは何もないんだから……』と仰っていて、自分はどうするのがよかったんだろうと今も自問自答しています」。
目の前で、電話の向こうで、困っている人の本当の困りごとが何であるのか。それは、その方の発する言葉だけを聞いていたのでは分からないこともあります。表情を観察し、その方の背景に想像を巡らせることで、本当の困りごとを感じ取れることもあれば、後になって「ああした方がよかった」「こうすればよかった」と気づくことも少なくありません。
私たちは、日々の仕事の中でも、災害支援活動の中でも、目の前にいるその人とその背景にある事情を想像しながら、一緒にその困りごとを解決することを目指しています。
「できることはもっとあった」という後悔は忘れず、だからこそ、同じことは二度と繰り返さないという誓いを胸に、今日も北良の社員はそれぞれの持ち場で働いています。