169.初代真柱中山真之亮の「座りづとめの手振り」の特徴について
はじめに
初代真柱中山真之亮氏(以下初代真柱)の座りづとめの手振りを拝見しようにも、朝夕のおつとめは拍子木、月次祭の時は「かぐらづとめ」がつとめられる為、見ることは出来ませんでした。
しかし、明治29年の内務省秘密訓令以降、しばらくの間、月次祭で「かぐらづとめ」をつとめることが出来ず、代わりに一般教会と同じように「座りづとめ」を行なっていた期間があり、その時のみ、初代真柱の座りづとめの手振りを拝見することができました。
その時の初代真柱の手振り、特に第三節「いちれつすまして」について、今村英太郎氏が「おぢば今昔ばなし」の中で語っておられましたので、紹介させていただきます。
いちれつすまして
おつとめの手について未だに私の脳裏から離れないことは、初代真柱様の「座りづとめ」をなさる時のお手の振り方についての印象である。
くわしくいうならば、
あしきをはろうてたすけせきこむいちれつすましてかんろだい
の手で、そのなかの、
いちれつすまして
のところである。
ここのところを初代真柱様は、きちんと両手をそろえて、大きくそしてゆっくりと「いちれつ」とお廻しになる。そのお手の調子といおうか、それとも様子といおうか、とにかくお廻しになるお手は終始ピタッとくっついて離れることなく、しかも高低に波うつようなこともなく、一枚の平たい板をなぜるみたいに、膝の上四、五寸のところで大きく円形に動くのであって、それがいかにもゆったりとした感じであり、そして人一倍大きい円形が描かれていたように想った。そして「すまして」のところは、これも同じく横一文字に、また高低の波なく大きく胸いっぱい左右にひらかれて、再び元の位置にかえってくる。
これを読むと、初代真柱の「いちれつすまして」の手振りは、すごくダイナミックな手振りだったのだと想像ができます。
また、初代真柱の覚書に書かれた教祖のお言葉によると
四方暗くなりて分かりなき様になる。其の時勤の手あいまいなる事似てはならんから、勤の手稽古せよ。
明治19年6月20日
この様に教祖が仰っています。また
命の切替をするのである。大切なる御勤にてぞある。
初代真柱自身がこのように書き残しているものが残っています。
こういったことから考えると、初代真柱にとっての「おつとめの重さ」は、今の僕達からは想像もつかないものだったのだと思います。
ということで、本日の記事は考察することが目的ではなく、紹介することが目的なので、ちょっと短いですがこんな所で終わりたいと思います。
おまけタイム
どーも!思い切って短い記事を出すという試みを行う男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!
僕は基本2000字以上の記事を書いているのですが、1000字くらいの日があってもいいじゃないか。
って思うと、書ける記事の幅が広がりました。
今日の記事なんかがそうなんですが、考察を必要としない面白い話もあるわけで、今までそうしたお話は避けていたのですが、今後はそんなお話も紹介していきたいと思います。
あと読むのも書くのも楽ですしね…(こっちが本音)
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!
ほな!