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49.子供は親を助ける為に「心の病」になる #3

始めに

前回の記事で、
信仰者が心の病に寄り添うためには、誤解や食い違いを引き起こさないためにも、悩める親と子供の心理状態を理解し、治療していくプロセスを知っておくことが大切だと思う。
と書かせて頂きました。

前回の記事はこちら



そのことを理解するために、具体例を引用させていただいています。
それでは前回の続きです。

一番目の要求「ママ、僕の苦しみに気づいて」


「お母さん、息子さんが包丁を持ち出すまでの経過を、詳しく聞かせてくれませんか?」
と私が質問する。
「ええ…その時、私は仕事から帰ってきて夕食の準備をしていました」
「帰宅したとき、息子さんはどこにいいましたか?」
「自分の部屋でパソコンをやっていました」
「お母さんが帰ってきたら、彼はどうしましたか?」
「部屋から出てきて、買い物袋を開けている私の方に来ました。
小声で独り言のように『ママ、苦しいよ…僕、何もできない…』と言っていたと思います」
「お母さんはなんと答えたのですか?」
「小さな声だったし、独り言のようだったので、答えませんでした」
「それからどうなりましたか?」
「…ぶってきました」
「彼がぶってくる前に何かなかったですか?」
「えーと…」
母親はしばらく考えていた。
「ああ、そうです、思い出しました。息子は近所の肉屋さんのハンバーグが大好きで、小さい頃から買ってくると喜んでいたんです。
 『小川屋さんのハンバーグ買ってきたわよ、これ美味しいよねー』って私がいったんです」
「どんなふうに言いましたか?」
「息子の顔を覗き込んで『これ美味しいよねー』って私が言ったんです」
麗子さんは、その仕草を再現した。
「息子さんの反応は?」
「何もいわずに、顔を背けていました。
 それから,私が冷蔵庫を開けたら、後ろからぶってきたんです」
「何か言っていましたか?」
「『何でこうさせるんだ!もっとこうしないといけないのか』と言ってぶってきました」
「なるほど、そこで怒ったんですね。どうして、息子さんが怒ったかわかりますか?」
「えっ?…私が息子の話を聞こうとしなかったからですよね」
「…それは違うと思いますよ。その時は、彼は黙っていましたよね。怒ったのはハンバーグの時ですよね。『美味しいよね』と言ったら。息子さんは顔を背けたんですね」
「ええ。あの時、駿一の顔からは表情が消えて、横を向いて私を払いのけるようにしました。シッ、シッという感じです…」
「なるほど、そうでしたか…」
麗子さんは考え込んでいた。
しばらく待って、私は続けた。
「彼が怒ったのは、お母さんが自分のペースに持ち込もうとしたからじゃないかな。『これ美味しいよねー』と言われて嫌な気がしたのは、『うん』と同意しないといけないと思ったからでしょう。ハンバーグ食べて良い子になってね、とそんなふうに彼には聞こえたのかもしれません。彼は良い子だから、そう言われて辛くなった」
「………」
麗子さんはしばらくの間、黙っていた。
数分が過ぎただろうか、彼女はゆっくり口を開いた。
「そうですね。息子の気持ちが分かりました。そうだったと思います。私が押し付けようとしたので,あの子は怒ったんですね。
 私って駿一をお人形のようにしてきました…それで彼は怒っている。そういえば駿一が言ってました。
 『僕はママのことが好きだけど、僕はもう疲れたよ、いつまでやらせるの』って。
 私は息子を、とても可愛い、なんていい息子に恵まれたんだろう、と思ってました。駄々ごねたこともないし、元気だし、お友達も多いし…。子育て、楽しかった。息子が何か食べたいっていうと、仕事の帰りにそれを買うのが楽しみでスーパー中をを探し回りました。それを息子は『ママ、大好き!』と言って喜ぶんです。でも、あれ、私に合わせていたんですね」
麗子さんはうなだれてしまった。
しばらくして私が話した
「親子がお互いに気を使って過ごしてきたのは、それはそれで幸せだったんですよ。彼もお母さんを喜ばせるのが好きだったはずだから、とても楽しい時間だったはずです。そのことについては、あまり自分を責めないでいいと思いますよ」


子供は親の気持ちを読み取り、それに応えようとして生きる。特に親のかわいがり方には敏感で、こどもはそこにピッタリと合わせてくれる。それは親子で共有できる楽しい時間である。その時に子供が親に愛されていると感じ、親に必要とされている自分を確認できるのだ。
問題は、彼が合わせてくれている気持ちを麗子さんが汲み取れなかったことである。


暴力を振るう理由は、自分だけが我慢したのを分かってくれないから


「ところで、次の質問ですけど、いいですか?」と私が口を開く。
「えっ?ええ…」と麗子さんは我に返った。
「お母さんが彼を『お人形のように』可愛がると、彼はどうして怒るのでしょう?考えてみてください」
「私の思う通りにさせられるのは嫌だから…」
「それもありますけど、もっと違う理由です」
彼女はその答えを考えながらも、私の言葉を待っていた。
「彼はお母さんが大好きだから、いい子になりたい。お母さんを助けたいと思ってきたんです。小さい頃も今もそれは変わらない。子供はみんなそうです。
 ずっとお母さんのことを考えて、お母さんのために生きてきたのに、でも、いつまでたってもその気持ちを分かってくれない。それで、またハンバーグで喜んでと言われた。彼はもう一度、お母さんにつき合わないといけないと思ったんです。一方で、親から離れて自立していきたい気持ちがある。でも、そうすると、大好きなお母さんと対立しなければならなくなる。それは嫌だし、怖い。お母さんに嫌われたくない。それで、なんで、なんでそうさせるんだ!と怒りがわいてきたんです。」
「えっ?」と麗子さんは声を上げてしばらく考え込んでいた。それから、
「そうなですね。あの子は私に合わせてくれていた、一生懸命に…。でも、私があの子の気持ちを理解できなくて、あの子を追い詰めてしまった。それで怒っている…」
麗子さんの目に涙が浮かんだ。
「私はあの子に頼りすぎていた…」とぽつりと言った。
「あの子、小さい時、本当に美味しそうにハンバーグを食べました。私、それを見ていてとても幸せでした」
麗子さんはしばらく立って視線をあげて穏やかな表情を見せた。
家庭内暴力は系統的である。
いつも決まった「心の状況」で、怒りが爆発する。
「心の状況」は家庭によって異なるが、子の共通する気持ちは、「親のためにここまでやってあげているのに、どうして分からないんだ!」である。親のために生きてきた気持ちが強ければ強いほど、親がそれを理解しなければしないほど、暴力は激しくなる。

思春期は、こどもが親から自立して自分の生き方を作る時である。
これから先、ずっと親と一緒にはいられないだろうと、子どもは少しずつ感じ始めている。新しい世界も見えてきた。だから、前に進みたい。
でも、ママはまだ「ハンバーグを食べて、近くにいてほしい」と言っている。それに応えたいけど、そうしたら、じゃあ僕はどうしたらいいんだろう。ママのことたくさん、たくさん愛してきたのに、これからもまだ我慢が必要なの?どうして分かってくれないの?どうして僕を追い詰めるの?
これが彼の苦しみであり、暴力の理由だった。麗子さんはその息子の苦しみを理解した。それで彼は楽になった。
母親が何かを伝えたわけではない。ただ理解しただけである。しかし、子には伝わる。親子は敏感である。
しばらく平穏な日々が続いた。
ある日のカウンセリングで麗子さんは報告した。
「暴力がなくなりました。ここ一ヶ月くらいは私も気持ちが楽でした。息子も時々リビングに出てくるようになりました。よかったです」
「息子さんは話しをしますか?」
「いえ、話しは相変わらずほとんどしません」
子どもは長年の我慢を分かってもらえれば、気持ちが落ち着く。それまでの親子対立が嘘のように消えていく。多くの場合はこの時点で、引きこもり・不登校は解決に向かう。まず一緒に食事をとるようになる。それから親子の会話が増える。食事が終わっても以前のように部屋に戻ることはない。たわいもない出来事、テレビのことスポーツのこと、ゲームのこと、それまでは聞かれても頑なに話さなかったネットゲームの詳しい内容などを話してくれる。そうしているうちに本音が話せるようになる。
「お母さん、僕、やっぱり学校のことが心配だ」
「そうだね」…となり何かのきっかけをつかんで、学校に戻る。


二番目の要求「ママの苦しみをとって」


しかし、どうも駿一君の家ではそうは進んでいない。ちょっと様子が違うのだ。
彼が望んでいることは、まだ実現していないのだろうか。
彼は「ママの苦しみを引き出すために…」と宣言して暴力を振るい始めた。その真意、僕の苦しみと、ママの苦しみ、同じ根源の二つの苦しみに気付いて欲しい」を考えると、確かに彼の最初の意図はまだ道半ばである。つまり、彼自身の苦しみは、母親に理解されて軽減したが、しかし、母親が長い間我慢してきた「苦しみ」はまだ取れていない。その解決が残っている。
その後、徐々に彼と母親との対決はぶり返していった。



まとめ


ここ数年、天理教の機関紙や月刊誌でも、毎回のように傾聴の大切さが取り上げられています。

傾聴とは、相手の話すことに耳を傾けるだけでなく、本人すら気付いていない、声を拾い上げることが必要になってきます

思春期の難しいところは、それまで正しかったことが、ある日を境に、間違いになってしまうことです。

ですから、相談に来た親は、自分の行動が問題と思わずに、意識から抜けてしまっていることがあります。

麗子さんのカウンセリングを務めた著者は、その問題点を見事に拾い上げていました。

このような展開で治療が進行していくことを、心の病のおたすけに従事する方は、是非知っておくべきだと思うのです。

しかし、
これは訓練を積んだ専門家であるからこそ出来る技であって、我々が真似しようと思って出来るものではありません。

下手に真似しようとすると逆効果になり、相手との関係が悪化してしまうかもしれません。

では、信仰者はどうすれば良いのでしょうか。

僕は、信仰者が最も大切にすべき点は、
「どんな人間も陽気ぐらしの才能を持っている」
という希望を持ち続けること
だと思います。

詳しくはこちらの記事へ

専門家のような治療を専門家でない信仰者が行うことは出来ません。

しかし、僕達信仰者は、誰もが同じ魂を持っていると知っています。

その魂には等しく
「陽気ぐらし」に向かっていくプログラムがインプットされているのです。

ですから、
「どんな人間でも陽気ぐらしの才能を持っている」
という揺るぎない立場から接することが出来る。
これが、信仰者の最も強力な武器になるのではないでしょうか。


続く


おまけタイム


どーも!ラーメン3玉、チャーハン大盛り、餃子を食べたのは6時間前なのに、まだまだお腹一杯の男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

最近の記事に、ハゲ成分が足りていないという不満を受けたような気がしないでもないので、ハゲのメリットを挙げていきたいと思います。

ハゲのメリット

1、シャンプーの量が少ない、もしくは必要無い 

シャンプー代がかからないという経済的な面はもちろん、泡を流す水の量も圧倒的に少なく、ドライヤーの必要がないので、環境にとても優しいです。
一説によると、環境活動家のグレタさんも、周りの男性スタッフを全員ハゲで固めることを検討中だそうです。

2、寝癖が付かない

寝癖を治す必要が無いので、朝起きてからすぐ活動することが出来ます。
あの効率的に動くことで有名なホリエモンも、数年前に丸坊主にし、その機能性に惚れ込んだのではないかとの声もあります。

3、逆にハゲない

自ら丸坊主にした場合、それ以上ハゲる心配はありません。髪の毛があるということは、髪の毛を失う可能性があるとも言えます。
そのため、髪の毛を失う恐怖に、常にさらされているとことでもあります。
その点、自ら丸坊主にした人は、その恐怖から解き放たれ、素晴らしいバラ色の日々を送ることが出来るというわけです。

皆さんどうでしょうか、ハゲのメリットは大変魅力的だと思いませんか?

もし全く魅力を感じなかった場合は、この記事にスキして頂けたらと思います。
(初のスキ要求をここで使う男)


あと物凄く長い記事になってしまいましたが、

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!


引用文献

子は親を救うために「心の病」になる
著者:高橋和巳
発行所:筑摩書房



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