新しい記念日
一昨日、10月13日で、再発して1年を無事に超えました。また大変なことが起こるんじゃないかとおとーちゃんはビクビクソワソワしていて、常に時計を気にして、「今の時間位に救急車要請したんだよ」とか「これぐらいから先生の病状説明だったんだよ」とか去年の時間進行を再現してました。
あの日、夫は終電で病院から帰って、駅からの道を泣きながら歩いたそうです。病院はコロナ時期のままで、面会も付き添いも出来ず、「何かあったら電話します」と言われ、怖くて家でも眠れなかったと言っていました。
落ち着かない夫はわたしの洋服を羽織ってベッドで泣いていたとのことで、退院して自宅でそれを聴いたとき、「キモッ!コイツやべえ」と思って黙っちゃいましたが、顔が見られず(見えないからね)良かったです。
翌日、夫から状況を知らされた方たちがお心を寄せて下さり、意識が戻るようそれぞれに祈って、わたし達の力になって下さいました。
わたしはイベントのスタッフに携帯を預けっぱなしで搬送されてしまって、入院したので、配送でそれを受け取った夫は携帯に入っていたわたしのスケジュールを確認して、一件一件連絡してくれてもいて、通院先や恩師、社会福祉士の同期、後輩、友人たちも早いうちから状況を知ることとなりました。それは為すすべもなく、東京に親しい人もいない夫の気持ちを紛らわし、よりどころになったと思います。
勤務先はみんなで励まし動画を作って何度も送ってくれて、支えてくれました。倒れた時は有休で、そのまま職場に帰れなかった不義理なわたしに、福祉専門職の同僚たちはとても優しかったです。
夫はハタで見ていると結構な女子脳で、出会って〇か月・〇年とか、2人で行った場所とか、結構口にします。視覚障害の記憶力を武器に、記念日憶えてる派で、そういうとこわたしとはおツムが違います(死語)。
なので、10月13日はわたしたちにとって新しい記念日になりました。倒れた記念日はあまり喜ばしくありませんが、1年経って何事もなく家でふたりで過ごせたので無事記念日です。
わたしも命日にならなくて良かったです。
今後着実に無事記念日を積み重ねていけたらいいなと思います(というかそうしないととーちゃんがどうなるかわからん)。