ウクライナ平和の鐘 059 肚に落ちる
■2022(令和4)年5月18日 059 肚に落ちる
(動画の3:00~5:09)
本日の「平和の鐘 鳴鐘の輪」。因果の理法を頭で理解しても、肚に落ちなければ人の行動は変わりません。それでは言葉と行動が離れていくばかりです。「戦時国際法を遵守している」といいながら多数の戦争犯罪を犯す者のように。
合掌
悪いことをすれば、苦しみとして跳ね返ってくる。安らかに生きるためには、善業を積まねばならない。
そのような因果の理法も、頭で理解しただけでは人の生き方は変わりません。理屈で「ああ、そうだなぁ」と理解しても腹の底でそれが分かっていなければ、他人の前で語る言葉と人の見てないところでやる行動が、どんどん違ってきてしまいます。例えば、人を大勢殺しておきながら「自分たちは民間人を殺していない、あいつらがやったんだ」という風に。
もし、たとえ戦争中でも意図的に民間人を殺すのは悪い事だと腹の底ででわかっていれば、そのような行動は取らないはずです。でも表向きの人道の話と自分の本音が乖離していたならば、戦争犯罪が起きてしまう。
仏道修行では、そのような理性と情動との差をなくすために瞑想修行を積みます。頭だけで理解すればいいのなら、本を読んで勉強すればそれで終わりでいいんです。でも、そうではない。私たちが苦しみを離れ安らかに生きるためには、腹の底から「世の中は善因楽果・悪因苦果の因果の理法が働いている」と納得をして、自然と私たち自身の行動が改まる必要があります。
再拝