敗戦から学ぶもの
日本プロ麻雀連盟北海道本部の現チャンプ、雪華王の西野拓也プロが、過日行われた麻雀マスターズについてnoteをお書きになられています。
淡々と自戦記をしたためられていましたが、筆圧が明らかに強くなったのは文章の後半でした。
昨年、私が書いた雪華王戦の観戦記にもあるように、西野プロは自分なりの「勝つための方法論」をしっかりと持っている方です。
そして、稽古を通じて戦略と戦術を体に叩きこんでから戦いに臨むことを欠かさないと伺っています。
様々な準備をしてこの日を迎えた西野プロでしたが、結果は裏。
今日という日に負った敗戦の苦みを忘れないために、誰に読ませるでもなくこのnoteをお書きになられたのだと思います。
ただ、自分への戒めのために。
自分のためという打算のない動機から示されたこの文章が、何故か私にとってはあまりにもまぶしくて仕方がありませんでした。
ほら、打算のないものって美しいじゃないですか。
例えば、お祭りの神輿がそう。
神輿を担いでいる人たちって、打算がないんですよ。
ただ、神様が乗っている神輿を担ぐ。
それ以上でもそれ以下でもありません。
誰に見せたいわけでもなく、何かを示したいわけでもなく、ただただ「担ぎたい」という一心で神輿を担ぐ。
人は、そういった打算のない姿に美しさや格好良さというものを感じます。
この文章は、なんだかそういうものに似ているなって。
麻雀は勝つ人が圧倒的に少ない、みんなが負けてしまうゲーム。
次の戦いが待っているプロたちはそこを全身で受け止めて、気持ちをどこかで折り合わせて前を向いて歩き続ける。
その姿に、私は敬意と憧れを抱かずにはいられません。
西野プロが東京から持って帰ってきたものとは何だったのでしょう?
土曜日に行われる西野プロの勉強会へ行って、それに触れて来たいと思ってます。