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いっそ、願望は捨てましょう
悪い予感は、的中しやすいものである。
なんだか今日は抜き打ちテストがありそうだとか、なんとなくあの人には他に好きな人がいる気がするとか。
・・・
「悪いことばかり想像していると、現実になっちゃうよ」というようなスピリチュアル的な話がしたいのではない。
杞憂ばかりしている極度の不安症の人はさておき、「悪い予感」というのは「予感」ではないことが多い。つまり、なんらかの根拠を踏まえて計算された結果の根拠のある予測ではないかと思う。
自分にとって都合の悪いことというのは、誰だって起こって欲しくない。だからこそ、様々な理由づけをして「そんなことはない」という疑いの目を無意識下で有しているはずだ。
でも、状況や要素などを加味し、かなり信憑性が高い状態で浮かび上がってくるものが「悪い予感」ではないか。根拠がなく、なんとなく…では、「悪い予感」にならないのではないかと考えている。
反対に、願望というのはなんの根拠ない。
希望的観測、という言葉が頻繁に使われるが、様々な要因を組み合わせたと思っていても、その信憑性や正確さはかなり低い。
なぜなら、人間は自分にとって都合のいいことは、疑いたくないからだ。
だからこそ、現実に起こりうるのは願望より悪い予感のほうが可能性が高いはずだ。
あんなこといいな。出来たらいいな。
それを叶えられるのは、結局猫型ロボットだけなのだ。
・・・
でも…
根拠は作ることができるんじゃないかな。
願望はあくまでもスタート。そのためにどうするかを考えて、願望ではなく目標をゴールにすれば、自ら行動する気にもなるでしょう。
人の望みは叶わない。
それを、ただ望んでいるだけならば。
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