この絵は稲村ヶ崎の公園からのものです。
江の島を描くと、やはり誰が描いてもこのような色彩になるのだろうと思いました。
鎌倉市役所に掲げられていた絵もこんな色彩でした。
江の島が行楽の島として栄え始めたのは明治に入ってからだといいます。
日本は鎖国を解きましたが、当初外国人の外出できるエリアは決められていました。
関東エリアでは横浜から江の島までは出かけることができたのです。
北海道でいえば、函館と大沼公園も同じことです。江の島の頂上に別荘を建築して大庭園を造園したイギリス人がおります。明治18年のことで、それが平成14年にリニューアルされた塔が遠方からも見えます。
当初は人力車で出かけていましたが、鉄道の構想が出た時には人力車組合は反対で大騒ぎになったそうです。
江ノ電と江の島の風景を描こうと思っていたのですが、この二つが見えるのは稲村ヶ崎駅ではなく七里ヶ浜駅でした。
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