ひのしょうへい「こころたび」のふうけい(かみしべつちょう) 防風林 油絵 F3(273×220mm) 2021年12月作成 他に油絵3点 水彩画22点 士別市は旭川から北に車で一時間ほどのところにあります。 上士別は、この士別市の東隣にある町です。 絵に描いた防風林を越えると上士別の町に入ります。 上士別は見わたす限りの農地と山々の町です。 この町で少女時代を過ごした方がNHKの人気番組に投稿しました。 そうして火野正平が自転車で走る「こころ旅」が2013年と2019年の
アルトリ岬 室蘭本線の有珠駅から海に向かって進むとアルトリ岬に到着します。 この一帯はかつてアイヌ民族が暮らしていたところなので、碑などがあります。 アルトリと言われる名は北海道内にあったといいます。 アルトㇽ(アㇽ・ウトㇽ。向こう側の・側面)が原型で、アㇽは「対になっているものの片一方」で地名では山とか海の向こう側を指した意味です。 アルトリ岬は標高27mの山で、本土とかろうじてつながっている陸繋島です。海に囲まれた高台にあるので視界を遮るものが少なく、目の前に内浦湾
札幌から国道274号で夕張方面に向かうと、北広島⇒長沼町と続き国道沿いに道の駅マオイの丘公園があります。 珍しく一面が霧で蔽われていました。
札幌市厚別区に建てられた百年記念塔は、明治元年から100年目を記念して1968年に起工し二年後の1970(昭和45)年に完成しました。 鉄で作られた建物で腐敗があり危険であるという理由で今年壊されました。 しかし、この塔は北海道の記念すべき塔で周辺の学校校歌にも歌われています。残す手立てはなかったのか、その説明は知事からもありませんでした。 単に危険との説明だけでは納得のいかないと反対する団体も設立されましたが、あっけなく壊されました。
町のシンボル・ハルニレの木 十勝川の河川敷内に2本の木が扇型をし1本の木に見えます。 近くにいくとそのことがわかります。 蝦夷地と呼ばれていた時から十勝川の流れとともに水害や風雪に耐えてきました。この「ハルニレの木」は豊頃町の町木に指定され、写真集やテレビでも紹介されています。 豊頃の町に入ると、いたるところでハルニレの看板が目に入ります。 十勝に開拓で入った人たちは、まだ道路が開削されておらず十勝川を上る時に誰もが見ていた木ではなかったかと思います。
夕張市に行くには札幌から道道3号線で行けますが、鉄道ではJR新夕張からも26分で終点夕張駅に行くことができました。 旧夕張駅は、JR北海道石勝線・夕張支線の終着駅でしたが、2019年4月に夕張支線は廃線となりました。 「夕張行」小山清ー夕張市 太宰治に師事し、夕張で炭坑夫として働き、人とのふれあいを描いた小説家・小山清に随筆「夕張行」があります。 昭和22年1月から23年の秋にかけての情景が描いてあります。 小山36歳の時でした。 「終戦直後、私は生まれてはじめて遠い旅
簾舞川(みすまいかわ)は、札幌市南区を流れる豊平川支流の河川。 川の名は、アイヌ語で「峡谷があるところ」を意味する「ニセイ・オマプ」。これが訛って「ミソマップ」になり、現在の「みすまい」になったといいます。しかし、はじめて簾舞の標識を見て読める人はいないでしょう。 簾舞通行屋は、現在の簾舞中学校あたりに作られたとされています。 明治4年に開通した本願寺道路の宿場が目的でした。 札幌から定山渓を経て有珠へ往来する旅行者や、荷物を運ぶ人馬の宿泊・休憩所として、開拓使によって
札幌から旭川に向かうには国道12号線がありますが、この道と並行にしてJR函館本線が通っています。 車で走ると分からないのですが、美唄市を過ぎて奈井江町に入ると右を走る列車には「奈井江駅」があります。 このJR奈井江駅前にグランドピアノのオブジェがおかれています。 また、駅と併設してコンチェルトホールの文化ホールがあります。 木質壁を採用し音響効果に優れたホールで自然とともに文化豊かな町です。
剣淵町の桜岡湖(さくらおかこ)を中心に広がる多目的な公園です。 オートキャンプ場やパークゴルフ場があり、春には桜、秋には紅葉、冬にはワカサギ釣りが楽しめます。 剣淵温泉レークサイド桜岡があり、宿泊、日帰入浴もできます。
ぴっぷスキー場 旭川から国道40号線で比布市街地を過ぎて蘭留(らんる)に向かうと右手に「ぴっぷスキー場」が見えてきます。 町営で比布町産業振興課が行っています。 比布町は大雪山連峰を隅から隅までひと目で見渡せる町で、この大雪山連峰をバックに広大な上川盆地を一望できるのがぴっぷスキー場です。 標高は250~580m、標高差330m。最長滑走距離は2200mになります。 そうして、最大傾斜は36度ですから上級者も満足。気温が道内でも低いので、さらさらのパウダースノーなのです。
津軽海峡に面した大森浜に啄木小公園があり、砂浜を見下ろすように、啄木像が建っています。函館に住んでいた時期、啄木は幾度もこの浜辺を散策し歌を詠みました。 「潮かをる北の浜辺の 砂山のかの浜薔薇よ 今年も咲けるや」 左手に持っているのは、自らの詩集『あこがれ』です。 彫刻家本郷新の制作です。
開拓時代に上士別の兼内地区に団体で入植したのは奈良県十津川村の人たちでした。 それまでも入植者はおりましたが、まとまった団体はこれが最初でした。 やはり仲間が居ると心強いのと、共同作業もできるので一挙に開拓は進みました。
能取岬は、左に能取湖を配しオホーツク海に突き出た岬です。 アイヌ語でノッ・オロ(not-oro=岬の・ところ)に由来し、網走市街から北に向かって道道76号に入り約10kmのところにあります。 断崖の岬の突端には、8角形の形をした「能取岬灯台」があります。 この灯台は大正6年に造られたものですが、江戸末期に来日したフランス人技師の影響が残るとされており、白と黒のストライプで洋風なところが人気があるのかも知れません。 また、一帯は広い牧草地で馬や牛が放牧されるのどかな風景にな
この油絵は絵を再開して間もないころなので10年ほど前の絵です。 偶然パソコンの中で見つけました。 稲刈りも終わり、秋風が吹きもうすぐ初雪を迎えるころです。 上士別方面を見た秋景色です。
国道40号線で剣淵から士別市街地に入ると右手にラーメン屋さんがあります。 お店の名前は「こぐまグループ 旭川ラーメン士別店」です。 士別市大通東7丁目22-1126 このお店で私の絵を飾ってくれています。 今年の上士別文化祭(11月1日)で展示した水彩画三点です。 士別を通った時は、ラーメンを食べながらご覧ください。