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北海道命名之地 2024年7月 制作

音威子府(おといねっぷ)村は北海道で一番人口の少ない村です。

国道40号線を北に向かうと音威子府村の中央で二差路に分かれています。
JR宗谷本線と40号線は左で、右は国道275号とかつて天北鉄道がありました。
天塩川は40号線と並行しており、10キロほど走ると「北海道命名之地」の看板が見えてきます。川岸に下りる道があり、ここを右折すると天塩川の川岸に到着します。

天塩川と「命名の地」の碑があるだけで、まわりは何もありません。
しかし、天塩川の岸辺に車で行ける場所は少なので久しぶりに大河を目の前にしました。

明治2年に蝦夷地は北海道と命名されましたが発案者は松浦武四郎。
幕末にこの場所のアイヌ古老に聞いた「カイ」の意味を元に「北加伊道」と名付けたと碑が立っています。
武四郎は『カイ』とは,この国に生まれた者ということで、アイヌの人々は,自らその国を呼ぶとき,加伊(かい)と言い、もともと蝦夷(えぞ=かい)とは加伊 (かい)のことである考えたといいます。

松浦武四郎は雅号をいくつか使用し「北海道人」もあり、命名以前に使っていました。



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