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かつて小樽運河を埋め立てるという計画が突然持ち上がりました。
この当時のことを小樽の人から聞く機会がありましたが、小樽市民が二分されるような争議だったといいます。
小樽運河は、大正12年に完成した湾岸施設です。海岸を埋め立てて造られ、船荷の積み下ろしを行う際、船と倉庫を円滑にするためのものでした。
ところが海運業の衰退とともに、運河に汚泥が溜まり異臭が漂い問題となっていたのです。
発端は「札樽国道」(札幌~小樽間の高速道路)の開設でした。
現在この高速で小樽に入ると、運河手前で道道17号(小樽臨海線)に出ることになります。昭和41年に計画された時は運河を埋め立てて街中で出口になるものでした。
計画が本格的になった昭和48年に「小樽運河を守る会」が発足。
話が出てから16年間の長きにわたる賛否両論の中から、運河の半分を埋め立て臨海線と散策路をつくるということで決着。
運河沿いの散策路には約60万個の御影石のブロツクが敷き詰められ、ガス燈31基が設置され、昭和61年に臨海線が開通したのです。