昆布はどこからどこへ行く⑤羅臼昆布・後編
こんばんは!
きょうは羅臼昆布のダイナミックな旅のお話です。
羅臼昆布を日本で一番使っているのは富山県なんです。
そして、昆布の消費量が日本一。たまに2番目。昆布を使い切る知恵が詰まっているのも富山県。
昭和のころのこどもが昆布をガムのようにかじっていたというのも富山県。(令和になったらどうなのかな。。たまにいるかな。)
羅臼昆布は買うときには割高なのに、どうして県民の日常に根付いたのでしょうか。
それは明治時代の北海道の開拓の歴史と重なります。
それ以前にも、道東の昆布が江戸時代に沖縄までたどり着いたのは、富山の薬売りたちの仕事だったのです。
歴史は脈々と時空を超えて糸のように、いえ、昆布のように人をつなぎます。
明治時代の富山県からの羅臼への入植のことを知るのはこちらへ。
こちらの「北前船が運んだ昆布を食べる食文化」もぜひ。
富山県をルーツにする羅臼町民は人口の7割を占めます。
遠い富山からやってきて、加えて、釧路や根室から羅臼への道はどんなに険しく遠かったことか。
羅臼で、身につけていたタラの漁の仕方を教えたり、勤勉な県民性で土地の人に受け入れられ好かれていった富山からの入植者たちと、
富山でその人たちから受け取る昆布を無駄にしないで、大事な大事なものとして工夫して使い切っていた富山県人。
うまみが充分に醸され、まっすぐに平らに成型された羅臼昆布がわたしたちに、
遠くの二つの場所の人たちが一緒に紡いだ食文化を伝えているのです。
そのむかし、道東から富山を経て琉球につながった昆布ロードは中国へ。
そしていま、羅臼から富山へつながった昆布ロードはデンマークへ。
昆なんとダイナミックな旅をするのでしょう。
7月末に、海と日本プロジェクトin 富山県がこんぶ学習帳を全5年生に配りました。
このノートで羅臼のこどもたちと一緒にこんぶを勉強するのかな。
羅臼と富山のこどもたちが一緒に、羅臼昆布の未来への新しい旅を始めますように。
良い旅を!!